第1話 私は愛する人の幸せを願う
「セラ」
優しげに私の愛称を呼ぶのは、レミアム=サンセット公爵令息。
我が侯爵家の庭にある東家に、供も付けずに迷いなくやってきた。
今日はとても天気の良い日だ。
日差しを浴びたレミアムの薄い金の短めの髪が、風に靡く度にキラキラして見えている。
(もう決めたことでしょ、セラ)
思わず表情が緩みそうになるのを堪えて、冷たく眼線だけレミアムを見た。
円形のテーブルの私の反対側の席につくと、彼は深い溜息をつく。
「久しぶりだね」
「ええ、1年ぶりよ」
レミアムは残念王子と評される、第二王子の側近でつい3日前まで隣国に留学していた。
こうやって会うのはほぼ1年ぶりだ。
そして、3日後には王子の帰還パーティーが王城で開かれることになっている。
「パーティーのエスコートの件もそうだけど、婚約を円満に解消したいって、どういうことか聞いても?」
「そのままの――意味ですわ」
私はいきなり本題に入ってきたレミアムから視線を外すと、手元で揺れる紅茶に目をやる。
「セラの卒業を待って結婚式を挙げることになっていたよね?」
「ええ」
「それなのに、何故?」
レミアムは他の側近たちとは違って、留学中も何度も国に帰ってきている。
だけど、私とは会っていない。
代わりに――。
「ソニア嬢――それだけ言えばお分かりになるのでは?」
彼女のことを口にした途端、レミアムの顔色は真っ青に変わった。
「……知っていたの?」
「ええ。皆さん、わたくしを心配して、色々と教えて下さるから」
「ソニア嬢とは、何もないよ、セラ」
「そう、でしょうか」
私の書いた手紙に、一通も返事を寄越さない。
国に帰ってきても、一度も姿を見せない。
この3日、音沙汰もなかった。
私は苦しかったし、寂しかった。
本当に会いたかったし、触れ合いたかった――なんて、手ぐらいしか繋いだことはないけど。
それなのに、ソニア嬢とは会っていた。
人目を忍ぶことなく、街中の女の子が好きそうなカフェで。
楽しそうに会話していたのを、私も見ていた。
その時の真っ黒になった気持ちは、きっとレミアムには理解できないだろう。
悔しくて、苦しくて。
助けを求めていた時に、会ったのだ。
私の手を取ってくれる人に。
「わたくし、一昨日見ましたわ。わたくしもクラスメイトに誘われて、あのカフェにいたのですよ」
「……」
はっとしたように私を見ると、レミアムはさらに表情を悪くする。
真面目で融通があまり効かない、レミアム。
これだけの不誠実な対応されているのに、婚約破棄に難色を示すなんて。
私としては少し意外だった。
(わたくしとの事、終わりにしたいから、あのような目立ち行動をしたのではないの?)
「……僕が君に対して不誠実なことをしているっていう自覚はある。だけど、少し待って欲しいのだ」
「どうして?わたくしと婚約しているのは、火傷のことを気にされてるだけでしょう?」
私には左肩から背中にかけて、少し目立ち火傷の痕がある。
レミアムが幼い頃、火の魔法の加減を間違えた為、私のドレスが焼けてしまったからだ。
幸い発見も早く、うちの両親やレミアムの両親が素早く治癒師を手配してくれたため、大した傷にはなっていない。
成長した今となっては、少し痕がある程度だ。
だけど背中のあいたドレスが着れなかったりと、それなりに不便ではあるが――色気たっぷりのドレスは私の趣味ではないので、特に大きな被害を被ったとは思っていない。
ただ結婚となると、相手の男性にも初めから知ってもらった上でお付き合いしていきたいと思っている。
全ての事情が分かっているからこそ、婚約したのだ。
だけど――。
(私はレミアムには、好きな女性と幸せになって欲しい)
私自身のことは、幼馴染で友達の延長線上にしか、彼の中では思っていないだろう。
それよりも傷を負わせた罪悪感が、優っていると思う。
そう思うと、自分がとても滑稽だ。
(罪悪感から出た優しさで、好きになってしまうなんて――我ながら馬鹿げていたわ)
その現実を真っ向から突きつけられた一昨日、私は縋るように手を伸ばした。
(まさか、本当に協力してくれるなんて思ってなかったけど)
「――それだけじゃないよ、僕は――」
「セラ嬢」
レミアムの言葉を被せるように、私の隣に長身の男性がたった。
「えっ、なんで――殿下?」
「よお、レミアム。昨日ぶりだな」
残念王子なんて呼ばれている、ユーリス=ロッソ第二王子が満面の笑みを浮かべて、私の肩に手を置いた。
(でも、この人の本質は残念王子じゃない。わざとそう見せているだけ)
直接会話した一昨日から、私の認識は間違っていて、世間の噂ほど当てにならないと思ってる。
「殿下」
私は立ち上がり、カーテーシをしようとするも殿下の手で止められた。
「必要ないよ、セラ嬢。僕たちは婚約者になるのだから」
悪魔のような魅惑的な微笑みを浮かべて、私を見つめる。
淡い翠玉のような瞳は蕩けそうなほど、熱い視線を送っている。
(演技だと分かっていても、髪を切られて精悍さが全面に出されたら……ドキドキしてしまうわ)
「そんな!どうしてそんな事に!セラのこと、殿下は知らなかったはずだ!」
「んー、でも、僕たちは出会ってしまった。これは運命だよ」
そう言いながら、殿下は私の長い白金色の髪を1束すくってキスをすると、私の体温が一気に上がっていくのを感じる。
(きっと、顔まで真っ赤だわ……)
これはレミアムを欺く演技だと分かっている。
それでも、そういったことに慣れていない私のとっては心臓に悪い。
「――レミアム、早く家に帰って今後のことを、父親と相談したほうが良い。これは友としての忠告だ」
ユーリス殿下の圧に気圧されたのか、レミアムは俯いたまま屋敷から去って行った。
その寂しいそうな背中に、私の心は揺れる。
(でももう始まってしまった)
今更、後戻りなんて出来ないのだ。
レミアムが去った後、側付きの侍女以外がいるだけで、2人きりとなった。
殿下は魅惑的な笑顔を浮かべながら、レミアムが座っていた椅子に腰掛ける。
その仕草でさえ、優雅で、とても残念王子と呼ばれていたなんて思えない。
私は深い溜息をつきながら、殿下を睨みつけた。
「殿下、やりすぎでは?」
「そんなことないよ――アイツはそう簡単に引き下がらないと思ったからね」
そう言いながら、短くなった銀色の前髪を触る。
一昨日会った殿下とは、大違いだ。
「これで、かなり前進したはずだよ。僕としては役得だけどね」
この計画に頷く前から、殿下はこの言葉を繰り返している。
「役得――ですか?」
「そう――僕は本気で口説くし、本気でセラ嬢と結婚するつもりだよ」
「でも――」
「もう後戻りは出来ないし、きっと明後日は僕たちのことでもちきりになると思うよ」
殿下は少し意地の悪い笑みを浮かべると、立ち上がった。
「もうお帰りに?」
「ああ、今日は牽制のつもりだったけど――まあ、明後日の朝迎えを寄越すから」
それだけ言うと、殿下は屋敷から去っていた。
(もう迷わないって、決めたはすよ)
それでもジクジクと心が痛いのは、レミアムに片思いしていたこの10数年の思いが嘘ではなかったということ。
私はもう1度溜息をつくと、一昨日のことを思い出していた――。
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