美の価値域

美の価値域ー入ーⅠ

「ここが美の価値域の入り口よ!」


 右も左も視界の果てまで白亜の壁が続く中、モネが胸を張って指をさす先には大きな扉があった。光沢のない、鉄製の扉だ。中央に「美」をモチーフにした紋章が置かれ、その周りを蔓や花、鳥や魚、海と大地、太陽と月が躍っている。色が塗られているわけではないが、かえってこの無機質なキャンバスが生命の息吹を永遠に規定するようで見事である。


「きれいだな」


 リベルが呆けた顔で言うと、モネがその後頭部を小突く。


「太陽以外もちゃんと見なさいよ」


「見てるっての!」


 飛びのいて威嚇する。するとモネは心底意外だったようで、これまたポカンというのが飛び切り当てはまる呆けた顔をしていた。


「えー、そうなの?私ってばてっきりまーた太陽ばっか見てるのかと思ったよ。え?ごめんね?」


「別にいい」


 リベルはなおもすねた口調であるものの、後頭部をさすりつつ扉に向かい直す。モネはそんなリベルと扉を見比べ、腕組を決め、分かり手かの如く頷いていた。二人そろって扉の前に立ち尽くしていると、しばらくして後ろから従者が呼びかける。


「あの、姉さん?私たちはどうしましょうか。中に同行した方がいいですかね」


「んー、いいよ。君たちも入っちゃうと、あんまりの大所帯で視線が厳しくなりそうだし。みんなはその辺で野宿でもして待ってて」


 従者は一応のスマイルでモネと会話していたのだが、終わるころには目の端がヒクついていた。モネはそんな様子を見てか付け足す。


「安心しなよ。この中にあるモノはここを去るときにはもう獲得しているから」


「いえ、そうではなくてですね。一体、美の価値域の中はどんな様子なのかが気になるんですよ。他の価値域に踏み入れるなんてそうそうできたものじゃないですし。どうか私たちも同行させてもらえませんか」


「いらないって、言ったでしょ。もうこの話はおしまい。野宿というのが嫌ならキャンプとでもいえばいい」


「そんなぁ。冷たすぎませんか」


 従者は十分に大人と言える青年なのだが、颯爽と離れていくモネに対して地面にへたり込んでしまった。リベルはここまで従者たちとの会話があまりなく顔見知り程度であったものの、その不憫さを感じ取れるようになったため励まそうと思って近づいた。従者は体育座りをし、いじけてみせる。


「なんだよ。リベル。憐れみに来たってのかよ。お前は良いよな、姉さんの懐モンだからよ」


 せっかく他人を思いやるというものが分かってきたというのに、このように悪態をつかれればさすがに気を失うというものだ。現にリベルは励まそうという気はさらさらなくなり、肩を落としモネの後を追ってしまった。しかし従者はまだ用があるようでその背中に語り掛ける。


「おーい。リベル―。くれぐれも姉さんが無駄遣いしないよう見張っといてくれよなー。あと、次の価値域までの食料も忘れないでくれってなー。わかるかわかんねぇが、言っておいたからなー」


 耳を傾け、念のためリベルは拾っておいた。扉のすぐ前に立つモネに並び、伝言を伝える。


「従者がモネに無駄遣いしないようにってさ、あと次の価値域までの食料も」


「はぁ。ほんとうるさいな、うちの従者は。私のこといつもナメてかかってる気がするんだよね」


 モネの言葉に珍しく棘を感じ、リベルはその顔を覗き込む。


「そうか?でも、敬語ってやつをモネには使ってるじゃないか」


 モネは被りを振る。


「君も何度も聞いてるでしょ。姉さんって。本当の秤ノ守ならもっと敬意をこめて呼ばれるもの」


「例えば?」


「秤ノ守様……とか」


「なんだか人を呼んでる感じがしない。ぼくは姉さんっていうのも、モネっていうのも落ち着く感じがしていいと思う」


「君はなかなかにたらしの才能がありそうだね」


 首をひねっているリベルを差し置き、一歩前に進んだモネが扉をたたく。扉はその重厚さとは裏腹に音もなく地面をすべるかのように開いた。

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