番外編6 ご近所さん

 エディンビアにある冒険者専用の貸し部屋は、地元民の居住エリアにある。古い、もう使われていない宿屋を改装して作られた。

 改築当初は荒くれ者の冒険者が近所をうろつくことを嫌がる周辺住民もいたが、家主であるトリシアの気遣いや、改築中も周辺住人に気にかけ、冒険者らしからぬ配慮に徐々に受け入れ始めた者も多い。


「トリシアさん! 昨日はありがとうねぇ!」

「いえいえ。おじさん、お加減いかがですか?」

「おかげで元気元気! 念のため今日は家に転がしてるけど」


 昨日の深夜、トリシアは酔っ払った末に大きく転倒し、頭を打ってしまった八軒先に住む男性を助けていた。最近ではこの建物は近隣住人の駆け込み治癒院にもなっている。


「もうあの人、お酒は禁止よ!!!」


 思い出したようにその女性は鼻息が荒くなっていく。一通り心配し終わったあとで湧いて出てきた怒りのようだ。


「まあまあ〜お孫さんが生まれたお祝いだったんでしょう?」


 おめでとうございます、とトリシアはくすくす笑いながらその様子を見ていた。その日の昼から、件の男性が道ゆく人々に嬉しそうに孫の誕生を報告していたのを知っているからだ。


「それはそれ! いくらなんでも舞い上がりすぎ!」


 そういうとその女性は改めてトリシアに礼を言い、いい香りのするミートパイを渡して帰っていった。


◇◇◇


「トリシアさん?」

「そうそう。いや、なんか腕のいいヒーラーってのは聞いたことあるんだけどさ」


 貸し部屋の家主のことを探っているのは、この国の第二王子リカルドの護衛兼、王直属秘密機関に所属する特殊兵だ。黒髪の冒険者の格好をした男はマーリーと名乗っていた。今は貸し部屋のすぐ近くにあるスピンの実家に間借りしている。


「ありゃいい子だよ〜! 若いのに地に足ついててねぇ!」

「ふーん。どの辺が?」


 あくまで世間話、という体を崩さないようマーリーは会話を進めた。買い物帰りのご婦人の荷物持ちを手伝う、気のいい冒険者を演じながら。


「あらアンタ! よくあそこに住んでる身なりのいい魔術師とつるんでるのに知らないのかい?」

「そうなんだよ〜いっつもすれ違いでさ」


(意外と見てるな……)


 と、警戒レベルを上げることも怠らない。彼は立場上、身元がバレるわけにはいかないのだ。


「そりゃああの子、あの若さであんな建物作っちゃって! 将来のこと見越した冒険者ってあんまりいないだろう?」


 ご婦人は、アンタもちゃんと考えるんだよ! というコメントも忘れない。


「どうやってそんな大金貯めたんだろうな〜」

「なんでも、ひたすらコツコツ貯めたらしいのよ。なかなか出来ることじゃあないよ」


 どうやらこのご婦人はトリシアのことをずいぶんと気に入っている。それから小声だがペラペラと、トリシアが前にいたパーティを追い出されたということに対する憤りを語り、とはいえだからこそ自分達は、いざという時に頼れる存在がいるからありがたいのだけど……と、困ったように笑った。


(おっかしいな〜……この人、貸し部屋業に反対してたって聞いてたのに)


 今日はトリシアに否定的な感情を持つ人間の情報を集めていたのだ。そういう視点からの情報が欲しかった一方で、特殊なスキルを持つトリシアの状況を把握しようとしていた。国としてものために彼女を失いたくはない。


(ま〜あの貴族のお坊ちゃんがいたらそんな心配はいらんだろうけどな〜)


 ご婦人はまだまだ喋り足りないとばかりに、トリシアのあれこれを語り続ける。


 たまに王都で大きな仕事をしているだとか、魔道具の専門家と仲がいいようだとか……思いの外正確な情報を知っているご婦人方の情報網にマーリーは自信を失いそうだ。自分達が慎重に時間をかけて探った内容は、彼女達の立ち話に混じればあっという間に得られたのかもしれない。


「一昨日も真夜中にリットンさんのとこの旦那さん、飲みすぎた挙句に足を滑らせちゃってね〜。トリシアさん、ほんの少しも嫌な顔をせずにすぐに走ってきてくれたって奥さんもう本当に感謝してたのよ〜」

「ああ〜なんか騒がしい声が聞こえていたような……」


 もちろんマーリーはその件を把握している。なんせ王子の護衛も兼ねているのだから。騒ぎがあればすぐに対応するのが彼の使命。だからこそ、真夜中に酔っ払いの怪我なんて……とウンザリしたのだ。自分に迷惑がかかると嫌な顔をするタイプの男である。

