第12話 ただ見ていた

 見ていた・・・・・

 なにもできずに、ただ見ていた。

 目を瞑ることさえ許されずに。


 真紅の悪夢が、広いリビングを支配している。全身が震えていた。嵐に弄ばれる木々のように。


 神介の目の前で美紀は汚され、そして・・・・・


 「ふふ、見たかい。聞いたかい。いい声だったろう」


 美しい口の周りが、しっとりと濡れていた。まるで真紅の薔薇のように。


 強く逞しい父の義雄が、美しく優しい母の雪子が、そして、大好きな姉の美紀が、


 悔しさ、悲しみ、絶望、何もできない無力感、泪さえ凍りついていた。


 優しかった、美しかった美紀の着ていた白いタンクトップと白い下着だけが、紅い海のなかに残されていた。


 ほんの数時間前に、家族4人そろって、のんびりと楽しいひとときを過ごしていたのに。


 黒髪が、心を奪われて白く、いや銀色に色を変えていた。いつも明るく輝いていた煌めく瞳は、すべての感情を失った闇色に変化していた。


 目の前で、美紀が・・・・・


 誰にも負けない、負けたことがない自信が、まるで氷のように溶けて流れた。


 「さあ、待たせたね。今度は、お前の番だよ」


 熊が、虎が、狼が、裂けた口角から涎を滴らし、獲物を眺めている。


 燃えるような血色の瞳に見つめられ、身動きできない神介に、美女はゆっくりと歩み寄った。美しい顔が目の前にいる。顔に温かな息がかかるほど。


 「おや、震えているのかい」


 のぞき込む。下から、まるで顔を舐め上げるように。美しい。雪子より。いや、美紀よりも。誰よりも。


 さらに近づき、瞳の奥をのぞき込む。吐く息が熱く、真紅の薔薇の花の薫りが神介の顔を打った。


 「さあ、宴を始めよう。お前たちも、楽しむがいい。獲物の手や足は、お前たちのご馳走にしてやろう」


 「グオゥ、ありがとうございます」


 まだ満ち足りていない熊が、虎が、狼が獲物に群がり、身動きも出来ない神介の手足に鋭い爪を立てた。


 「慌てるんじゃないよ!まずは私が食べてからさ。温かな活きのいい内蔵をね」


 美女が神介の顎を下から掴み、鋭い爪を立てながら顔を上に向かせた。


 「おや、震えていないのかい。さっきまで、まるで小鳥のように震えていたのに」


 「グッ、グッ、グッ。」


 三匹の獣たちも卑しく笑っている。


 「残念だ。泣き喚き、怯え、恐怖する。これが楽しみなのさ。あまりの恐怖に、狂ってしまったのでしょう」


 熊の思念が、脳みそを揺さぶる。


 「まったく、他愛もなかったね。本当に、こやつが大魔星のおっしゃっていた例の男なのか?あまりに弱い、弱すぎる。間違いでないのかい?」


 「いや、間違いありません。手を尽くし調べた結果、こやつにたどり着きました」


 「まあ、よいか。我々にとっての獲物であることには変わりない。まずは腹を満たそう」

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