銘仙の悪魔

神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)

第1話

「貴方が好ましいと思った娘さんに、これを着せてご覧なさい。貴方が良く似合っていると思えるのならば、それはその娘さんもまた貴方に相応しいという事なのですよ」

 それは、母が娘時代に気に入って着ていた銘仙であった。矢絣に、大きな黒百合の。

 母の遺した言葉と銘仙は、確かにひとつの希望で在った。しかし、また、同時にー…。

 母が病で亡くなり、友の一人も無い私は、只、読書と勉強とにのめり込んだ。勉強を言い訳にして、一切の面倒を排除していたのだ。今思えば、これが良く無かったのである。

 朝、目覚めると、敷布が汚れていた。ある方面の知識に疎かった私は、無頓着に家の下女にその後片付けを頼んでしまった。なお悪い事に、その娘は、銘仙の事を知っていたらしいのだ。

 学校から帰ると、銘仙を着た娘が廊下に立っていた。手を引かれて、書斎に入る。古くは父の仕事部屋であったが、目を悪くしたので、今は私の勉強部屋となっている。私は人嫌いであるので、家人も使用人も、私の許しなしには入室してこない。

「私は、貴方の花嫁です」

 胸を張って、堂々と言う。私は、長男であるし、いずれは家を継がねばならない。許嫁もいるのかいないのかも知らない。だが、しかし、わざわざ滑稽な嘘を吐く必要も無かろうと考えた。少し、早過ぎるかとは思ったが。許嫁と嫁と、言い間違えたのだろうくらいにしか考えなかった。それくらい、どうでも良かったのである。何せー…。

「さあ、お疲れでしょう。長椅子におかけになって下さいまし」

 言われるまま、帽子と上着を脱ぐ。花嫁は、按摩が得意なのだと言った。

「良いですか。この部屋の中でだけ、私たちは夫婦なのですよ。だから、これから行われる事は、一体全体、普遍的な事柄なのです。ですから、いちいち大仰に、他人様ひとさまに吹聴するような事では無いのですよ。何せ、夫婦の秘め事ですからね」

 釘を刺されたのに、頷いて見せる。

 甘ったるい香りがする。古書やインクとは、別種のー…。

 長い昼寝から、目覚める。いけない。夕食の時間である。

 食後、自室に戻ると、箪笥の中に畳まれた銘仙が在った。

 私は、夢でも見ていたのだろうか。花嫁の亡霊。

 年が明けて、納屋の中、血染めの赤子が見つかる。母親は、どこへ行ったのか。そう言えば、女中がひとり辞めたらしい。

 とにかく、可哀想な赤子は、私の妹となった。名をはなヱという。

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