シュウノと偽物
シュウノに話したら馬鹿笑いされた。
他の客がチラリとこちらを見る。駅前から少し外れた、目立たない店構えのカフェ兼パスタ店だ。うるさくお喋りするような客は来ないし、シュウノの声は何となくカンに障るような高めの声なので耳につく。
「
シュウノは自分が偽のメールで騙された件には頓着しない様子だった。相変わらず適当な奴だ。
「こっちは傑作どころじゃないんだよ」
「でも何事もなくて良かったじゃん。ま、藍村君に丸腰で近付くなんてその連中もリサーチ不足だよね」
「武器持ってこられても困るがな」
「はっはっは。あっはっはっは」シュウノはスパゲティをフォークに少し絡め、食べようとしてまた「ふふふはは」と、馬鹿笑いを再開した。
今にハゲそうなうっすい髪の色をしている。金髪というよりは銀とか灰色と言いたくなるような、薄いのに華やかさはない髪色だ。それがサラサラと伸びて肩の下までストンと落ちている。だから後ろ姿で女性と間違われることも多いが、正面から見る限りは小狡そうな眼をした男だ。この辺りではいまだに「ガイジン」と言われたりするような、彫りの深い白人顔で、全体の印象としては捉え所が無くパッとしない雰囲気だ。虹彩の灰色がよく目立つ、地味な茶色の目をしている。
ただ、西洋風の顔の男が西洋の食器で西洋の料理を口に運んでいると、何となく様になっていた。
「いいじゃん、もうヘッドハンティングされちゃえば」薄く静謐な形の口から、無責任な言葉が飛び出す。「自営の一人社長じゃ何かとキツイでしょ。そこそこの規模のところに雇われちゃった方がかえって気楽かもよ?」
「自分のことじゃないからって……」
「だって気になるじゃん、その謎の組織。藍村君がちょっと雇われて内部の様子見てきてよ」
「人の生活を娯楽に使うな」
「いいじゃん、それで駄目ならまた自営に戻ればいいんだからさ」
「そんな簡単じゃないんだよ。お前世の中なめてんだろ」
デザートのケーキとコーヒーが運ばれてきても、まだシュウノは思い出しては笑っていた。結局会計をして外に出てもまだ笑ってるので、いい加減イライラしてきて頭を一発叩いたらやっと止まった。壊れたラジオかよ。
「まー結局、災難だったねえ」
「災難どころじゃないよ。メールアドレス総取っ替えだぞ」
取引先に連絡して回ったり色々なサービスの登録情報を変更する手続きを思い浮かべて俺は憂鬱になった。頭が重くなって胃がもたれてくる。天気の悪い日は、すぐこれだ。低気圧と小さなストレスの組み合わせで俺の頭と胃腸はすぐに不平を言い出す。だから誰かに雇われて毎日決まった時間に出勤するなんて絶対に無理だ。自分のペースで働きたい、というか、自分のペースじゃなきゃ働けないのだ。
俺は湿って冷えた秋風とポツポツ降り始めた小雨から身を守るように上着の前を掻き合わせた。
駅が見えてくる。小さな、地方都市の隅っこの、華も活気も無い、トラブルや事件とも無縁の退屈な駅だ。俺はここからバス、シュウノは電車だった。
「じゃあね藍村君。新しいメールできたら教えてね」
バスを待つ列に並ぶ俺に片手を上げ、シュウノが駅構内へ向かおうとしたとき。
俺たちの前に白いロングコートの男が立った。
渋いデザインのボタンが二列に並ぶカッチリとしたコートを、だらしなく前開きで着崩している。襟付きのシンプルなカットシャツにセミフォーマルの黒いスラックス、ベルトとブーツは妙にゴテゴテと装飾がある。
それは、俺の隣で目を丸くしているシュウノとほぼ同じ服装だった。
シュウノの服装、シュウノと同じ髪色、長さやボリューム感も同じ。ただ、顔はそこそこ整ってはいるもののシュウノとは似ても似つかない典型的な東洋系だ。
「あのすみません、これ!」男は俺達に自分の背中を見せるような形で体を捻り、後ろ手に組んだ形で固定されている両腕をガタガタと振った。「解いて、くださいよ、あなたでしょう?」
