8:断ち切りたい過去

 昼に貰ったシトロネラの茶は、城の料理人が貿易商から買ってきたものらしい。

 それを聞いたヴィクトールも仕事が終わってから見に行こうと思っていたようで、城下町へとオリオンの人間である私を誘ってくれた。

 町を歩いてみれば、彼ときたら気づいた子供に挨拶されたり手を振られたり、おばさん方にちょっとしたお菓子をもらったりと本当に人気があるのだろう……そう考えると、自然と顔がほころんだ。

 

「ん? 機嫌良さそうだね」


「はい。いい領主様なのですね」


「ははは、照れるなぁ」


 ケラケラと笑うヴィクトールについていくと、貿易商の一団が露店を広げている。

 随分大きな市場だなと、私も少しワクワクしていた。


「やぁ。まだやってるかい?」


「ええ大将。だいぶ売れちまいましたけどね」


「魚に合う珍しい香辛料とかないかな? 釣りと料理が趣味なんだが」


「もちろんございますよ!! ちょっと出してきますね!!」


「あ、ジュリア。君のおすすめも探してくれ」


「ええ。分かりました」


 若い商人とヴィクトールが商売の話をしている間、私はのんびりと商品を眺めていた。

 ハーブやスパイスといった香辛料に、宝石や絹織物、日用品や装飾品と雑多に並んで、通りがかりの領民たちもわいわいと賑やかに覗いている。


「……ディートリヒチェック柄の……これは安いですね。ヴィクトール様の寝室に……」


 カーペットを一枚、彼の寝室に勧めようかなと考えていた時だった。


「やぁお嬢さん!! お目が……高い…………ですね…………」


 ひときわ身なりの良い、貿易商のリーダーだろう。

 髪は寂しく、代わりに髭を立派に蓄えた小太りの老商人が声を掛けてきた。

 私が顔をあげると段々と声が小さくなっていくこの男に、私は見覚えがある。


「……貴方」


「……ジュリア、こんな近くに流れ着いていたのか……」


 どんなに老いても、その顔に残る面影を忘れたことはない。

 瞬時に血液が沸騰し、くすぶる憎悪が大きく燃え上がった。

 こいつは……!!


