拝啓 みなさま、この度わたくしごとではございますが、自宅でJCメイドを住まわせることになりました。

壱六

前編 予期せぬ出会い

「なあ、秘書はいつ結婚するんだ?」

「何ですか、社長。セクハラなら訴えますよ」

「んなわけないでしょ? 秘書はいい女なんだから、アタシの知り合いの1人でも紹介してやろうかと思ってな」

「結構です」

「……そう言うと思ったよ」



 とある大企業の社長室。熱帯魚のアクアリウムや、ゼラニウムなどの季節の花が飾られている。そんなこの部屋で、黒い長椅子に座り、金髪の長髪にサングラスをかけた女がいた。彼女の名は、獅子音ししのね スイセン。たった一代でこの企業を作った敏腕社長だ。

「それじゃあ、今日のスケジュールを教えてくれ」

「了解です。社長」

 そして、その隣にいるのが私、植出うえで セチアだ。黒髪の長髪のただの普通の秘書だ。

「……以上が今日の予定です」

「了解」

 基本的に社長はデスクワーク。私の仕事はそれのサポートと社内の見回りだ。

「では、見回りに行ってきます」

 日課である社長のスケジュールを報告するところから、私の仕事が始まる。

「おう、頼んだ」

 社長に見送られ、いつものようにエレベーターに乗って、階段を歩いて社内をまわる。

 すると、前から社員がやってきた。

「おはようございます」

「お、おはようございます」

 大体は私から挨拶をするのだが、そうすると目を背けられる。

「あっ!」

 そんな時、私の目の前である女性社員が書類を落としてしまった。

「あああ……」

 慌てて拾い集める女性社員。見ていて危なっかしい。

「大丈夫ですか?」

 仕方がないので、それを拾い集めて、女性社員に渡す。

「あっ、ありがとうございます……」

 すると、その女性社員はそそくさと帰ってしまった。



「……」

 一通り見回りが終わり、社長室に帰ってきた。

「ただいま戻りました」

「お、おかえり」

 部屋に入ると、社長は今日もパソコンとにらめっこしている。

「……社長、一つよろしいですか?」

「ん? 何だ?」

 社長が一通りの仕事を終えたタイミングを見て、何となく目を背けられることを気にしていた私は、社長にそのことを相談した。

「……ということが……」

「ん〜、そりゃ簡単だな」

 軽く状況を聞いた後、彼女はピッと指を立ててこう言った。

「だって秘書……怖いもん」

 その理由は何となく理解していた理由だった。



「人間味がない」

 随分と昔から言われていたのが、その言葉だった。自覚はないが、私はロボットのように見えるようだ。

「人間味……」

 感情の起伏が少ないことは自覚しているが、そこまで起伏が少ないとは思っていなかった。

「どうしたものでしょうか……」

 そんなことを悩みながら外へ出ると、雨が降っている。

「……そういえば、雨の予報でしたね」

 雨の予報と聞いて入れていた折り畳み傘を取り出し、1人で帰路に着く。

「結婚……」

 今日の朝、社長に言われたことを思い出していた。生まれてこの方、恋人もおらず、気づけば年齢は32歳。別に結婚をしたいわけではない。が、周りから催促されては流石に心配になる。

「……困ったものです」

 ため息をつきながらいつものように暗い道を歩く。目に入るのは点々と続く街灯だけだ。



「……ん?」

 電灯の下の外壁の前に何か影があるのが見える。

「……人?」

 その影の正体は、ボロボロの少女。彼女は気を失っているようだった。服はところどころ破け、黒い短髪はボサボサ。髪の間から覗く顔は、少しあざがあるのがわかる。

「……このままでは危ないですね」

 このまま雨ざらしの道に放置するのは危険だ。しかし、警察というのも気が引けてしまう。

「……しょうがないですね」

 結果、家も近いということで、私は彼女を家に連れ帰り、保護することにした。

 自宅のドアを開け、少女を抱えたまま、暗い一室の中に入る。そして、一旦少女をソファに寝かせて、様子を見ることにした。

「さて、晩御飯でも作りましょうか」

 私はIHコンロに鍋を置いた。



「……んっ」

 晩御飯を作り終わったころ、少女に反応があった。

「大丈夫ですか?」

 それに気づき、部屋に入った後、私は少女の顔に近づき、顔を覗き込んだ。

「ヒッ!?」

 すると、少女は怯え、震え出した。

「あの……」

「来ないで!」

 手を差し伸べようとしたが、払い除けられてしまった。

「……」

 そして、そのまま暗く、濁った目で私のことを静かに見つめた。

「グウウ〜……」

 その時、少女のお腹の音がした。

「……」

 しかし、それを意に介さず、彼女は無反応を突き通す。

「……わかりました」

 このままでは埒が開かないことを悟り、一旦部屋から出た。数分後、私はスプーンと皿を持って部屋に戻った。

「私の名前は植出 セチアと言います。これをあなたにあげます。シチューです。私の晩御飯ですが、少しあなたに分け与えます。私は部屋から出るので、何かあったらリビングに来てください」