声で分かった。先ほど死者の国に放り出してきた偽物野郎だ。脚の縛めだけなんとか解いて脱出できたらしい。
腕の方も待ってりゃ勝手に取れるのに。
しかし人通りのある場所で揉めたくないので俺は彼の腕の呪縛を解いてやった。
「ありがとうございます、ああ死ぬかと思った」偽物はたいして心の篭ってない口調で言い、まだぽかんとした顔で止まっているシュウノに向かって、「どうもすみません、わたくしは……」
「いや聞きたくないから聞かないから」俺は急いで遮った。「俺たちもう帰るから。バイバイ。シュウノもさっさと帰って。ほら電車来てる来てる」
「……もしかして僕のふりして藍村君に付いてった人?」シュウノが聞いた。
「ええ、まあ、そういうことなんです、これには深い事情が……」
「いやお前の話聞く予定ないからこっちは」俺は更に声を張り上げて遮った。
「一応聞いたらいいじゃん。何かのチャンスかもしれないよ?」シュウノがあっけらかんとして言った。
「そうそう、一応聞いた方がいいですよ?」偽物も便乗した。
こいつら、意外と素で似たもの同士なんじゃないか?
俺はシュウノとその偽物を交互に眺めながら、急速に頭痛が強まるのを感じた。
で結局、事務所にまで付いてきてしまった。事務所と言っても普通の地味なマンションの一室で、奥半分は俺の自宅でもある。
帰宅するはずだったシュウノも面白がって付いてきている。
お揃いの(微妙にデザインやブランドは違うようだが)白いロングコートが並んでハンガーに掛かっている光景はなんかウザかった。
商談のようなものは近所のカフェ等でしているので、この事務所に客を上げることは普段はない。奥のプライベートな空間に通すのも癪なので、仕事用の机の前に予備の椅子を持ってきて座らせ、水の入ったコップを渡した。
「……フゥ」偽物はごくごくと水を半分ほど飲んでから大仰な溜息をついた。「わたくし、実は、昼食がまだなんですが」
「知らねーよ。早く喋りたいこと喋って、終わったら帰ってくれ」俺は新しいメールアドレスを取るためパソコンを立ち上げた。
俺の背中に向かって偽物は勝手に喋りだしたが、俺は真面目に聞いていなかったのでそいつの会社が「株式会社プラ」だってことしか頭に入らなかった。
偽物が黙ったので俺は振り返った。
偽物はちょっと目を輝かせて、期待を込めた表情で俺を見ていた。
何か返事を待たれている雰囲気だ。
「結構です」と俺は言った。
「いや、あなた何も考えずに言ってるでしょそれ」
「うん、聞いてなかったけど、とにかく結論は変わらないから。じゃあ用が済んだら帰れ」
「あなたにとって悪くない話だと思うんですが」
「さあな、よく分からんが、興味が湧かなかったから。ご縁が無かったんじゃないすかね」
「聞いてないのになぜ分かるんです。分かりました、超短く説明し直しますから、あと五分、いや三十秒……」
「チッ」メールアドレス変更のための認証が上手くいかず、俺は画面に向かって舌打ちした。
「ほんとに全然聞いてないですね……」
「うるせえな。お前の会社が俺のメールを乗っ取るからこうなってんだろ。ぶん殴られる前にとっとと消えろ」
「でもその件に関しては」
「でも、とか、しかし、とか知らねえんだよ」
無益な言い争いをしているところに、奥のプライベートスペースに勝手に侵入していたシュウノが戻ってきた。
「あ、なんだ、ニセノさんまだいたの」
偽物だからニセノってことらしい。
「まだ、っていうか、だってまだ来たばかりですし、話の方も……」ニセノと呼ばれた偽物は、大袈裟に困った感じの声を出した。
「いいじゃん藍村君。お試しってことで一発、そちらさんからの依頼を受けてみれば」
「そう、そう」ニセノはすぐ勢い付いて便乗した。「雇用の形式は置いといて、とにかく一度弊社からのお仕事を受けてみてくださいよ」
「えぇー……」
めんどくせえ。っていうかなんで二人がかりで俺一人を説得みたいな形になってるの?
