第14話 三人まとめて怒られた!

 その後が大変だった。


 郡王は俺をおんぶしたまま、スタスタと政務府を過ぎ、その上の建物までやってきた。奥に広がるのが、俺たちが元々生活していた場所なんだという。今は皇后宮と太后宮になっている。

 降ろされて、高いところから見下ろすと、この南都が湖のそばにあることがわかる。


「あそこに郡王府がある」


 俺が目覚めたあの郡王府は、湖から水を引き込むことができる、夏に湖を楽しむための私邸だ。皇帝が太后と皇后を伴って療養にやってきたので、いわば公邸とも言うべき南都宮を明け渡して、夏用の私邸に引っ込んだというわけらしい。


 門を守る近衛兵は、肩を震わせながら挨拶をした。


「周親王殿下、泉北郡王殿下、そして安渓県君娘子にご挨拶申し上げます」


 紅色の高い壁の中に入ると思っていた以上にそこは広い。ここの前殿を使うのが李皇后、後殿を使うのが姜太后だ。


「太后娘娘がお待ちです」


 妙に声の高いおじさんがやってきて俺たちに言った。多分宦官なんだろう。


 中に入ると、ずらーっとおばさんたちが並んでいて、その奥に婆さんがいた。

 四十になると、同じくらいの年齢や少し上の人たちが若い頃どんな顔だったかの想像がつくようになる。

 これがびっくりするほどのタヌキ顔のオンパレードだったのだ。どうやらここの美の基準はタヌキ顔らしい。

 だが、タヌキ顔の女から生まれたにしては皇子二人はなかなかの美男子だと思う。いや、郡王はどちらかというとタヌキっぽいか。


「太后娘娘にご挨拶申し上げます」


 俺たち三人は声を揃え、土下座した。


「構わぬ。近う、近う」


 婆さんが言って手招きまでするから、俺たちは立ち上がるが、この体では俺はワンテンポ遅れてしまうわけだ。周王と郡王がどちらも手を差し出すので、俺は右に周王、左に郡王の手を取った。


 前に進み出て近くに寄れば、婆さんと言っても六十までまだ少しあるのではないかという若々しい肌だった。

 重たいものなんか持ったことのなさそうな柔らかくて暖かい手で俺の手を取って言った。


「安渓県君、調子はどうじゃ」

「はい。王太医の処方してくださった薬を、泉北郡王殿下が煎じてくださいました。薬と休息のおかげで調子が良くなりました」


 婆さんは微笑んで、郡王に言った。


「郡王、皇帝を始めあいじゃらが療養にきた上に、夫人の事故まであり、心配事が重なったな。そなたはまだ若いのになんとよくやってくれることか。日に日にやつれておったが、一つは安心できるというものではないか。喜ばしい。少し休息を入れると良い」

 

 郡王が手に書いてくれた。「哀者」。あ、未亡人の自称?


 次は周王だ。


「周王も良い子じゃ」


 また俺に向き直った。


「安渓県君、次は輿を用意させよ」

「輿、ですか?」


 太后はぷっと吹き出した。


「そなたが記憶を失くしてしまったというのは、誠のようであるなあ。そなた、この南都宮城の女主人ではないか、そなたが使わぬなら誰が……」


 太后がそこまで言ったところで、おばさんたちが口々に挨拶をした。


「皇后娘娘に挨拶申し上げます」


 この次に、皇后宮に行くことになっていたと思ったのに、その皇后がやってきたのだ。

 十八の周王の母親ならば、いくら若くても三十五、おそらく四十前後だろう。確かに俺、つまり原田正人と同い年くらいらしい女が、顔を真っ青にして入ってきた。


 俺たちは顔を見合わせた。


「母后さま、」


 周王が挨拶しようとするところで事件は起きた。


 なんと皇后が、息子の挨拶を無視して、太后の前に跪くなり、板張りの床に頭をぶつけたのである。ゴツンと音がするほどに。


「皇后、皇帝に何か……」


 太后は椅子から立ち上がった。

 声を振り絞るように、皇后は答えた。


「……皇子たちのことでございます……」


 俺たちはまた顔を見合わせた。


 周王が、「あー、やっちまったー」という顔をしたのである。


「泉北郡王は、生さぬ仲でございますが、八つから十六で後宮を出るまでわたくしの手元で育った皇子でございます。それが、太后娘娘のお手元で育った安渓県君を民衆の目の前で負ぶって見世物にするとは言語道断。周王もおりましたのに止めぬとは、同罪でございます!二人はまだ二十と十八、思慮分別があるべきですが、若さゆえにお許しくださいませ!」