 そして、少女の前の机に皿とスプーンを置き、私は部屋から出た。



「いらない」「金食い虫」「産まなきゃ良かった」「どこかに行って」

 私はそんな言葉を投げかけられて育った。

 学校に行けば、友がいる。しかし、こんな話を友にできるはずがない。

 私の母はネグレクト気味で、父も暴力がひどい。いつも私は蔑ろで、家には誰もいないなんてことが日常的に起こる。

「……」

 だから、逃げた。そんな生活に嫌気がさして、今日逃げた。

「…………」

 逃げて逃げて逃げて……。気づけば雨が降り、力が抜けて路上に倒れた。

「………………」

 このまま死ねば、きっと楽になれる。そう思った。だから、動かなかった。

「……しょうがないですね」

 その声がした時、私は気を失った。



「……」

 目を覚まし、私は最初に豪華なマンションにいることに気がついた。

「……ここは……」

 そんな時、私の顔を女が覗き込む。

「大丈夫ですか?」

「ヒッ!?」

 その目は黒く、全く光がない。その目を見て、思わず両親を思い出す。段々と呼吸が荒くなり、体が震えだす。

「あの……」

「来ないで!」

 そして、反射的に差し伸べられた手を弾いてしまった。空間を静寂が包む。

「……わかりました」

 すると、女は一杯のシチューを持ってきた。

「私の名前は植出 セチアと言います。これをあなたにあげます。シチューです。私の晩御飯ですが、少しあなたに分け与えます。私は部屋から出るので、何かあったらリビングに来てください」

 そして、彼女は部屋から出ていった。

「……あ……」

 私は、自分が空腹であることに気がついた。

「……」

 湯気が立つシチュー。目の前にあるそれは、純白の輝きを放っている。食べても良いのだろうか……?

「グウウ〜……」

 このままでは、餓死してしまうかもしれない。しかし、あんな得体の知れない女の持ってきた食べ物だなんて食べて良いのだろうか?

「……いただきます」

 迷った末に、私はこれを食べることにした。

「……」

 スプーンでシチューを掬い、口に入れる。

「……あったかい」

 味は普通。美味しくもなんともない。しかし、このシチューの温かみが、骨身に染みる。

「……あったかいな」

 次第にポタポタと涙が落ちてきた。

「うっうっ……」

  私は食べた。涙を流しながら、これを食べた。



「……ご馳走様でした」

 手を合わせて、空の皿に向かって礼をする。

「……」

 チクタクと時計の音が響く。

「せめて、お礼だけでも言いたいな」

 あの目の黒い女の人。私を運んで、このシチューを作ってくれたその人に、一度礼を言いたかった。

「なんだか、安心したな」

 空の皿を手に持って、部屋のドアを開けた。



「あ、あの……」

 ご飯を食べ終わり、リビングにいると、少女が空の皿と共にやってきた。

「食べましたか」

「はい」

 少女から皿を受け取り、洗おうと台所に向かった。

「あっ、あの!」

 すると、少女がそれを止めた。

「なんですか?」

 少女は少しモジモジとし、顔を伏せた後、再び顔をあげ、私に言った。

「シチュー、あったかかったです」

「……そうですか。良かったです」



 私は部屋から出で気づいた。意外と部屋が汚いと。空の皿を洗う女の人の後ろ姿を見て、キョロキョロと見回す。

「これは……」

 それを一瞥して察したのか、セチアさんが口を開いた。

「すみません。掃除する暇がないのです」

 そこら中に散らばる雑誌類や衣服。一部の袋にゴミも入っている。

「い、いえ……」



 そんな時、突然私は気づいた。私は行く当てがない。行き当たりばったりで家出したはいいものの、行く場がない。

「どうしよう……」

 このままいけば、またあの家に引き戻されてしまう。

「……あ」

 そして、私はある妙案を思いつく。



「さて……ここからどうしましょうか」

 多数のゴミに囲まれたテーブルに、少女と向かい合わせで座る。

「やはり警察に行くのが……」

 しかし、少女はその提案に首を横に振った。

「そうですか」

 すると、どうすれば良いのか迷ってしまう。本人が拒否している以上、警察にも行きづらい。なんせ、この少女の言い方一つで、私は誘拐犯なのだから。

「……どうしたものでしょうか……」

「……あの」

 そんな折、少女が私の袖を掴んだ。

「なんですか?」

 すると、少女は私の目を見て言った。



「あの、私をメイドとして、雇ってはいただけないでしょうか!」



「……は?」

 その提案は私の想像の遥か斜め上をいった。

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