12:旦那様のお願い
執務室に入ったヴィクトールはテーブルの上に山と積まれた書類をがっと押しのけ、一枚のビラを広げる。
『雷龍様まつり開催のお知らせ』と書かれたそれを指して、彼は本気で嫌そうな顔で話を始めた。
「そろそろ王都で祭りがあるんだが、我が家は必ず参加しなければいけなくてね」
「着いてこいと? 構いませんが」
雷龍ケラヴノスについては、確か以前言っていたなと思い出し、ビラの中身を読む。
娯楽が大好きな雷龍様に捧げる演奏会や、文学作品の朗読会に大道芸のコンテストに、地域の料理の屋台村……!? なるほど。なんとも楽しそうな祭じゃあないか。
ただ、それなら何故ヴィクトールは嫌そうな顔なのだろう? と顔をあげると、彼はやれやれとため息をついた。
「よだれが垂れているよ。君、なんというか……分かりやすい勇者様だね……」
「……」
三十年も飲まず食わずだったのだから、ギネビアの食事が美味しくて仕方がないのだ。
僅か二週間ですっかり飼い慣らされた自分の舌は、自然と唾液を垂れ流していた。
黙って食欲を拭うと、ヴィクトールは呆れた顔で話を進める。
「遊びに行くというのは半分事実だが、もう半分が大問題でね。この祭りの主催はギネビア王家で……僕にとっては悪夢の大晩餐会があるんだ」
「……護衛ということですか」
昼食の時、おばさま方から聞いた話を思い出す。
貴族たちの嫉妬を受ける彼は、きっと命を狙われているのだろう。
そう考えて護衛かと聞いたが……急に冷たい目をした彼の表情から察するに、私は口を滑らせたのだと理解した。
「城の連中から聞いたな? どこまで聞いた?」
「養子だという事と、狙われている理由でしたら」
「僕は無実だ」
「……そのような事をする風には見えていません」
正直に話したが、ヴィクトールにとって禁句だったのだ。
彼が自分から話す決心を付ける前に、私が余計なことを言ってしまったと、真顔で問い詰めてくる言葉を受け止める。
すると段々彼の顔に血管が迸り、やがて見たこともない憎悪の表情が浮かんだ。
「でも、貴族だった君なら分かるだろ? 娼婦まで堕ちた没落貴族が孕んだ父親も分からない子供が、継承順位をすっ飛ばして公爵だ。ギネビア王族に次ぐ大金持ち、アレクサンドロフ家の当主だ。疑う理由もよく分かるだろう!!」
私の顔に、他の貴族と同じ感情を見たのかもしれない。
養子が継承するなどおかしい、何か裏があるはずだという邪悪な好奇心だ。
完全に我を忘れてヴィクトールは怒鳴り散らし、机に拳を叩きつけていた。
「旦那様ー。あんまり良くないですよ? 自分のお母様のこと悪く言うの」
彼の怒りは自分を見ているようでつらく、黙っていることしか出来なかった。
すると後ろからレイラの呑気な声がして、良く冷えた水差しを乗せたワゴンを押してきた彼女は、私とヴィクトールの間にすっと入ってくる。
「……失礼。熱くなった……レイラ、水をくれ」
「どうぞー」
怒鳴ったことを恥じたのだろう。両手で顔を覆った彼に、レイラは水を差し出す。
彼女は主人が静かに飲んでいるのを見守りながら、私にこっそりと耳打ちをした。
(ジュリア、旦那様この話題ダメだからさ)
私から話題にしないほうが良いな、とは思う。
ただ……なんというか……初対面の頃、似た者同士だと言われた理由がやっと分かった気がするのだ。
憎悪の炎が今だ激しく燃えているのかどうか、という若干の違いはあるのだけれど……だからこそ私は、踏み込まなくてはいけないと声に出す。
「ヴィクトール様。あなたが仰った言葉の意味が、やっと分かりました」
「……ん」
「似た者同士、だと思います」
「……ははっ、そうだろう? 仮面が剥がされたようで恥ずかしいのだがね」
不機嫌そうな相槌の後、しばらく考えてから照れくさそうに笑った顔は、恥ずかしいと言うよりも嬉しそうに輝いていた。
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