「ヤヌスッッッ!! お前……むぐっ!!」


「……人目がある。離れたところにした方がいい」


 我を忘れて殴りかかろうとしたが、私の副官を務めた彼は身体強化魔法のエキスパートだ。

 凄まじい速さで私の口を塞ぎ黙らせ、そのまま裏路地を指さして背を向ける。

 いつでも殺せという冷静な仕草に、私はやり場のない怒りを堪えていた。


「ここならいい。俺を殺しても、追い剥ぎの仕業に誤魔化せる」


「ヤヌス。私が何をするつもりか、分かっているんですね」


「思い残すことはない」


 静かな裏路地で、彼は手を挙げ膝をつく。

 あまりにも潔い態度は気に食わないが……まず彼に話を聞きたいと思ってしまった。

 それは多分きっと、共に戦った仲間だからという情だろうか。

 それとも、まだ彼が裏切ったことを認めたくなかったからだろうか。


「随分落ち着いていますね」


「……貴女に殺されるべき事をしたからな。聞きたいことがあれば、全て答える」


 思えばヤヌスはこういう男だ。いつも冷静で、熱くなりやすかった私を諌めて助言をくれる。

 一部の魔獣や邪龍に言葉が通じると気付いたのも彼だったし、対話をすれば王国の被害を減らせるのではと提案したのも彼だった。

 だから私は昔のように質問をし、ヤヌスも昔のように淡々と答えた。


「私が投獄されてから何年経ったのですか? ライオラは?」


「三十年だ。ライオラは、一年前に死んだ」


「……そうですか」


 精悍な軍人だったヤヌスもすっかり老人になり、ライオラも旅立ったという。

 三十年という年月は随分と長く、未だ若く時間に取り残された私の頭が冷えていく。

 私だけが置いていかれたような孤独感を覚えたが、あと一人……どうなったか聞かなければならない人間がいる事を思い出し、自然と唇が震えた。


「……アルベルは?」


「あの詐欺師なら、今は宰相だ。エッケザックス公を名乗り、偽物の聖剣を振りかざして偉ぶっているよ」


「……続けなさい」


 私の幼馴染。私の婚約者。小さな頃から剣の腕を競い合った負けず嫌いで、かつては大好きだった私の恋人だ。

 その裏切り者を詐欺師と吐き捨てたヤヌスは、アルベルの近況を静かに語った。

 

