第59話 幸せ
(あ、死んだ)
目の前に迫るナイフを前にレミリアは覚悟した。あのユリアが大人しくしていたことに油断していた。なにより警戒が必要だったのに。
ユリアは真顔だった。そしてなんの躊躇いもなくナイフを前に突き出した。
「ぐっ……!」
甲高い音と共にナイフは空中へ舞い上がっていた。カイルが杖替わりの長剣を下から上へ振り上げ、ナイフを払ってくれていた。そしてアレンがレミリアの体を引き寄せ、アルベルトがユリアとレミリアの間に入り、ナイフが腕をかすめた。
「なんでその女を庇うんだよぉぉぉ! 代わりにお前らが殺せ! 私のことが好きなら殺せぇ!」
アルベルトとカイルに向かって怒声を浴びせた。
「わぁ~すごいねぇ!」
ジークボルトが感嘆の声を上げる。そう言いながらもそのまま魔術でユリアを拘束していた。
「何すんだよおぉぉぉ!!! はなせぇぇぇ!!!」
腕と胴体が見えないロープで縛り付けられているかのようだった。大賢者の魔術だ。そう易々とほどけることはない。だがユリアは諦めない。体をよじってなんとか抜け出そうとする。
レミリアは情けないことに腰が抜けていた。カイルが学園で剣を抜いた時ですら、全く恐怖を感じなかったのに。本気の殺意を向けられるとこうも違うのかと驚いた。へたり込みそうになる所をアレンが抱え込んでくれている。そしてそれが気に入らない聖女の怒号が広い空間に響き渡る。
「大賢者様から離れろぉぉぉ!」
目を見開き、唾を飛ばし、声だけで脅しつけようとしていた。
(飲み込まれたらダメ!)
経験したことのない恐怖に震え上がりそうになるが、同時に絶対に負けたくないという気持ちが沸いた。そうして心に喝を入れる。
「うるせぇ! 大人しくしとけ負け犬!!!」
レミリアは負けないように大声で叫び返した。
「てめぇはもう終わりだ! 聖女としての価値もなくなった! もう諦めるのね!」
「うるさぁぁぁい! いいからジークボルト様から離れろよぉぉぉ!」
それを聞いてわざとアレンに体を擦り付けた。アルベルトとカイルが何故煽る!? といった表情でレミリアの方を向くが、そんなことは気にせず更に声を大きくする。
「この勘違い女! てめぇには絶対報いを受けさせてやるからな! 覚悟しとけ!!!」
彼女が犯した罪はあまりにも重い。今ではもう国外追放の冤罪だけではない。ユリアのせいで多くの人が命を落とした。そのことを考えると怒りで涙が出てきそうになる。
(国外追放の冤罪が可愛く見えるってなんて悲惨な状態なのよ!)
「はぁぁぁ!? そんなこと出来るわけないでしょ! 私はヒロインよ! 私が幸せになる物語よ!」
「なぁにがヒロインだ! てめぇみたいな邪悪なヒロインがこの世に存在するわけねぇだろ!」
ヒロインという単語の意味する内容が理解できていないアルベルトとカイルの2人は、会話の内容も理解できていなかった。
「悪役令嬢はさっさと死ねよぉ!!!」
「いやでぇぇぇす!」
目を見開いて舌を出し、出来るだけユリアが不快に感じるような顔で言い返した。狙い通りユリアは悔しかったようだ。
「いい加減目を覚ませ! ヒロインも悪役令嬢もない! ここは現実。私達にとって、その他生きとし生けるモノ全てにとって現実なんだよ!!!」
レミリアはユリアが一番大切にしているのは『ヒロイン』という自身の肩書だということに気が付いた。でもそんなものは存在しない。少なくとも今は。
だが、今更ユリアが現実を受け止めることなど出来るわけがない。
「大賢者様ぁ! 助けて! 助けてくださいぃぃ~」
再び可愛い子ぶり始めたユリアに一同はギョッとした。歪ませていた顔は可憐な乙女の表情に変わり、頬を紅潮させていた。レミリアは先ほどの言葉が何一つ伝わっていないことがわかった。悲しい、腹立たしい、そして理解できないという不気味さがレミリアの体に充満していく。
「どうしてそれが通じると思うんだ……」
呆れるように発言したのはアルベルトだった。だがユリアに正論は通じない。
「助けてぇ~皆がいじめるよぅ~怖い……」
「な、なにを言っているんだ……?」
カイルはわからなかった。これが一生愛を捧げると心で誓った相手だろうかと。そうして夢から醒めたような感覚に襲われた。そしてそれはアルベルトも同じようだった。
「何度も言うが、君にはなんの魅力も感じない。あるのは嫌悪感だけだ」
「何言ってるんですか? 私こんなに可愛いのに! 特別な力だって……」
その特別な力はもう唯一無二のものではなくなったことを思い出したようだ。
「ねぇ! そこの2人あげるからジークボルト様ちょうだいよ! いいでしょ!? 元婚約者なんだし!」
「ゴミなんかいらねぇよ!」
そう言ってまたワザとアレンの腕にしがみつく。
「ちょっと! これ以上私の彼に触らないで!」
「一瞬たりとも君のものになったことはない」
アレンもレミリアの腰を抱く。
「あんたが国外追放にしてくれたおかげて、私、とーっても幸せ! イケメンの大賢者様に溺愛されて何不自由なく暮らせるんですもの!」
ユリアが悔しそうに歯ぎしりをする姿を見て、レミリアは畳みかけるように言い放った。
「ああそれに! この国の新しい聖女になっちゃった! またまた人気者になっちゃうわ!」
「うわぁぁぁぁぁ!」
悪役令嬢がヒロインより幸せになるのがよっぽど許せないのか、ユリアは渾身の魔力で大賢者ジークボルトの魔術から抜け出した。信じられないような出来事に全員の反応が遅れてしまった。
ユリアは真っ暗な迷宮の中へと逃げ出した。
アルベルトが急いで後を追おうとするのをジークボルトが急いで止めた。
「大丈夫。彼女の居場所はわかるよ」
そうして人差し指から、一本の光の線が暗闇の先へと続いていた。
「先に
そう言ってまた地竜を優しく撫でた。
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