2 バカ高理論

 保健室に入ると、登坂さんが当たり前みたいにお弁当を突っついていた。わりと茶色いというか、年配の人が作るようなお弁当だ。


「あ、マドノくん。どうしたの?」


「い、いや、あのさ……将棋、弟に負けっぱなしで悔しいから、登坂さんに教えてもらえたりしないかなあって」


「いいよ? でも棋力に差が大きいから、そうだなあ……わたしと指すなら六枚落ちくらいが適当かな。手加減しつつだろうけど」


「六枚落ち?」


「駒落ちっていって、強い方、上手っていうんだけど、上手が飛車角桂香を最初から持たないで指すやつ。まあお弁当食べながらゆっくりやろうよ」


「すごいハンデだけどそれでも僕負ける?」


「うん、負けると思うよ」


 登坂さんはニヒヒと笑った。かわいい。


「まあマドノくんは悔しいって思ってるところを見るにわりと将棋向きなんだと思うよ。とりあえず指してみよう」


 タブレットが出てきた。僕はチーチクをもぐもぐしながら、上手の駒の並ぶ様子を見る。圧倒的戦力差。これくらい差があっても僕はやり込められてしまうのだろうか。プチトマトを口に放り込む。


「コマ落ちは上手が先手。将棋はよく見るのが肝心」


「よく見る」


「そう。駒落ちにかぎらず、自分だけでなく相手の持ち駒と相手の陣形をよく見ること」


 なるほど。とにかく六枚落ちの勝負が始まった。


 気がついたら登坂さんの歩がどしどし出てきて、それをバックアップするように金銀がどんどんひっついたまま出てきて、手も足も出ないまま攻めようとして動かした飛車を取られた。なんとか再起を図る――そうだ、と金をいっぱい作ろう。そうすればなんとかなるかもしれない。元手は歩なのだし。


「ほーう垂れ歩を知っていたか。AIの進化を見るようだ」


 登坂さんは卵焼きとゆかりご飯をぱくぱく食べながら、どんどんこちらに駒を進めてくる。よくわからないけど場当たり的に動かしてできた隙間に取られた飛車を打ち込まれてしまった。


「これを両取りといいます」


 よくよく見れば銀と香車が両方狙われている。銀を逃げたら香車を取られた上に飛車が成ってしまった。


「どうする? 続ける?」


 ああ、これが負けということかあ。弟とは比べ物にならない。蹂躙された、そんな感じだ。


「負けました!」


「はい。垂れ歩を知ってたのはちょっと驚いたけど、むやみにと金を作ってもそれで攻めるときにどうするかの作戦がないのが敗因」


 登坂さんはぱぱぱとタブレットの手数を戻す機能で、僕がと金を作った局面に戻した。


「定跡を勉強してみるといいよ。駒落ちは定跡のありがたさと定跡だけでは勝てないことをよく教えてくれるよ」


「定跡って、矢倉とか相掛かりとかそういうの?」


「まあそれらも定跡。でももっと簡単な必勝法が六枚落ちにはあるわけだ。ちょっと見ててね」


 登坂さんは自分一人でぱぱぱと定跡の形を並べてみせた。右側の香車を浮かせて、その下に飛車がいる。これでいちばん右、1筋を突破するらしい。

 スクショを送ってもらう。それから登坂さんオススメの将棋アプリを聞いておいた。「ぴよ将棋」というやつだ。


「まあ弟さんに負けたくないならこれ読むといいよ」と、登坂さんはずいぶんボロボロになった本を渡してくれた。将棋の入門書だ。ぬいぐるみみたいなおじいちゃんの写真が表紙に載っている。このひとバラエティ番組で観たことがあるぞ。


「この人、ただの変なタレントじゃないから。偉人だから」


「そうなんだ」


 そこで昼休み終わりの予鈴が鳴った。食べ終わった弁当箱を片付けて、僕はふと思ったことを言う。


「もしかしてこの本、僕のために持ってきてくれたの? 登坂さん、自分じゃ初心者むけの本はいらないよね」


 登坂さんはボッと赤面した。


「まあ……違うと言ったら嘘になっちゃうな」


「ありがと。じゃあね」


 僕は教室に小走りで向かった。その日の授業も、概ね退屈だった。言われなくても教科書を読めば分かるようなことばかりやっていた。


 家に帰って、ぴよ将棋をインストールして試してみる。もちろん駒落ちで指せるようだ。ぱちぱち指して、登坂さんの教えてくれた「六枚落ち1筋突破定跡」の威力を確認した。


 借りた本も読んでみる。そうか、駒の利きの中にいれば取られても取り返せるのか。それをヒモをつけるというのか。なるほど。

 これは勉強のしがいのありそうな趣味だ。明日は登坂さんと対等に(駒落ちで)勝負できたらいいのだけれど。


 次の日も昼休みに弁当を持って保健室に行った。登坂さんの姿がない。保健室の先生に訊くと、数学の先生にしょっぴかれて行ったらしい。

 そうか、ずっと保健室にいるから出席日数が足りないんだ。


 恐る恐る職員室を覗く。登坂さんは数学のおじいちゃん先生に叱られていた。


「いくら赤点なしとはいえ、出席日数が足りない、授業に出ない人間に与える単位はない!」


 数学の先生は大きな声でそう言った。登坂さんは冷静に答える。


「でも不純異性交遊をして、お酒飲んでタバコ吸って、バッチリ校則違反の化粧して、制服着崩して、授業に出ているだけでテストは赤点で裏に『単位ちょーだい』と書いてる人たちに与える単位はあるんですね」


 完璧な反論だ。バカ高の謎理論を完全にぶっちぎったぞ。

 数学の先生は怒ってハゲ頭まで真っ赤にしていたけれど、登坂さんの言うことに反論できなかったようだ。登坂さんは無罪放免になった。単位ももらえるらしい。


 登坂さんは職員室を出るなり、僕に気付いたようだった。

「ありゃ。マドノくん見てたの?」


「うん、かっこよかったよ登坂さん」


 登坂さんは、顔を赤くして目を逸らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る