スラムⅡ

「あんた、何してるんだ」


 白髪交じりのぼさぼさのひげを蓄えた男は一向にこちらを見ようとしない。ポロンポロンとつまはじくだけである。ゆったりと低い音が続いたかと思えば、急に調子の外れた高音を出す。一音一音は聞けるが、すべてをとなると聞くに堪えない。


「なにしてるん、だ、よ!」


 リベルはしびれを切らし、男の肩を突く。これに男は体勢を崩したが、すぐにまた弾き出す。反応に満足がいかなかったようで、リベルはまた肩を突いた。今度は強めにだ。先ほどは楽器から手が離れることはなかったが、腕ごと後ろの地面に倒れた。


 それでも男はすぐに立て直し、弾き始める。


 ここまで空気のように扱われることは、リベルにはついぞなかった。顔を真っ赤にして固まったままになってしまっている。放っておくと収拾がつかなくなりそうなので、モネがようやく助け船をこぎ出した。


「ねぇ、その楽器、見たことないけど、手作りなの?まだ統一感はないけど、いい音だね。なんだか、懐かしい気分になるよ」


 男が顔を上げた。存外に見れる顔だ。口ひげさえ剃ればそのまま体美派に居そうである。


「なんだ?」


 モネは満足げに微笑んで、会話を続ける。


「特に用はないよ。私はただ、さっき言ったようにいい音だなーって思っただけ。ああ、でもそうだ。この子がさ、あなたに聞きたいことがあるみたいなんだ。少し相手してあげてくれないかな」


 男はモネの隣の少年に目を向ける。「ああ、コイツか」とその手を見て思う。


「そんな無礼極まりないヤツの話なんぞ聞いて堪るか。さっさとどっか行け」


 睨みつけ、少年を追い払おうとする。まだコイツは私が思い通りにならず、腹を立てていやがる。


 しかし、少年―—リベルは動かない。確かめなければ。モネに言われたからではない。自分の目で、耳で、確かめねば、自分の気がしないのだ。


 モネが背中をゆっくり撫でおろしてくれる。それに合わせ、溜飲を下げる。深呼吸もして、頭を開放的にする。ようやっときれいに自分だけになった。


「あんた、ここで……スラムなんだろ、ここ。体美派にも、神美派にも、追い出された。だっていうのに、なんで、そんなギター?みたいなのをわざわざ作ってまでやってるんだ?意味ないだろ」


 男は険しかった眉間を緩め、呆れ交じりにだが答えてくれる気になったらしい。


「どっちにも属せなかったんじゃない。属しないだけだ」


 リベルは首をかしげる。


「どういうことだ。ぼくは追い出されたんだろって言ったんだ。属してるとか、そんなこと一言も言ってない。頭大丈夫なのか」


 なぜか顔が緩むリベルである。モネは溜息をついてしまっている。これもなぜかは全くわからない。


 突然、右手が温かくなった。見れば血が出ている。続いて鈍痛が響き渡る。


 石を投げられたらしい。


 慌てた様子のモネがぼくの右手をハンカチで包みつつ、傷の具合を見てくる。


 痛い。


「二度と顔を見せるな。次はこんなものでは済まさない。幸いここは美の価値域だ。善悪なんて捨てようと思えば捨てられるんだぞ。……失せろ!」


 抵抗しようとも思えなかった。疑問も追いつかない。とにかく、わからない。


「ごめんね!じゃあ、私たちはここから離れるよ!本当に、ごめんなさい」


 モネが真下を見ている。いつもの光景じゃない。モネらしくない。


 でも、何かできる気がしない。しようという気があるかも怪しい。モネが引っ張った手は右手だったけれど、顔を歪ませるほどじゃなかった。


 自分の足跡より、血の方がうんと軽い。ふと、そんなことを思った。

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