「藍村君、何事も経験、これ大事ですよ」とシュウノ。
「そう、そう、何事もやってみてからです」とニセノ。
なんだこれ。ていうか何こいつら。
シュウノにめちゃくちゃ腹が立った。てめえは長年の相棒よりも自分の偽物の肩を持つのか。まあそういう奴だよお前は。
頭に来たんでシュウノとニセノにそれぞれ小銭を渡して使いっ走りを頼んだ。シュウノにはパン屋のデニッシュ、ニセノにはスーパーの向かいに出店したばかりの唐揚げ屋のAセット。
シュウノはいつも通りに気さくに引き受けて出て行き、ニセノも自分の昼食をついでに買いに行けるのが嬉しかったのか、食いつくような勢いで飛び出して行った。
俺はメールアドレスの変更作業を中断して、出掛けた。ちょうど郊外のショッピングモールに向かうバスが来ていたので飛び乗り、携帯端末の電源は切り、本屋をぶらつき、チェーン軽食店でミルクティーとサンドイッチを口にして、文具や雑貨の店をぐるぐる見て周り、靴下が擦り切れてきたのを思い出して三足セットの地味なものを買った。
シュウノもニセノも、お使いから戻ってきてオートロックのエントランス前でぽかんとしていることだろう。インターホンを鳴らしても、俺が留守だから開ける人はいない。警備員や他の住人に頼んで建物には入れてもらったりもできるが、どっちにしろ部屋には入れない。
知るかってんだ。
ガキじゃねえんだから勝手に帰れば良い。まさか夜まで座り込んで待つほど二人とも暇じゃないだろう。
夜中になるまで帰らないつもりだったが、二、三時間もすると行く所が思いつかなくなり、雨もますます強まって頭痛も止まないので、渋々帰宅した。部屋のドアの前にぽつんと唐揚げ屋の紙袋が置いてあった。中にはニセノに頼んだ揚げ物の盛り合わせAセットと、チャック付きのビニール袋に収めたお釣りが入っていた。なんか律儀な感じが腹立つな。
シュウノからは携帯端末にメッセージが来ていた。
『デニッシュ売り切れてたから帰るね。お金、来週返す!』
売り切れなんてどうせ嘘で、店にも行ってないんだろう。こっちが体よく追い払う気なのを察して小銭だけ握ってトンズラしやがったな。ああ腹立つ。
あと、今朝の仕事の報告に対してお礼のメールが来ていた。
『内容を確認いたしました。ありがとうございました。これで夫の愛人の顔と身元が判明したので、私にとっても有利に事が運びそうです。お気持ちばかりではございますが、作業費とは別口で謝礼を送らせて頂きます』
今朝の魔法陣は結局、特定の条件で映像とメッセージが再生されるホームビデオの一種だった。旅行先で撮ったような男女のツーショットが多かったので、単に家族の思い出のアルバムなのだろうと思っていたのだが。
考えてみれば、それを他の家族が開けられない形の自作呪文で隠していたということは、そこに何らかの事情があることを察して然るべきだった。前にもこういうことがあったのに、うっかり忘れていた。依頼者からは厚く感謝されているみたいだが、呪文の制作者はこのことを知ったら俺を恨むだろう。恨まれたから困るというわけでもないが、後味はあまり良くない。
こういうことがときどきあるから、シュウノに付いてきてもらう方がいいんだよな。死者の国での仕事は相手と直接話して顔色を見たりできないので、目の前にある作業だけ追っているとトラブルや無駄足を抱えやすい。シュウノは技術的な作業はほとんどできないが、呪文の作成者の本当の意図を察したり、機転を利かせて状況を整理したりということに長けているから、その点で俺は頼ってきたし、充分に感謝は伝えてきたし、その都度妥当な形で報酬も払ってきた。
なのに、急にニセノの肩を持ったりして。何がしたいんだか、何考えてるんだか。まあ、どうせその場の気分で面白がってるだけで、何も考えていないんだろうけどさ。
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