わけありの家

「ぐ……」

 特にグロテスクな死体というわけでもなかったが、腕の形や全体の姿勢がはっきりと「生きてはいない」ことを示していて、突き上げるように胃が重くなった。


 二、三十代と思われる男性で、俺たちと同じような長いマントを身につけ、ひょっとこのパチモンみたいなお面を付けている。この「被害者」も現世の人間のようだ。顔が確かめられないが、どうも俺が知っている人間ではなさそうだった。


「あちゃあ」と、シュウノはかなり遅れたタイミングで言った。「こりゃどういうことなんでしょう」

「さあな」俺は男の持ち物を漁って携帯端末を見つけた。気が進まなかったが死人の指を取って押し当てると指紋認証が効いてロックが解けた。メッセージアプリに見覚えのあるテキストが残っており、俺に急な呼び出しを掛けたのはやはりこの男だったことが分かった。


 しかし何故。何のために。心当たりが何ひとつない。


 彼は自分が指定した住所の目の前の道路でぶっ倒れて死んでいた。その住所には、四角くのっぺりとしたデザインの一軒家が建っている。通りに面した窓がひとつも無く、傾斜のついた屋根もなく、巨大な白い墓石のように見えた。


「なんか面倒くさい。もう帰ろうよ」と、シュウノが言った。

「またすぐ帰ろうとする……やる気あるって言ったじゃねえか」

「こんなことになってると思わないもの。あいむら君に騙されたわー」

「いや俺だってこんなことだとは知らなかったよ。呼ばれて来たのに、呼んだ本人が死んでる」

「じゃもう帰ろうよ」

「うーん……」


 ここが現世なら、警察に通報して事情を話して終わりだが、死者の国となると色々面倒くさい。まずここから現世にリアルタイムで電話は掛けられないし、ネットも見られない。メール等のテキストメッセージが辛うじて届くかどうかという感じで、それも割と不確実だった。俺は一応、警察署宛てに簡易メッセージを作成して状況を報告する文章を送った。数分待ってみたが返信が来る様子はない。


 どうしたものか……。


 シュウノは死人の顔のそばに屈んで、ひょっとこ擬きのお面をじっと観察していた。


「なんでわざわざナイフで刺したんだろうね」とシュウノは言った。

「まあなんか恨みとかトラブルとかじゃないの」

「じゃなくってさ、ここは死者の国でしょ。お面を取っちゃえば相手は死ぬじゃん。わざわざこんな面倒くさい方法で殺す?」

「うーん。わからん。殺人と決まったわけでもないんじゃないか」

「でも自殺なら尚のこと楽な方法取るでしょ。ここで死にたいなら顔を晒せば良いだけ。まさか事故でもないだろうし……」シュウノは立ち上がり、改めて死体を見下ろす。「こんなね、心臓をがっつり抉るなんてよほどの力を込めなきゃできないし、高い技術の要ることだよ。刺殺って映像的にはイメージしやすいけど、実現可能性としてはかなり低い、滅多に成功しない方法だよ。正面からだと相手も必ず抵抗するし。まあこれ、対人攻撃用のナイフっぽいから包丁なんかよりは随分使い易かっただろうけどね」

「そんなこと、よう知ってるな」俺は呆れて言った。「柄を見ただけでどんなナイフか分かるの?」

「まあね」

「気持ち悪」

「刃物は少年のロマンでしょ。使わなくても一応調べるでしょ」

「そうかね」

 お前はもう『少年』なんて冗談でも言える年齢じゃないだろうが、と思ったけど、黙っていた。


 ズリッと奇妙な音がして、白い建物に細い縦長の隙間が生まれた。


 俺たちはそちらを振り返った。


 のっぺりと継ぎ目のないように見えた壁だったが、実際にはドアがあったようで、そこが細く開いてクマのキャラクターのお面を付けた女が覗いた。

「ちょっと。あなたたち何?」女はかなりの喧嘩腰で言った。

「この人に呼ばれて来たんですが」俺は道路に転がった死人を示して言った。


 女は数秒黙っていた。お面で表情が分からない。それから少し低めの声になって、「じゃとにかく入ってください」と、ドアを更に開けた。

「一体どうなってるんですか?」シュウノが聞いたが、

「いいからまず入って」女は急かすような声色で言った。


 俺たちは仕方なく、女の開けたドアからその白い建物へ入った。


 中はごく普通の住宅だった。タイル張りの玄関で靴を脱ぎ、女が出してきたスリッパを履き、廊下を少し進むと木枠に磨りガラスのはまった引戸があって、その向こうが居間だった。

