第30話 風呂っていいよな。

 小竹さんのあの言動が不可解と言ったが、この前も確か不可解な言動があったような気がする。

 えっと……、いつの話だっけ?


「もうここまででいいわ」


 月坂の言葉に、俺はハッとさせられた。

 目の前には、ホワイトハウスのごとく荘厳な女子寮が。


「それじゃあわたしたちはこの辺で!」

「あぁ、そういえばモコも寮生活にしたんだな」

「はい。あんなことがあったので……」


 まぁ、自分の身を守る上では妥当な判断だろう。

 それに家賃はタダで、充実な設備が整っているらしいし。親元を離れて寂しいことを除けば、かなりお得だろう。


「あらあら、おかえりなさい」

「寮母さん、ただいま戻りました」


 寮母さんと呼ばれたその人は、『オバサン』と呼んでも優しく微笑んでくれそうな、ほんわかとした女性だった。

 長く伸びた黒髪と顔から出ている雰囲気は、どこか小竹さんや真琴さんと似ている気がする。

 しかし落ち着いた様子と目尻にあるシワは、二人にはない経験の豊富さを物語っている。

 頼れる寮母さんって感じだな。


「三人とも、今日はライブで疲れたでしょ? 早くお風呂に入ってらっしゃい」

「おっ、おふりょ……!! ぐへへ……」

「そういえばこの寮のお風呂って!」

「行くわよ、二人とも」


 お、お風呂か……。

 や、別に想像なんてしてないぞ。


「あらあら、何ですか? その下卑た目は?」

「うっ……」


 柔らかな微笑みから、刺すような声が聞こえてきた。


「そういえばあなた、この寮に侵入したんだとか?」

「いえ、あれは──」

「しかも、アイドルの下着姿まで目撃したとか?」

「……すみませんでした」


 こうなったのは小竹さんのせいです、という言葉が出る前に、俺は土下座をしていた。


「っふふ、本当ならば屈強な門番たちに絞め殺してもらわなくてはいけませんが、今回は許してあげます」


 今、物騒な言葉が聞こえたような……。


「あと、あなたの上司からの言伝ことづてです」

「言伝?」

「──二軍のみんなをありがとう。特に月坂さんが"最高"だったよ、ですって」

「はい」


 その言葉を聞いて、疲れがドッと身体にのしかかって来た。

 安心したからだろうか。だけど悪い気分では無い。

 何かを懸命にがんばること、がんばる誰かを見守ることってのは、案外悪くないのかもしれない。



 〇



「美弧乃ちゃん、リピートアフターミーです! ──一番前のあなたたち、キモいからもう少し下がってくれない?」

「いっ、一番前のあなたたち、……キモいから……」

「もうっ! 真面目にやってください!」

「嫌よ! なんでお風呂でそんなことしなきゃいけないのよ!!」


 女子寮の大浴場にて、私、月坂美弧乃はモコに変なレッスンを受けさせられていた。

 メルキスのライブに出た日、私のキレッキレ(?)なドSアピールを見て翼は「お前すげぇな」ってドン引きしながら言ってたけどアレ、モコのせいだからね! あとドン引きするな!!


「私、ドSじゃないのに。ドSで売りたくないのに……」

「仕方ないですよ、ファンが求めてるんですから」

「いや、そうかもしれないけど……」


 ドSキャラのおかげで二軍ユニットに入れただなんて、あまりにも不本意すぎる。

 だから他の要素を伸ばすべくダンスに励んだ。ぽっと出のあの女になんとかついて行こうと頑張った。

 でも、悔しいけど今の私では、あの子に敵わない。私のダンス技術は二軍ユニットの足元にも及ばないだろうけど、あの子の場合は間違いなく一軍ユニットに一番近い。

 もう少し頑張らなきゃ。一軍ユニットに昇格しなきゃ。選抜オーディションに出なきゃ!

 ……じゃないと、私は──。


「ぷはぁぁぁぁ!! 気持ちいぃぃぃぃ!!!!」


 まるでオッサンが言いそうなセリフが、隣から聞こえてきた。


「日向さん、お疲れ様です!」

「お疲れ〜。てかマジで引っ越し疲れたぁ〜。あっ、今日からこの寮でお世話になるんでよろしくぅ〜」

「はい、お願いします♪ あっ、改めまして! とびっきりプリティな桃色アイドル! 咲良さくらモコと申します♡」

「おっ、もしかしてアイドルっぽい挨拶? めっちゃ萌え萌えじゃん!」

「えへへ〜、ありがとうございます!」


 モコと日向さんの会話に割り込むことなく、私は彼女たちから目を背けた。

 いや、別に二人とも、私に無いものをぶら下げてるのが見たくないからじゃないからね、ホント。


「それにしてもモコちゃん、中学生にしてはなかなかのモノをお持ちですなぁ」

「へっ?」

「良かったらさ。──揉ませて?」

「ひゃっ!? なっ、何言ってるんですか!!」


 あーもう何なのこの女! せっかく考えないようにしてたのに!!

 てか何よさっきから! 頭にセクハラ親父でも住んでるの??


