5:旦那様の専属メイド
「さて、帰ろうか。一ヶ月は休みたかった……」
「三日も休みましたし、旦那様の夏休みは終わりですよ」
ヴィクトールの釣ってきた魚で簡単な朝食をとり、レイラがさっさと荷物をまとめる。
私はとりあえず二人の荷物を背負うと買って出たのだが。
「半日も掛かるんだから、馬車で行くよ? 大体メイドに大荷物持たせるとか、女の子が苦しんでるの見るのが好きな変態みたいじゃん」
「……そうですか」
ヴィクトールにあっさり断られた。
二人分の荷物なんて、別に片手で持って走れるのに……なんて思いつつも、とりあえず御者を務めることにする。
ちょっとした飛竜くらいは操れるし、地に足の付いている生き物はだいぶ楽だ。
順調にゴトゴトと旅路を行くと、地平線の向こうから大きな尖塔がせり上がってきた。
近づくに連れて顔を出してくる威容は、恐らく権威のためではなく戦争のために作られた城だろう。
「うわ~。見えてきちゃったよ。ジュリア、あれが僕のアレクサンドロフ城。数百年前、ギネビア人がこの大陸に入植した時……この地の
「龍と、戦うためにですか……?」
「まぁ実際は戦わなかったんだけどね。ケラヴノス様は僕たち人間と交渉に応じてくれて、音楽や文学みたいな娯楽を捧げる代わりに、大陸の南半分に住むことを許してくれた」
馬車の客室からひょいと出てきたヴィクトールが、私の隣りに座って城を指差す。
もちろん雷龍の事は初耳だったが、娯楽を対価に人間と交渉したというのは恐らく……。
「……ああ、暇だったんでしょうね。龍は永遠に近い生き物ですから」
「そういう事。暇さえあれば暇つぶしを作る人間と言う生き物は、ケラヴノス様にとって都合がいいんだろうねぇ。幸いにも満足していただいてるから、魔獣に襲われることも少ないし、雨も降らせてくれるから干ばつに苦しんだこともない。いい神様だよ」
彼は遠い目をしてしみじみと、雷龍ケラヴノスを語る。
ギネビアではどうやら、龍は神様の一種だと崇められているようだ。
オリオンでは私の一族が代々受け継ぐ聖剣を以って、龍殺しの勇者を務めていたと聞けば、相当驚くのかもしれない。
「まぁでも、利用しあう関係がお互い一番楽だよ。相互利益は裏切らないからね」
「……そうですね」
ただ私はもう裏切られたくないから、この力の事は誰にも言わないだろう。
そんな事を考えていると、ヴィクトールの声が暗くなる。
ふと横を見ると、彼は休暇で釣りを楽しんでいた青年ではなく、仕事に頭を抱える領主としての横顔をしていた。
切り替えの良さからして、できる男なのだろうな。
「……ん? 僕の横顔に惚れたかい? 嬉しいな」
……前言は撤回しようかな。
ヘラヘラとした笑顔がやけに薄っぺらく見えて、私は黙って前を向く。
すると大きなため息の音とともに、しばらく静かに馬車の音が響き、やがて隣の彼は思い出したように口を開いた。
「あー、そういえばさ。ちゃんと君から答えを聞いてないんだけど」
「なんでしょうか」
「ウチのメイドになるって事でいいんだよね?」
言われてみれば契約書を交わした記憶もなければ約束してもいないので、私は少し考えた。
牢獄を出され流れ着き、彼とレイラに救われたのだから、恩返しはしなければならないだろう。
オリオンへの復讐……という言葉も頭をよぎるが、せっかく生きて出てこられたのだからと胸にしまった。
「雇っていただけるなら、ありがたく務めます」
というわけで、生きるためには金が必要だ。
城のメイドなら衣食住も保証されるし、給料が多少安くても悪くないだろう。
そんな考えもありつつ答えると彼はぐっと拳を握って、嬉しそうな顔で意外なことを言った。
「やったぜ。僕専属でよろしく」
「……専属?」
レイラがいるのに、何故逢ったばかりの人間を? と耳を疑った。
ヘラヘラと笑っているヴィクトールから、何か不思議な気配がする。
好奇心、いや猜疑心に近いだろうか。薄っぺらな優しさを顔に貼り付けた彼は、どこか縋るように私の目を見ていた。
「もしかしたら、僕たちは似た者同士なんじゃあないか? と思っていてね」
「ヴィクトール様。私はただの逃亡奴隷です」
「嘘だ。僕は、君を知りたい」
「口説き文句なら、私よりも効く女をお探しください」
早朝の海に見た穏やかな彼と、今隣にいる彼は本当に同一人物なのだろうか。
公爵という身分の鎧に身を隠し、領主という仮面の奥に心を隠す彼の瞳が怯えているように見えた。
この人の薄っぺらさは、誰も信じられない事によるものなのだろう。
それに気付いた私は、気づけば同情してしまっていた。
「……レイラは」
「彼女が勧めてくれた。まぁあいつは、僕がどう思われているか良く知っているからね……君みたいな異邦人のほうが信頼できると言っていたよ」
幼馴染のレイラですら、ヴィクトールの心を癒やすには力不足だと思っているようだ。
それほどまでに深い傷を、どうして彼が負ってしまったのか……私のように全てに裏切られたのかもしれないと、いつの間にか気になってしまう。
「過去に、何かあったのですか?」
「……僕は……」
私の質問に彼は暫く考える素振りをすると、首を横に振る。
そして小さくため息をつくと、手を叩いた。
「いや、口で言っても信用なんかされないだろう。君が感じたことが全てになるよ」
諦めたような声で、嘆くように目を伏せる。
おそらく彼は、今までずっと孤独に何かと戦ってきたのだろう。
「……でしたら、そのように。助けて頂いた恩はお返しいたします」
「よろしく頼むよ」
どうしてだろうか。ほんの少しだけ心が熱い。
本当に似た者同士だと思ってしまったのか、私はこの時、彼を救いたいと考えていた。
もう勇者でもない、ただの女なのに。
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