3:元勇者→メイド

「あれ旦那様。その子は?」


「釣りしてたら拾った。外国人だけど言葉は分かるみたいだから、レイラが世話してやって」


「えぇ? まぁ構いませんけど……」


「じゃあ僕は釣った魚捌いてくる。ジュリアをよろしく」


「はいはい。夕食はお願いしますね」


 確かにギネビア風の屋敷だ。木と漆喰しっくいで作り上げられた温かみのある家をキョロキョロと見回しながら、ヴィクトールが若いメイドと話しているのを聞く。

 やがて彼が魚籠びくを抱えてスタスタと去っていくと、レイラと呼ばれた金髪の少女は私の髪を撫でたり爪をまじまじと見て、大きなため息をついた。


「……汚いわね。何年お風呂に入ってないのかしら」


 何年だろう。日付を数えるのを止めたので、正直今がいつなのかも分からない。

 私の身体が歳を取ることはないから、誰か知り合いが教えてくれないことにはと、答えられずにいた。


「まぁいいわ。ひっどい主人に虐待されてたんだろうし。洗ってあげるから、行くわよ」


 申し訳なく思うのだが、人間と話さなくなって久しい私は、彼女の会話のテンポについて行けないようだ。

 ヴィクトールと違ってせっかちな印象のレイラは、私の左腕を掴んでグイグイ歩いたと思ったら……急に止まって大声を上げた。


「うひゃあ! ごっつい入れ墨ね!」


「それは……」


「奴隷の証ってやつ? 痛かったでしょそれ!」


「……わかりません」


 どうだろう? 聖剣を持つ資格があると判明した、幼い頃に入れられた紋章だから、よく覚えていない。

 素直に答えると、レイラは眉をひそめて目尻に涙をためていた。


「……ジュリア。あなた大変な人生だったのね」


 大変な人生かと言われると、そうでもないかもしれない。

 何不自由なく暮らす貴族として産まれ聖剣の勇者と呼ばれ、信頼できる戦友もいたし本気で愛した人も居た。

 最後の最後に皆から裏切られたけれど、私は……。


「いいのよ! ほら、綺麗にしてあげるし、ウチで働けるように口添えしてあげるから!」


 やはり私は会話のテンポについて行けないようで、思考を遮るように彼女が抱きついてきた。


「……汚い、ですよ」


「誰が気にするのよバカ!!」


 汚れるのも気にしないレイラは、思い込みの激しい、おせっかいな少女だとは思うけれど……本当に優しい子だな。

 彼女の優しさが暖かく心に染み渡り、私の口は自然と感謝を返した。


「……ありがとう、ございます」


「他人行儀な敬語も止めて! 私はレイラっていうの。よろしくね」


「……ありがとう。レイラ」


 ヴィクトールもレイラも、本当にいい人だ。二人に逢えてよかったと、心から暖かく感じる。

 口下手な私のせめてもの誠意として、目を見て心を込め感謝の言葉を伝えると、彼女はいきなり耳まで赤く染まった。


「なっ!? ちょっと、そのカッコいい声なんなの!?」


 喉に手を当てて考えてみるが、多分しわがれただけだ。

 牢獄に居た最初の数カ月は出してくれと叫んでいたような気もするし、その後遺症だと思う。

 しかしまぁそれは、彼女の耳には少し刺激的だったようだ。


「ま、まぁいいわ! お風呂入るわよ!」


 レイラに手を引かれて風呂に放り込まれ、全身くまなく洗われ服も着せられと、鏡を見れば久しぶりに人間に戻った気がする。

 彼女の着替えを着せられ、いつの間にかこの屋敷のメイドにされていたわけだけれど、案外悪い気持ちはしない。


「よーし、出来たわ。明日からは自分で着てもらうとして……まずご飯ね」


 鏡に映るレイラは額の汗を拭き、人間になった私の背中を押していく。

 食卓につくと、ヴィクトールが夕食の焼き魚を丁寧に配膳しているところだった。

 彼は私の顔を見るなり手を止めて、静かに最後の魚を置き小さく呟いた。


「……マジ?」


「マジですよ旦那様」


「超綺麗じゃん……」


「超綺麗ですよ旦那様」


 改めて自分のメイド服を眺めてみれば、いかにも上流階級のメイドというように、上物の生地に繊細に編まれたフリルが踊る。

 オリオンの貴族だった頃も、動きやすい細身のドレスや乗馬服や戦闘服ばかり着ていたから……こんなフリッフリの華美なものを着るのは初めてだなと、なんとなく恥ずかしくなってきた。


「あの……男物でも構いませんので別の服を」


「ダメよジュリア! あなた才能あるわ!」


「素材は良いと思ってたんだがね。ふふ、これはレイラにボーナス出さないとな……」


 私の恩人二人が喜んでるのは良いのだけれど、容姿を褒められたのは初めてかもしれない。

 聖剣の勇者として、魔獣を倒した働き以外の何かを評価されたことはなかったし、その功績も今では存在しないものだ。

 何もなくなってしまった私にも、二人は温かい声を浴びせてくれていると気付いて、なぜだか胸の奥が熱い。


「ありがとう……ございます」


 邪龍と戦う勇者でも洞窟に封印された魔獣でもなく、彼らは私を同じ人間として扱ってくれている。

 そう感じた瞬間口が勝手にお礼を言って、頭が自然と下がった。

 そして安心感からだろうか。久しく忘れていた人間としての感覚が蘇る。


「あ゛っ……」


 その感覚は雷鳴のように轟き、地震のように響き渡り、暴風のように駆け抜けた。

 二人が真顔で顔を見合わせ、少しして私の顔を見つめた。


「……すまん。僕の腹の虫が絶叫したようだ。多分人生で一番吠えたねぇ」


「あはは……旦那さまったら食いしん坊なんですから……」


 確かに女性の腹が出していい音では無かったかもしれない。

 しかし、こうまで露骨に庇われると、流石に悲しくなってくる。


「……申し訳ありません」


「さあ食べようじゃあないか。公爵の手料理など、そうそう食べられるものではないぞ!」


 勢いでごまかしたヴィクトールがどんどん勧めてくるので遠慮なく、焼き魚を十二匹に芋を二十四個、サラダをボウルに五杯食べてしまった。

 私としてはいつ以来かわからない食事で、本当に美味しかったからついつい食べてしまったのだけれど。

 二人は唖然とした顔で、こちらをじっと見つめていた。


「……すまない。屋敷の食料がもう尽きかけているのだが」


「申し訳ありません。美味しかったもので」


「そりゃあ、うん。作った側としてはいい気分にもなるけれど……君、色々と規格外だね?」


「見た目に似合わなすぎでしょジュリア。お人形さんみたいな顔して渋い声だし、ほっそいのにドカ食いだし……あの食料どこに消えたのよ?」


 食べた分は聖剣が魔力として消化しているはずだが、説明するとなると面倒だ。

 ギネビアは確か……魔法の研究はオリオンより進んでいるが、魔道具についてはかなり遅れている国だったはずだし、言っても理解できないだろう。

 ……それに、そもそも聖剣の事を教えたくはない。


「……わかりません」


 この力のお陰で私は破滅したのだ。

 だから彼らがいくら優しい人達だからといって、絶対に教えたくない。

 首を横に振ると、目の前に座る二人は揃ってため息をついた。


「旦那様。面白い子拾いましたね?」


「ああ。釣り人生で一番の大物だね。多分二度目は釣れない」


 そして二人揃ってクスクスと笑い、次第に大声で思い切り笑っていた。






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