 マーリーはそんなトリシアのことを最初、胡散臭い、と思っていた。孤児出身で、相棒に裏切られて、そんな真っ直ぐに生きていけるハズがないと。

 だからちょっと意地悪な言い方をしてトリシアに尋ねたのだ。もちろん、ルークがいない隙を狙って。


『聖女様でも目指してんの?』


 と。トリシアの方はすぐにマーリーの意図いじわるがわかったようだった。ニヤリ、と挑戦的に口元が上がったかと思ったら、


『それもいいかもね。でも私がこれ以上目立ったら、困るのはそっちじゃない?』


 そう言葉を返したのだ。だが、想像もしなかった返事にキョトンとするマーリーの反応を見て、


『……だって夜は気持ちよく眠りたいじゃない? ああ〜嫌な顔なんてしないですぐ助けとけばよかった〜! そうすれば今ごろ私もおじさんもおばさんも皆ただハッピーな気持ちでぬくぬくとベッドの中なのに〜! って』


 言い訳するように話しを続けた。


『要するに後悔したくないってこと?』

『そうそうその通り』

『それだけ?』

『それだけ!』


 え〜……と、答えに納得のいっていないマーリーだったが、トリシアはそれ以上取り合うことはなかった。


 ご婦人との道中のやり取りの報告も兼ねて、マーリーはリカルドリーベルトと一緒に昼食をとっている。トリシアの貸し部屋の東屋で。リカルドのお気に入りの場所だ。

 リカルドは婦人とマーリーのやりとりを面白そうにクスクスと笑いながら聞いていた。王都では優秀なマーリーでも、この街のご婦人方の情報網に遅れをとっているという事実がなんだか面白かったのだ。

 同時にトリシアの話になると表情がフッと柔らかくなった。彼にとってトリシアは最も情けない姿を見せている相手だ。だからこそ肩肘を張る格好をつけることなく接することができる友人だと思っている。


「トリシアは普通の女性さ。恨み言も泣き言もよく言っているよ」


 しかし、あらためて考えると不思議なこともあるようで、


「ただ……私達とは根本的な価値基準が違うんじゃないかと思う時はあるね。犯罪奴隷の件もそうだし、年齢の割に精神が成熟しているような落ち着きもある」


 リカルドは少しずつ真面目な顔になって考え始めた。


「スキルが発現した四、五歳の頃から他人にバレないようひた隠しにしてたなんて信じられないんですよね〜」


 トリシアを調べていたマーリーはまずは何よりそれが不思議だった。そんな幼い頃から、世の情報が入ってこない孤児院の中で、スキルがバレた時のリスクを考えながら暮らせるだろうか? と。

 彼女の生みの親はいまだにわからずじまい。生まれてすぐの状態でウィンボルト領の孤児院前に置かれていたことから、その時期にその周辺にいたと思われる妊婦を全て探しているが、それでもまだ見つかっていない。


「そう。そんなことができる子供がいるとも思えないが……実際にはいるわけで」


 読み書き計算、魔力コントロールはともかく、大人相手の処世術なんてどこでどう学んだのか、と。

 特殊なスキルを持っていることを除いては至って普通な彼女だが、所々でその道のプロ達が引っかかるナニカが出てくるのだ。


「トリシアに素直に尋ねてみたらどうだ? 案外アッサリ教えてくれるかもしれないよ」

「そんな俺のプライドズタズタになるようなこと言わないでくださいよ〜」

「アッハッハ! すまないね!」


 この貸し部屋に住み始めて、明らかに健全な笑顔を取り戻しているリカルドを見て、マーリーは当初少し悔しく思っていた。自分達に成し得なかったことをこの建物はあっという間に達成したのだ。彼が最も望んでいると思われる、愛しのエリザベート嬢との結婚が叶っていないというのに。


(ま〜いっか。お陰で俺も夜は気持ちよく眠れてるしな)


 そして、ああトリシアが言っていたのはこういうことかもしれないなと、ほんの少しだけ口元が緩んだ。 


「どうした?」


 マーリーの内面の変化を感じ取ったリカルドが、なになに? と興味津々といった表情で覗き込んでくる。


(こういうことは目ざとく気が付くのにな〜)


 こっちの心配には少しも気付かないのに、と苦笑するのをマーリーは堪えた。


「ご近所さん達、愛するエリザベート嬢の結婚相手として、リカルド王子よりも同じ屋根の下に住んでいるリーベルトとかいう冒険者と結ばれた方が幸せになるのでは? と噂しているようですよ」

「え!? えええええ!!?」


 ニヤニヤとどうしよう〜! と、上がる頬を抑えきれないリカルドを見て、今度はマーリーが声を上げて笑った。

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