親切な老人

業 藍衣

第1話 赤いスカート

「はぁ~」


真理は不意に、大きなため息をつく。


娘の蒼衣と病院に向かうために電車で移動しているのだが、車内は全ての座席が埋まる程度に込み合っていて、ちらほらと立っている人も見受けられる。

真理もその中の一人として、つり革に掴まり、もう片方の手はしっかりと蒼衣の手を握っている。

大きな溜め息をついた母親を心配したのか、繋いだ手を引き、真理の顔を見上げ問いかける


「ママ、大丈夫?」


慣れない電車と母親の辛そうな表情に、蒼衣の顔は不安でいっぱいだった。


「うん、大丈夫よ。ため息ついてごめんね。心配してくれてありがとう」


そう言って真理は優しい笑顔を娘に向ける。

蒼衣は照れ臭そうにうつむくが、真理のありがとうの言葉が余程に嬉しかったのか、お出掛けように買ってもらった、真っ赤なスカートを空いている方の手で勢い良くはらう仕草をしている。

不意にその手が蒼衣の前の座席に座る髪型をキッチリと整えた白髪のお爺さんの膝に勢いよく当たってしまう


「あっ……」


蒼衣がそう声をあげると、お爺さんは寝ていたのか、眠たそうに大きなあくびをひとつすると、目の前に立っている怯えた少女を優しく見つめる


「ご、ごめんなさい……」


そう精一杯の謝罪の言葉を口にする少女にお爺さんは満足そうに満面の笑みを向けて、


「ん?ああ、気にすることは無いよ。対して痛くも無いし私は大丈夫だから…それよりもお嬢さん、今日はママとお出掛けかな?」


お爺さんは優しい口調で蒼衣にそう問いかける。

蒼衣は少し怯えながら、真理と繋がれた手に力を込めながら、


「う、うん」


そう口にするのがやっとのようだった。

真理はそんな二人の様子を見て状況を察知したのか、慌てた様子で


「あ、あの娘が…すみません。」


そう真理が謝罪を口にすると、お爺さんはニコニコとしながら真理へと視線を向け、


「まぁ、そう気にすることは無いさ。お嬢さんもちゃんと謝ることが出来て偉かったね。」


そう言って真理と藍衣を交互に見て、それから車内を見回したお爺さんは


「こんな小さな子を連れてお出掛けとは大変なことだ。ご苦労様、お嬢さん次の駅に停車したら席を代わってあげよう。」


そう言って老人は微笑む。


「いや、そんな…」


真理はあたふたしているが、老人は優しく微笑み、ゆっくりとした口調でポケットから手帳を取り出し、何か確認をしてから「おっ!」と小さく声をだすと、


「いや代わらせてくれ、私は神田で降りなければいけないらしいのだが、後3駅はあるようだからね、座っていたら今みたいに寝しまって、寝過ごしてしまうよ。」


そう言って、右手でキチンと髭の剃られた顎に触れながら


「ん?そう考えるとお嬢さんに救われたようだね、ありがとうね」


お爺さんはそう感謝の言葉を口にしながら蒼衣の頭を撫でていると、電車は上野駅に停車する。

お爺さんは幾人かの乗客が乗り込んで来る中、スッと席を立ち上がると蒼衣を自分の座っていた席に座らせ、つり革に掴まると


「利口そうなお子さんだね」


そう老人は微笑んで真理に話しかける。


「ありがとうございます。あの、でも」


真理は座席に大人しく座る娘と老人を交互に見て、少し戸惑う。

すると老人は、シワがたくさん刻まれたまぶたに力を込めて大きく目を見開くと


「はは、こう見えても私は昔は調理の仕事をしていてね、足腰は強いのだよ。一日中立ち仕事をしていた頃を考えれば、三駅くらいはなんて事無いのだよ」


そう言って老人は両手でつり革を掴むと車窓から外の様子を眺める。



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