第9話 事故 (後編)

 家のドアが開く音で目が覚めた。玄関に目を向けると立っていたのは、雨に濡れたジュリの母ミルさんだった。


「ミルさん! ジェイドさんは……?」


 かなり落ち込んでいる様子で、俺たちに近づきながら首を横に振った。


「村の人たちも探してくれたけど、今日は見つけられなかったわ。今日はもう暗いし危ないから、明日またみんなで探してみるわ」


 本当はすごく不安だろう。今にも泣いてしまいそうだった。それでも俺たちを気遣いなんとか耐えているといった感じだ。母親というのはどこの世界でも、とても強い。こんな時でも、娘の前だからと冷静だ。俺は何も声を掛けられなかった。


「アグリ君、今日は家に泊まっていくといいわ。これから帰るのも危ないしジュリも安心してるみたいだから。シェルシとへベルには言ってきたから大丈夫よ」

「分かりました。ありがとうございます」


 ミルさんはタオルを手に取り、濡れた髪を拭いているとジュリが目を覚ました。すぐに母のもとに行き尋ねる。


「ママ! パパは!?」


 ジュリは辺りを探すように見渡す。でもここに父親の姿はない。

 ミルさんはジュリに近づき、落ち着かせるように頭を撫でながら話す。


「ジュリ、今日は見つからなかったわ。きっと雨風を凌げる場所に居るのよ。明日、明るくなったらまたみんな探してくれるそうよ。きっと帰ってくるわ」


 ジュリは寂しい声で「うん」とだけ呟いた。



 その夜。激しい雨の音も治まるは無かった。不安の気持ちがどんどん大きくなり、誰も眠りに就くことは出来なかった。外が明るくなってきた頃に、風の音も穏やかになった。


 気付けば、ミルさんは俺達の朝ごはんを用意していてすぐに探しに出かけた。その間も2人で両親の帰りを祈った。



 しかし母の希望の言葉も、俺たちの祈りも、村の人の努力も虚しく、ジュリの父親ジェイドは生きて返ってくることは無かった。

 朝から村総出で捜索してしばらく、ジェイドは田んぼの排水路で見つかり、帰らぬ人となった。


 ジェイドが家に運ばれ、一晩ぶりの帰宅となり、変わり果てたジェイドの姿にミルさんは泣き崩れ悲鳴のような声が部屋に響く。近くに居るジュリは「パパ」と呟き、立ち尽くしていた。

 俺の母は崩れ落ちたミルさんに近づき、何も言うことなく背中をさすり、一緒に泣いている。


 俺は、ジュリが呆然と立ち尽くしているのを、ただただ見守る事しか出来なかった。



 次の日、ジェイドと最後のお別れをした俺たち家族は、ミルさんとジュリにお礼を言われていた。


「シェルシ、ヘベル、アグリ君も。何から何までありがとう、とても助かったわ」

「アグリ、おにぎり美味しかった。また食べたい」

「分かった。また一緒に食べよう」


 母はミルさんを強く抱きしめ何か声をかけている。


「ジュリ、俺に出来る事があったら何でも言って」

「ありがとう」


 俺たちはミルさんと別れ、帰り道を歩く。家族三人でこうして歩くのも、傍から見れば当たり前なのかもしれない。でも今の俺たちにとっては、とっても幸せな事なんだとつくづく感じた。すると突然、父が口を開く。


「アグリ、ミルはジェイドが居なくなってやもめになった。周りの俺たちがしっかり支えになってやろうな」

「うん。分かった!」

 

 おそらくミルさんは、これから大変な苦労を経験することになるだろう。もちもんジュリもだ。なんとか力になりたい。父も母も同じように思っているだろう。


 農道を歩いているとジェイドの畑があった。まだドロドロの畑には捜索時の足跡がたくさんあり、荒れていた。


「あれって」

「どうした、アグリ」

「ちょっと待ってて」

「アグリ! 危ないわよ」


 後ろから聞こえてくる母の忠告を無視し、勢いよく畑に入った。ドロドロの土に足が沈み、泥が跳ね、服に付くが構うことなく走る。道から少しだけ見えた物……、もしかしたら。


「やっぱりそうだ」


 畑の奥に見えた緑色の葉。ゆっくりと畑の泥に手を入れて、丁寧にかき分けた。特徴的な葉の形をしている、それは見ただけで何を実らせるのか分かった。ジュリが言っていた甘い物。


「ジェイドさんはこれを守ろうとしたんだ」


 その細い苗を根から丁寧に引き抜き救出した。

 畑を出て、泥だらけになりながら父に自分の想いを話してみた。この決定が、この決意が俺の人生を変えるだろう。あれだけ農業が嫌いだった俺が、また畑に足を踏み入れようとしているのだ。


「お父さん、この畑俺が管理したい。ジェイドの守りたかった物、俺が守りたい」


 すると父は驚くこともせず優しく言ってくれる。


「ミルに聞いてみると良い。ただ、その責任は重いぞ。背負う覚悟はあるのか?」


 俺は力強く頷き、ミルさんのもとへ走った。


 快く了承してくれたミルさん。これでここが俺の畑になるのか。


「でも……」


 頭の中で、今後のミルさんの生活を想像する。いくら俺が農業の知識があるとはいえ、この体。この体力。さらに機械すらないこの世界。そんなやった事も無い農業をこれから始めるのか……。


「お父さん!」

「どうした? 帰らないのか?」

「ちょっと……」


 父にしゃがんでと指示をして、父の耳元でこっそり相談する。


「そうだな、分かった。しばらくは二人で協力しよう」

「ありがとう!」




 次の日、朝早く起き新たな挑戦へと一歩踏みだす。昨日、母の忠告を無視し畑に入り、ドロドロになって帰ってきた事をこっぴどく叱られた事は一晩寝たら忘れてしまった。


「俺の畑。美味いもん作ってやる」


 そう意気込んだは良いが、まだ水が抜けていないので本格的な農業はもう少し先かな。

 父の畑から乾いた土を少し貰ってきた俺は小さな箱に土を入れる。たっぷり水を含ませてから昨日、救出した苗を植えた。


「大きくなって、ジュリに喜んでもらえますように」


 祈るように作業を終えた。

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