隠されたもの
「呪文じゃないなら何? 日記? 手紙?」シュウノは家の外壁一面にびっしりと現れた文を見上げ、目を細めた。
「なんて書いてある?」と、俺は聞いた。
「うーん。わかんない」
「英語じゃないのか?」
「さあ」
「役に立たんなあ」
「僕、まず、筆記体読めないし」
「翻訳掛けてみるか」
携帯端末のアプリを起動し、内蔵カメラで壁の文章を読み込ませる。判別できない文字が多く、抽出された文章はかなり虫食いがある。自動翻訳の判定は英語とラテン語。翻訳結果は文脈のよくわからない日記か手記のように見えた。
『サインとか写真を撮ってと言われるんですが、正直よく分からないので、見せるためでしょうか。私が思うに普段は顔も出さないんですけど、私にとって素顔の写真って何なんでしょうね。自分が世に出したものは本当に自分のやりたかったこと、望んでいることを伝えているのだろうか。薬を飲めば少しは楽で。人がボーカルを作ったり、パフォーマンスしたりするときは、常に情熱がなければなりません。』
「暗号?」シュウノが横から画面を覗き込んで、言った。
「暗号ではないだろ。まあ、日記なのかな」
「けど、この通りの内容なら別に壁に書いて隠しておくほどのものじゃないよね。もっとこう、禁断の恋とか墓場まで持っていく秘密とか、裏帳簿とか……」
「そんなの壁に書かないだろ。見られて困るものをなんでわざわざ」
「でも、見られたいわけでもなかったんでしょう。呪文で隠してたんだから」
「そうだけど。日記ってだいたいそんなもんだろう」
隠したいわけでも、見られたいわけでもないが、なんとなく開けづらい場所にしまっておく。俺が仕事で出会う秘密はそういう類のものが多い。大抵はひどくプライベートで、大袈裟な呪文で鍵をかけたわりには、無意味で退屈な内容だ。依頼者本人から「こんなものなら解呪の必要は無かった」と言われることも多い。
「しかしそうなると解体工事ができない理由がわからないな」
シュウノと二人でもう一度家の外を周ってみたが、外壁のどの面にも似たような文章が延々と続いているだけだった。携帯端末で翻訳して出る文章には、音楽や芸術に関連した語句が多い。この家の元の住人は、演奏家か作曲家だったのかもしれないと感じた。
「家の中は?」一周して玄関前に戻ると、シュウノが聞いた。
「さっき一通り見たけど何もなかったよ。この玄関の呪文は家の外側にしか作用してないようだから、中に変化は無いはず」
「うーん。そうするともう、探してないのは屋根の上とか?」
「屋根か……」
確かに、あり得なくはない。俺とシュウノは家の中に入った。
「ところで、依頼人は来てないの?」階段を上がりながら、シュウノが聞いた。
「居ないんだよな。鍵は開いてた」
「大丈夫なの、それは」
「まあ……そもそもここに住んでないし、仕事してるみたいだから。自分が遅れたら先に始めててくれとは言われてた。……でも、さすがに遅れすぎかな」
「まさか本人もトラップに引っ掛かってるとか」
「なんかそんな気はする」
「ははは。依頼人にとっては親の家だよね? 実家のはずなのに、泥棒扱いか」
「普通、身内は対象外になるように設定するもんだけどな」
二階を探して回ると、割れた鏡のある夫婦の寝室に天窓があった。採光用の小さなものだが、なんとか大人が身体を通せそうなサイズはある。
何か踏み台になるものを、と考えてから、玄関口に持ち出した脚立はそもそもこの寝室から借りたものだったことを思い出した。
「なるほど……」
あんな大型の脚立が寝室にあるのも珍しいとは思っていた。元の住人が天窓から屋根に上がるために使っていたわけか。
玄関に取って返し、脚立を回収してもう一度寝室に運び込む。屋根に上がると、冷たい風が吹きつけた。適度に傾斜のついた屋根で、うっかりすると転げ落ちそうだ。
シュウノの予想通り、屋根の三分の一ほどを使った大きな魔法陣が描かれていた。
「どうもこの家はおかしいよ」後から上がってきたシュウノがしがみつくように俺の腕を掴む。
「こら、落ちるって。俺を手すりにするな」
「依頼人がこの家を解体したがってるのは何故? 理由を聞いた?」
「さあ、知らん」俺はデジカメで屋根の魔法陣を撮影した。
解読作業は寝室でするか。取り込みと逆写のたびに脚立を上り降りしなければならないのは億劫だが。
「この家はまだ十分使えるし、立地はそれなりに利便性のある住宅街で、特殊なデザインの家でもないでしょう。自分達が使わないなら貸しに出せばある程度の利益は出る。わざわざ解体する理由がないよ。しかもその工事自体が頓挫しているのに」
「まあ、わかったから降りてくれる?」俺はシュウノを家の中へ押し戻した。「お前がそこにいちゃ降りられないんだよ」
「寝室が二つあるの、気づいてた? この部屋が親夫婦の部屋で、向かいが息子、つまり依頼人の部屋でしょう。今は独立して違うところに住んでるんだろうけど、元は自分が育った実家のはず。なのに、長いこと放置していて、こんな状態のいい家を解体したがっていて、トラップの存在も知らないし、なんならトラップ側には他人判定されて捕まってる可能性まであるわけで――」
「ちょっとさ、降りてから喋って」
シュウノは脚立の残り数段でもたついて、床に降り立った途端に片足を引っ掛けた。
まだ天井付近にいる俺ごと、脚立は大きく傾く。
「あぶなっ」咄嗟にダブルベッドの上に飛び降りて逃れた。
その反動で脚立は更に傾き、上端が壁際の姿見にぶつかりそうになった。シュウノが細長い腕に見合わぬ腕力で脚立を掴み、どうにか立て直す。
「鏡が割れてる理由がわかるね」シュウノは破片がテープで貼り合わされた姿見を見て言った。
「暢気なこと言ってんじゃねえよ。もうちょっと気をつけてくれ」
「いや、藍村君が脚立を蹴るから」
「蹴ったんじゃなくて回避したんだよ。なんで俺がまだ乗ってるのにコケるんだ、コケるな」
「いやごめん、わざとじゃないって」
「わざとでたまるか」
部屋の角にコンパクトデスクがあった。蓋を手前に引いて開けるとそれが天板になる、折り畳み式の机だ。パソコンを置かせてもらおうかと、試しにそこを開けると、色褪せた水色の書類封筒がはらりと倒れてきた。
単なる紙入れとして使われたものらしく、宛名や切手は無かった。中身も空だ。裏面に魔法陣の下書きらしきものが二つ描かれていた。それぞれ、玄関と屋根で見たものとよく似ている。
ただ、それよりも俺の目を引いたのは、封筒の表面の下部に印刷された会社名だった。
株式会社プラ
「最近聞いたような会社だな」嫌な予感がする。
「おや、これ、ニセノさんの会社じゃん」後ろから覗き込んだシュウノが、何故か楽しそうに言った。
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