「良いではないか良いではないか。お姉さんがそのお胸を大きくしてあげようではないか」

「じゃっ、じゃあ……、代わりに日向さんの、触ってみてもいいですか?」

「ん? いいよ〜」


 あー! モコずるい! 私だって触ってみたいのに!! 疑似体験してみたいのに!!

 いや、そうじゃなくて!!


「じゃあ……、失礼します!」

「ひゃっ!! ……もう、モコちゃん、くすぐったぃ……。って、モコちゃん!? 顔埋めるのやめて!?」

「ハァハァ……、わたし、ここにお墓作っていいでしゅか?」

「……んもぅ、モコちゃんったらぁ〜。仕返し!」

「きゃっ! ……あっ、あぁ。日向しゃん、やめれ……」

「くふふふ……、大きくなぁれ大きくなぁれぇ」

「ふにゃあぁぁぁ……」

「──あーもう! 二人とも静かにしてちょうだい!!」


 この場に三人しかいないのを良いことに。私しか聞いてないのを良いことに……!

 さすがに堪忍袋の緒の切れた私は、大声で怒鳴りつけた。


「第一あなたたち、さっきからおっぱいおっぱいおっぱいおっぱい! 何なの!? 私への嫌味なの!? 当てつけなの!?」

「「…………」」


 えっ、ちょっ、二人とも急に黙らないでくれる?

 これじゃあ私、騒ぐ陽キャの空気をぶち壊した陰キャみたいじゃない!


「あーあ、モコちゃんとせっかく仲良くスキンシップしてたのに。台無しぃ〜」

「何その言い方、すっごいムカつくんですけど……」

「はいはい騒いでごめんなさーい。あっ、もしかして揉んで欲しかった? って言っても、さすがに月坂さんには痛いんじゃない?」

「悪かったわね、揉むところが無くて! 言っとくけど、このスタイルはわざとだから。動きやすいからパフォーマンスに適してるんだから!」

「はいはい言い訳乙〜。てかその動きやすいスタイル(笑)、翼が果たして振り向くのかなぁ〜?」

「は? 翼くんは関係ないでしょ? 妖怪巨乳ビッチ」

「お? やんのか妖怪貧乳バイオレンス陰キャ」

「い、陰キャじゃないし! ていうかあなた、そもそも──」

「──あーもう! 二人とも静かにしてください!!」


 私たちの間に割って入ったのは、モコだった。


「二人とも、大人げないですよ!!」

「「お、大人げない……!?」」


 そんな……! 私、今年で22歳なのに!!

 義務教育すら終わってない女の子に大人げないと言われ、さすがにこれには何も言い返せなかった。


「こんなこと言うのもアレですけど、二人とも、子役時代のわたしよりも精神年齢が低いと思います!」

「「うぐっ……」」


 もうやめて、モコ! 私たちのメンタルは崩壊寸前よ!


「そんなあなたたちと、もし仮にユニットを組んだらって考えたら、もう不安でしか無いですよ!」

「いやいや待ってモコちゃん、それはあくまで仮の話でしょ? アタシたちがユニットだなんて──」

「そーいう問題じゃありません!!」

「ごっ、ごめんなさい!!」


 ただの中学生らしい可愛い子どもだと思ってたのに。アイドルへの愛と情熱のベクトルがおかしい子だと思ってたのに。

 さすが子役経験があるからか、真面目なところがあるんだと私は実感した。

 それにしても、私たち三人がユニットかぁ。

 ……三日で解散しそう。主にこの陽キャのせいで。


「ぷはぁぁぁ!! 良いお湯だぜぇ!!!」


 私たち三人よりも大きな声が、大浴場にこだまする。

 

「えっと、あなたは、確か……」


 その声の主は、今日の『i・リーグ』のステージに立っていた『ラ・テティス』のリーダーで、確か小竹さんいわく『五本指』の一人で……。


「……って、何であなたがここにいるんですか!?」

「んぁ?」


 いや、そんな寝ぼけた声で返されても困るんですけど。


「あなた、ホワイトケミカルの人間じゃないでしょ!? 不法侵入じゃないですか!!」

「ふほーしんにゅー? まぁ、それもそうか」


 それもそうか、じゃないでしょ!? 完全に犯罪じゃない!!


「まぁ細かいことはどうでもいいじゃねぇか。ロックにいこうぜ〜」

「いやいや、どうでもよくないでしょ? ねぇ、日向さんも何か言ってよ!」

「えっ? 別に悪い人じゃなかったらどうでもよくない?」


 日向さんまで……。というか、モコはどこに行ったの?


「ブクブクブクボゴゴゴゴゴゴ……」


 沈んでる。でも何故かニヤニヤしてて怖いからそのままにしよう。

 しかし、いくらなんでも不法侵入は見過ごせない。

 なんとかして彼女を追い出さないと。そう思った瞬間、見慣れた平地が目に入る。


「………………」

「……どした?」

「……いえ」


 仲間が欲しいので、そのままにしよう。

 この日私は、初めて犯罪から目を背けたのであった。

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