第3話 邸宅②

 驚いたままのトリシアの表情をみて、エリックはまたメイチェ夫人に確認するように視線を向けた。


「もう! そんな勝手にアレコレ話したりしないわよ~! 貴方達にとって大切なことでしょう? それに……」


(それに?)


 どうやらちゃんとした理由があってこそのようだ。だが、メイチェ夫人とエリックの間でほとんどすり合わせがなかったせいか、ちょっとした混乱を招いてしまっている。エリックは多忙だ。今日はどうしてもトリシアに会いたくて無理やり時間を捻出した。彼にとってもこの屋敷のことは大切なことなのだ。


 置かれた椅子に腰を掛け、エリックは思い出話をし始めた。少し気恥ずかしそうだ。


「父は冒険者でね。この街を拠点にしてはいたけれど、定住というには程遠かった」


 実は別の街に他の家庭があったのかもしれないけどね、と明るく笑っているがトリシアは反応に困ってしまう。冒険者ならありえる話なのだ。


「母は父のこと愛してたけど、同時に憎かったんだろうねぇ。父が死んでしまってからはこの街に住んでるっていうのに冒険者を毛嫌いし始めて。いつも冒険者の悪口を言っていたよ」

「それは貴方が冒険者になるなんて言ったからだわ」


 夫人が咄嗟に口をはさむ。


「え!? そうなの!?」

「そうよ~! 奥さん、それはもう心配してたんだから! お父さんのように若くして死んだらどうしようって泣いてたのよー!」

「し、知らなかった……」

「だから無理してでも働いて貴方をいい学校に入れて……貴方は寂しかったでしょうけど……」


 メイチェ夫人は幼いエリック少年の気持ちにも思いを寄せた。


「ご近所さんが皆かまってくれてたからそれはないよ」


 ニヒヒと笑う顔が少年のようだった。この笑顔があれば、近隣住人に可愛がられたのも納得だ。


「まあそれで……」


 少し咳払いをして、気を取り直したようにトリシアの方に向きなおった。


「トリシアさんの龍の巣、母は酷くショックを受けていたんだ。抗議の手紙をうけとっただろう?」

「あれって!」

「ああ。うちの母だ。……亡くなる前、あの手紙を出したことを後悔していたよ。恥じていた、という表現の方が近いかな」


 トリシアは貸し部屋業を始める前、少しばかり近隣住人からクレームを受けていた。冒険者が住宅街に入り込んだら治安が悪くなるという不安が住人らにはあった。それは冒険者街を見れば否定できる事ではないので、トリシアは住民の不安を解消するのに苦労した。結局は市民のアイドル、エリザベートが住むことによってアッサリと解消されたのだが。

 ほとんどが直接、面と向かって不安を伝えられたが、1通だけ匿名の手紙もあった。それがこの屋敷の女主人だったのだ。


(あの手紙はどちらかというと貸し部屋への不安ってより冒険者って概念への悪口って感じだったからあんまり気にしてなかったのよね……)


 自分勝手だとか、不誠実だとか、快楽主義だとか、だから冒険者が一か所に居つくわけがない、長期の利用の貸し部屋なんて上手くいくはずがない……そんなことがつらつらと書かれていた。


(思い出して辛くなって、あの手紙に吐き出したのね……)


 もう何十年も前のことだと言っても、心に残った傷跡から溢れ出してしまったのだろう。


「母はね。羨ましかったんだ。冒険者がこの地に住み着いて、冒険を楽しんで、それに平和な日常まで得ることが。そんな冒険者がいることが……父がそうでなかったことが悔しかったんだそうだ」


 トリシアは黙って聞いている。あの手紙にそんな背景があったとは思いもしなかった。


「だから自分もそういう冒険者の手伝いをと思った矢先に体を壊してね。だからこの屋敷をトリシアさんが使ってくれたら母も本望さ」


 私もね。と優しい笑顔を向けられた。彼女はトリシアに謝りに行く計画も立てていたが、病状はどんどんと悪くなり、結局それも叶わなかった。それも思い残すことの1つなのだと、エリックは寂しそうに語った。