 ダイニングテーブルに三人の大人が着いていた。全員、フード付きのマントを被って仮面を付けているが、体格や声から奥側に座るふたりがおそらく若い夫婦で、手前側にいるのが中年くらいの男と分かった。


 異様な光景だ。ここは死者の国であり、この住宅も死者たちの住まう場所として用意されたもののはずだ。仮面をつけた生者が何名も、まるでこの家の住人であるかのように振舞っているのはいかにも奇妙なことだった。


「ここに住んでるんで?」俺は、俺たちを案内してきた女に聞いた。

「あまり詮索しないでほしいです」女は不機嫌そうに言い返した。


「誰?」夫婦の旦那の方が、俺とシュウノを見ながら不審げな声で聞く。

「なんか、ソーイチに呼ばれてきたって」と女は言った。

「呼ばれた?」

「うちは解呪業者なんです」と、俺は言った。「外で死……倒れてる人に、テキストメッセージですぐ来てくれと言われたので。仕事の依頼かと思って来たんです」

「ああ……」若い旦那はすごく迷惑そうな声色を隠さなかった。


「何が起きてるんです?」シュウノが聞いた。

「うーん。どこまで話したものかな」若い旦那はそう言って、そのまま黙った。


 俺たちは手持ち無沙汰に突っ立っているしかなかった。俺たちを連れてきた女も、たぶんあのまま死体のそばに居座られると困るというだけで、連れてきてどうしようという算段があったわけではないようだ。


 シュウノの言う通り、あの時点で回れ右して帰るべきだった。俺の胸の内には急速に後悔が湧き出してきた。それに合わせて頭痛と胃もたれがまた始まった。


「そっちに座ってもいいですか?」シュウノはダイニングテーブルの向こうの、小さめのちゃぶ台と座椅子のセットを指して聞いた。若夫婦が曖昧に頷くのを確かめ、俺を促してそちらに座る。


 招かれざる客なのに居間の奥に上がり込むのはなんとも居心地が悪かった。


「外で死んでるソーイチさんというのは皆さんのご家族なんですか?」座椅子でちゃっかりと寛いだ姿勢を取りながらシュウノは聞いた。


 誰も返事をしなかった。


「御家族か知り合いか……とにかく名前を知ってるほどの間柄なのに、なぜ外に放置してるんです?」

「したくてしてるわけじゃない」と、中年の男が陰鬱に呟いた。

「うーん。ちょっとよく分かりませんが。もしかして皆さん、この家から外に出られない事情でも?」


 やはり誰も答えなかったが、なんとなく空気がピリつくような感じがあった。


 所謂、不規則滞在者というやつなのかもしれない。実際に出会うのは初めてだが、正規の手順を踏まずに死者の国に住もうとする生者達が増えているらしいと、話には聞いたことがある。時間の流れが異なる国に生身で住むなんてデメリットが多すぎる気がするが、現世で暮らせなくなるような特殊な事情を抱えた人達にとってはひとつの穴場なのかもしれない。


 若い夫婦は他の人達に聞こえない小さな声でぼそぼそと話し合っていた。その向かいに座る中年の男は黙って俯いており、俺たちを案内してきた女は居間の入口にずっと立ったままだ。


 俺とシュウノはそれぞれの携帯端末を弄っていた。


 埒があかない、何を待っているのかも分からないまま時間が過ぎて行く。いや、厳密にはこの死者の国では時間が流れないが、それでも滞在する生者の体感時間は過ぎていくし体力も削られていく。いずれは腹が減ったり喉が渇いたりトイレに行きたくなったりするのだ。それが肉体を持つ者の宿命だ。


「どうするんだ?」と、俺は小声でシュウノに尋ねる。


 シュウノは黙って首を僅かに傾げただけだった。相手がどう出るか、もう少し待ってみようということかもしれない。


 そういうのが俺は一番苦手だった。無言で互いの腹を探り合うような時間がどうにもムズムズして耐えられない。だから、シュウノが居てくれて良かったのかもしれない。


 事態が動いたのは体感で十五分後くらいだった。急に玄関のほうからドアを激しく叩く音と呼び掛ける声が聞こえた。突っ立っていた女が弾かれたように廊下へ出て行った。


「お待ちしておりました、ひとまずこちらへ……」

 女の案内する声が廊下に響き、間もなく居間に来客が入ってきた。


 背の高い痩せた男のようだった。やはりフード付きのマントで身体を隠し、にやけ顔の白い仮面をしている。見覚えのある仮面だ。そして来客は聞き覚えのある声で高らかに言った。

「わたくしが来ましたので、もうご安心です!」


「あれえ、ニセノさん?」シュウノが不思議そうに声をあげた。

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