金の秤ノ守Ⅰ

 揺れる馬車の中、ビーフジャーキーをかじる。


「やっぱりこれしょっぱいな」


「ビーフジャーキーはそういうもんなの。保存のために塩とか香辛料とかを使ってるんだよ」


「へぇ」


 少年は再度かじりつつ、正面の女性を見る。色々教えてもらったやつだ。きれいな服をくれたうえ、この乾いた牛の肉のことをビーフジャーキーと教えてくれた。人間を教えてくれた。色と味を教えてくれた。草を教えてくれたし、地面も空も教えてくれた。影も教えてくれた。そしてあの太陽も教えてくれた。


 少年は咥えながら、手元に集中する。ちゃんと書いておこうと思ったのだ。少年は旅の道中、女性から文字も教えてもらっていた。


「お。きったないけどちゃんと書けてる。いい子だね」


「うるせ」


 覗き込んでくる女性からメモを隠す。


「ええー。教師としては生徒の学習進度を見ておかなきゃだから見てあげてんのにー。いいのー?もう新しいこと教えてあげないよ」


「なっ!?そんなこと言うんだったらこっちだって考えはあるぞ」


「なに、言ってみなさいよ」


「もうアンタについていかない」


「うーん。それは困るなぁ。やんなきゃいけないことだからなー」


 そう。なぜかは聞いても全く教えてもらえなかったが、少年はこの女性にとってとても大事な存在なのだ。出会いの洞窟でも、彼女は彼を探すために訪れた。


「仕方ないね。無理には見ないよ。けどね、君の知らないことをもっといっぱい教えてあげたいのは本当だし、そのために何を知っているのか把握するにはそのメモは役立ちそうなんだよね。だから。だめ?」


 こんなことを言われてしまうと、少年は非常に弱る。馬車から身を乗り出し、太陽を見る。あれについてもっと知りたい。でも、あれだけを知っても知り切れない。あれが明らかにするすべてを知って、あれが何なのかが分かる気がする。


「分かったよ。ほら」


 パサリと女性の前にメモを落とす。自分の手で渡すのは何だか気恥ずかしかった。


「やった。どれどれ。おお、私ってば天才教師なのかも。もうこんなに書けるうえに、こんなにいろんなことを覚えたんだね。その調子で頑張りなさい」


 女性が手を伸ばす。少年はなおもそっぽを向いているが動く気はない。そのまま女性の手は少年の頭頂部を撫でた。


「うーん。そんな反抗的になってきても撫でられるのは好きなんだね。まだまだおこちゃまだなー」


「うるせ」


 馬車が止まった。何かあったらしい。


あねさん!」


「なにー?何があったの?」


 先頭側の小窓から御者が呼んでいる。後ろにも前にも馬車が一台ずつ続き、その周りを八人の従者が囲む結構な大所帯だ。客車は少年たちの乗る馬車のみ。女性が小窓を開けた。


「もう分かれ道に来たんですけど、どうしますか。目的は確保しましたし、やっぱり自価値域に帰られますか」


 女性は腕を組み少し考える。うんうん唸って彼女に見合わずかなり悩んでいる。不意に少年の顔を見るとパッと決めた。


「うん!美の価値域に寄っていこう!サブ目的くらいだけどいずれ必要になるし、メインについてもこの方がフローとしては直線になるしね」


「分かりました。それじゃまたしばらくの辛抱をお願いします」


「はいはーい」


 小窓を閉め切ると女性は満足げにふふんと頷く。その様を少年がじっと見ているとからかうように話し始めた。


「どしたの、少年。もしかして美の価値域の話が出たからってお姉さんの美貌に気付いちゃったのかな?」


 少年は眉をひそめる。


「アンタがきれい?」


「そ」


「冗談言うなよ。太陽の方がはるかにきれいだ」


「比べるもん間違ってるでしょ」


「痛って!」


 頭を殴られた。加減はしているみたいだが、急に来られると受け身が取り切れず反射的に言ってしまう。なるほど、これは間違っているらしいことを少年は知る。メモに記そうと手に取ると、少年は疑問を抱く。


「そういえば価値域ってなんだ?」


 女性は目を見開く。


「言って、なかった、っけ?」


「聞いてない。あとついでにアンタっていったい何なんだ。人間ってことしかわからない」


「そん……な。君、ずっと知らない人に付いてきてたってこと?しかも他こんな居るのに?」


「あいつらは人間の従者なんだろ。それにアンタが付いて来いって言ったんじゃないか」


「いや、うん。間違いではない。間違いではないけど、致命的な気がする……」


 女性は見ている側が心配になるほどに狼狽している。口を手でふさぎ、目を右往左往させている。だいぶ長かったが、一つ二つと咳払いをして居住まいをただした。


「前言撤回。私は天才教師ではないみたいだね。けど、言うことを聞けってのは完全撤廃しないから、そこはよろしくね。

 そうだね。まずは自己紹介からにしようか。

 私はモネ。かねはかりもり……次代の……だけど。けど!名代で回ってるからほぼ同一人物、いや本人よ!」


「聞く限り絶対違うだろ。自信もないの分かるぞ」


「うるさいなー。そんなことは教えてませーん」


「間違ってるのか」


「う。間違いではない」


「じゃ、モネは金の秤ノ守であるとは言い切れないっと」


 少年はメモする。


「ちょっと!?」


 モネがメモを奪い、ぐりぐりと塗りつぶした。

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