 うっわ、怒られたー。


「紫薇や、」


 太后に呼ばれて、横に控えていた紫薇が出てきた。


「ここに」

「そなた、安渓県君の乳母じゃな。民衆がどのように郡王夫妻について言っているか、今日一日かけて聞いてきておくれ」

「かしこまりました」


「皇后、」

 今度は皇后に向き直った。

「二人の皇子に罰を与えるべきか否かは、それを聞いてからでも構うまい」


 李皇后はどういう人物なのか。


 一つには、李皇后は実に他責的な人物であると捉えることができる。

 郡王のやったことを、責め立て、周王まで巻き込んだからだ。


 もう一つには、李皇后は実に自責的な人物であると捉えることができる。

 郡王のやったことを、責め立てておきながら、皇后たる己に免じて許せと言ったからである。 


 三つ目には、賢い人だ。李皇后が先手を打って、かなりイレギュラーなことをやらかしたらしい郡王の行動の余波を調べさせたからだ。


 さっき出たばかりの紫薇がすぐに戻ってきた。


「どうしたのだ?」


 太后に聞かれて、紫薇は笑いをこらえられぬと吹き出して答えた。


「申し訳ありません、婚姻の届けを出しに来た若夫婦がみな、」

「夫が妻を?」


 太后に紫薇は満面の笑みで大きく頷いて答えた。


「その通りでございます!」


 おばさんたちが口々に喋り始めた。


「そりゃそうでございますわよ、」

「美男美女の夫婦ですもの」

「お若いご夫婦の熱いこと熱いこと」

 なんとかしましいことか!


 そしてあるおばさんが周王に向き直った。


「周王殿下は間近にご覧になって、結婚したくなったのではありますまいか」


 周王は答えた。


「毎日のようにこちらの令嬢はいかがか、あちらの令嬢はどうかと縁談の山である。面倒だ。いっそ全員妾に迎えてしまおうか」


 恐ろしいことを言う。

 見上げると、美しい顔をにっこりと微笑ませていたのである。


 おばさんは顔を青くした。


「め、妾ですって?」

「みな身分も美貌も才能も、八嫂さまにははるかに見劣りするゆえに」


 おばさんの顔が今度は真っ赤になり、太后に向かって言った。


「娘娘!」


 そして視線が動いて、皇后の方を見た。まるで告げ口でもしようかと言う雰囲気で、実に見苦しい。


 太后は、呆れたと言いたげにおばさんに手を振り、周王に言った。


「長年の思い人をすぐには忘れられまい。人生はその年で思うよりも長い。そなたにふさわしい女人が現れるのをしばらく待つのじゃな」


 一見、姜太后は鷹揚な人のように思える。

 おそらく、ここにいるおばさんたちは、紫薇のように太后に仕えたことのある女官から役人の正妻もしくは妾に収まった女たちが少なくないのだろう。


 さっきのおばさんの年齢は四十すぎというとことか。俺におばさん扱いされるのもアレかな、おねえさんだ。

 まあいいや、四十前後のおねえさんだろ。二十歳前後から出産を始めるなら、十八歳の親王の正夫人にふさわしい年齢の娘がいても変ではない。


 それに対して周王は、「そんなに言うなら、身分が釣り合わぬ上にブサイクで鈍臭い女だから妾にしてやろうか」と不快がった。つまり、結婚したくない。


 太后は、その周王の希望通り結婚はもっと先だと宣言した。

 それは、鷹揚さだろうか。


 この、前近代らしい世界において、十八歳の男子は妻を迎えるのに不足のない年齢ではないだろうか。一年かけて準備して、十九で結婚すれば、郡王が趙小瑶を迎えて南都に赴任した年齢だ。


 この国で、即位しなかった皇子はいくつまで生きるのか。

 前近代において、子を成せぬことは不幸と捉えられるのか。


 わからんなあ。

 

 切り口を変えてみよう。

 太后は太子を廃嫡して、周王を即位させたいのか。


 それならば、血統が物を言う価値観の中では、生殖能力があることを見せるのは大切ではないだろうか。

 子がいれば、この人ならば、その次の帝位の承継も期待できるぞと示すことができる。


 しかし、太后は周王は当分正夫人を迎えぬと宣言した。

 つまり、生殖能力が重要ならば、太后は周王は太子と帝位を争わないと宣言したようなものだ。


 誰に対して宣言したのか。

 相手は太子かもしれない。

 周王は敵ではないのだと。


 あのおんぶが大騒ぎになったらしいから、必ず海蘭は太子に伝えるのではないだろうか。きっと、このおばさんじゃないや、おねえさん達の中にも、太子に近い人間はいる。

 そこから、必ず太子の耳に入るだろう。


 

  

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