「長年母の苦しみに気が付けなかったんだ」

「タンジェ商会として、お母様のご遺志を継いで貸し部屋業をされることは考えなかったのですか?」


 タンジェ商会がそういう商売をしていないのは知っていたが、どうとでもなるだろう。人手も金もあることは知っている。まあ大手に手を出されたら困るのはトリシアかもしれないが……それだけ思い入れがあるのなら、自分でやる方がいいのではないかと思うのは当然だ。


「もちろん、が貸し部屋業を始めることも考えたんだが、トリシアさんほど冒険者の為を考えることが出来ないだろうからね」


 エリックはすでに冒険者になりたかった頃の自分ではなく、商売人となった自分をよくわかっていた。始めはよくとも、いつかは利益主義になってしまうことを恐れたのだ。血の通った、トリシアのような気持ちの人間が作り上げた方がきっと母親も満足すると確信していた。


「買いかぶり過ぎです……!」

「そんなことない。私は、君ほど楽しんでこの件には取り組めないだろうから」


 それに関してはトリシアはあっさり認めざるをえない。ずっとワクワクしている。不安がないわけではない。だがやはり楽しみなのだ。色んな計画が頭の中に浮かぶ。


「トリシアさん。条件が合わなかったら断ってもいいのよ! 情に流されることはしないでいいからね」


 メルチェ夫人が1番気にしていたのはそこだった。だからエリックからトリシアと頻繁にあう自分に相談が来た時少し迷ったのだ。夫人はトリシアのことも、巣の住人のことも気に入っていたので、彼女が管理する建物が近隣に増えるのは歓迎だった。

 だが、いくら安くするといってもそれなりの金額だ。トリシアが買わざるを得なくなる状況は避けたい。が、理由を話せばどうしても情に訴えかけることになってしまう。だから事前に情報はほとんど渡さなかった。そしてトリシアは夫人の心配に気が付いた。


(メルチェ夫人、相変わらず優しいな~)


 ハッキリと意見をするが、いつも相手の事を考えてくれている。


「ありがとうございます。でも私、このお屋敷とっても気に入ってしまいました」


 エリックの顔がパアっと明るくなっていく。


「でも本当によろしいんですか? 言い値っておっしゃいましたよね?」


 わざと挑発的な笑みをエリックに向ける。


「商人に二言はないよ!」


 先ほどのニヒヒという笑顔だ。


「ではスピンさんと改修費がどれくらいかかるか確認してからでもいいでしょうか」

「もちろんさ……本当に遠慮はいらないよ……トリシアさんがこの屋敷を……私達の気持ちを引き取ってくれるとおもって、今本当に嬉しい……ホッとしているんだ」


 エリックの穏やかな表情をみて、それが彼の言う通り本心なのだとわかった。彼にとって、母親の最後の願いを叶えることはかなりのプレッシャーで、なんとかその願いを成就できるところまできているのだ。


 結局、屋敷内の家財と大きな風呂の魔道具はエリックに帰し、建物とトイレ、厨房の魔道具代として、相場の7割の金額でその屋敷を買った。この屋敷の厨房では『エディンビアの家庭料理を広める会』の前身団体が活動していたと聞いて、そのままにしておきたかったのだ。


「相変わらずだなぁ」


 ルークがあきれるふりをして面白そうに言いうのは想定済みだ。


「流石にあの家をこの値段以下で買ったら罰が当たりそうで怖かったんだもん!」


 小心者だと自分でもわかっているが、これで気分が落ち着くならそれでいいとトリシアは思っていた。


「僕はトリシアさんのその気持ち……わかります!」


 スピンはあの建物の価値がわかるからこその意見だ。


「ま! 頑張れよ!」

「うん!」


 そうやってついに2号棟の計画が進み始めたのだ。

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