「先代国王と組んで貴女の財産を奪い、家名を奪い、功績を奪った。歴史を書き換えるのには随分苦労していたが、今の国民は貴女を……」


「邪龍の眷属、ですね」


「ああ、知っていたのか……今のアルベルは貴女や邪龍を倒した聖剣の勇者で、その実は若い当代国王を操ってオリオンを牛耳る詐欺師……といったところだ」


「誰も彼を咎めなかったのですか」


「奴を糾弾した者は皆死んだ。俺が、殺した」


 噛みしめるように吐き出すヤヌスの声は、アルベルに協力し手を汚した事を懺悔していた。

 かつて勇者の一人だった彼の手を見ると傷だらけで、とても痛々しく映る。

 しかし、彼の言うことが事実だとすれば、一つだけ疑問が残るのだ。


「……では誰が、私を牢獄から出したのですか」


 ”こんな近くに流れ着いていたのか”という先程の彼の呟きが頭をよぎる。

 だから薄々感づいてはいたが、その答え合わせをしてくれと、私は声に出した。

 するとヤヌスは小さくため息を付き、正直に口を開いた。


「……ふぅ。俺とライオラだ。去年、先代国王の葬儀があったから牢獄の警備が手薄になっていたのでな」


 聞けばヤヌスとライオラは私を運び出し、ヤヌスの息子の貿易船に貨物として載せ送り出したらしい。

 船は嵐で難破したそうだが、そのお陰で私はここにいる……というところだろうか。

 口ぶりからして恐らく本当の話だとは思うけれど、もしそうならアルベルも気付いているのでは? ライオラは殺されたという事か? と、私は首を傾げた。


「ライオラが死んだというのは、まさか」


「安心してくれ、アルベルはまだ牢獄に貴女がいると思いこんでいる。……ライオラは合わせる顔がないと毒を飲んだが、俺は貴女を見つけるまでは死ねなかった」


 昔から変わらず私の言いたいことを理解して、ヤヌスは話を続けた。

 彼もライオラも二人とも、私を裏切ったことに罪悪感を覚えていたのだという。

 しかし、何故? どうしてと、私は思わず声を荒らげていた。


「それなら……どうして、どうしてあの時裏切ったんですか!?」


「……貴女を捕らえなければ、俺もライオラも家族全員死んでいた。アルベルに脅迫されたんだ。すまない」


「それで、私が許すと!? そんな言葉で!? 三十年も、あの牢獄に……!!」


「俺の命で貴女の怒りが収まるなら、そうして欲しい」


 ヤヌスは全て答えるという言葉通りに、言い訳がましくもなく淡々と話した。

 ぼたぼたと涙を流し声を荒らげ、左腕の聖剣を解き放とうとする私に、彼は静かに頭を下げる。


「……足先から切り刻んで!! 燃やして!! 私がどんなに苦しかったか!! ヤヌス!! 言い訳の一つくらいしたらどうなのですか!?」


「謝ることしか出来ない。ジュリア、本当に申し訳ない」


「こ、このッッッ!! ヤヌスッッッ!!」


 殺してやる。と殺したくない。ふたつの感情が胸を引き合い言葉が荒れる。

 死を前にして言い訳もせず首を差し出した彼は、本当に潔い私の仲間だったのだ。

 しかし、引くに引けずに聖剣を抜こうとした瞬間、誰かが腕を掴んできた。


「待ちなよジュリア。そいつは君が復讐するべき相手じゃないだろう」


「ヴィクトール……様?」


 彼に止められ、ヤヌスを斬らずに済んで良かったと頭の何処かで考えて、力が抜けた。

 思わず座り込んだ私の腕を離したヴィクトールは、老人を静かに睨みつける。


「あんたがヤヌスだったのかってのはさておき……ジュリアに殺されて、仲間を売った罪から逃げようとしたな。卑怯な奴め」


「小僧、アレクサンドロフ公の息子だな。部外者の貴様に何が分かる」


 二人は睨み合い、刺々しい言葉を交わしていた。

 私はどこか気が抜けて見守っていると、ヴィクトールのほうがやれやれと手を広げて大きくため息を付き……呆れたような顔で話し始めた。


「ヤヌス殿に、ジュリアも、ふたりとも落ち着いて。少しアルベルやオリオン国王の狙いを考えてみてくれ。君たち三人に仲違いをさせて……『民衆から大人気の勇者ご一行様』が政治や貴族社会に首を突っ込むのを阻止しようとしたんじゃないか?」


 言われてみればその通りかもしれないと、私はヤヌスと顔を見合わせた。

 確かにそんな事をアルベルや国王が考えて、実行したのだとしたら辻褄が合う。

 恐らく私を嫌っていたアルベルが考えた台本に国王が乗っただけだとは思うが、大筋ではヴィクトールの言う通りなのだろう……そう考え込む私をよそにヤヌスは一度目を閉じると、小さく頷いた。


「……そうだとしても罪は罪だ。俺はジュリアに殺されなければならない」


「ヤヌス殿。貴方が死んだら、真実を知っている人が減るだけじゃないか? それこそアルベルの思い通りだというのに、バカバカしい話だよ。奴を憎んでいるからジュリアを逃したんだろう?」


 覚悟を決めた老人を諭す若者の言葉を聞き、私はヤヌスを見つめる。

 すると彼は納得したように項垂れて、震える口を僅かに開いた。


「……その通りだ」


「じゃあ、これ以上ジュリアを苦しめるな。彼女にはあんたを殺させない……大体、領主の僕の前で殺人なんて許す訳ないけどさ」


 ヤヌスの答えにホッとした風に頬を緩めたヴィクトールは、今度は私の方を見て笑った。


「君も、そんなに泣くほど殺したくなかったんだろ? ほら、拭くから目を瞑って」


 そして私の前にしゃがむと懐からハンカチを取り出し、優しく目元を拭う。

 柔らかい香水の香りに少し呼吸が落ち着いてきたところで、彼は再び話を続けた。


「アルベル・エッケザックスという男は、我が家とも縁があってねぇ」


「……ヴィクトール様、どういうことですか?」


「昔から親戚の方と交流があるんだが、僕個人としては胡散臭い奴だと睨んでいたところで……まぁここ数年、奴について調べていたんだよ。真実を知っている人間に二人も逢えて、嬉しい限りだね」


 ヴィクトールは嬉しそうに私とヤヌスを指した。

 そして今度は彼の前に歩み寄り、手を貸し立たせると顔を突き合わせる。


「ヤヌス殿。オリオンの勇者の一人だという貴方には敬意を払う。だが、うちのメイド……ジュリアを再び泣かせるようなことがあれば、僕は貴方を斬るぞ」


 威勢よく啖呵を切る彼に、ヤヌスは黙って頷き背を向けた。

 ヴィクトールでは到底太刀打ちできるような相手ではないのだけれど、私はその言葉が何よりも嬉しくて胸が暖かくなっていた。

 随分年下の彼に恋したのかも知れないし、愛したのかもしれない。

 ただ、私はヴィクトールに救われたのだ。






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