第9話
先刻の、蝶番を弾き飛ばすほどの蹴りよりも数段は威力に勝る攻撃。否、ただ、邪魔な障害物を撥ね退けただけ。
受け止めれば隙ができる。斬り払うことはできるだろうが、斬った断片がまだ万全に動けない陽人に飛んでいく可能性もある。
どうするか──夕魅は一瞬の迷いもなく、妖怪の力で打ち出された一メートル越えの木片を、そっくりそのまま蹴り返した。
型も何もない、煙草とライターをポケットに仕舞いながらの前蹴り。所謂ヤクザキック。
運動量も慣性も知ったことかという挙動で飛翔方向を180度転換したドアは、再び土蜘蛛の顔面を襲う。
しかし、相手も戦闘本能の塊、捕食者の妖怪変化だ。稲妻のような動きで飛来する木材を躱すと、自前の武器、最も自信のある殺傷手段によって殺すため、距離を詰める。
夕魅は紫煙を吐き、這い回る八つ肢の化生に気だるげな目を向けた。そして。
「……相変わらず、怖いわね」
「あぁ……全く勝てる気がしないよな」
呟くように会話する陽人と仄火の前で、土蜘蛛の四対の肢、そのうちの半分、胴体の左側に生えていた足の全てが斬り飛ばされた。
動きを完全に読み、進行位置に斬撃を置くような攻撃。
景虎なら、陽人相手に似たようなことができる。熟達した使い手が、手の内を知り、動きの癖を知り、自らが教えた弟子を相手にようやく再現できる妙技だ。
土蜘蛛はユニーク──世界に一匹しかいない妖怪を指す名前ではなく、あくまでも種族名だ。だが、口裂け女のようにどこにでもいる手合いでもない。祷祓課の戦闘員でさえ、戦ったことがあるのは一握りのはず。夕魅にとっても慣れた相手ではない。
だが、動きは完全に読めていた。
経験から読んだのではない。相手を見て、今この場で読み切ったのだ。
人間技ではない。──事実、彼女は純粋な人間ではない。
返す刀で土蜘蛛を両断した彼女は、日本全国でも類例が十指で足りるほどの希少存在、
半分妖怪で、半分人間。──より正確には、彼女の内にある人間の割合は四分の二。
人間の心を読む覚り妖怪と人間のハーフを母親に、強靭なタフネスと剛力を持つ鬼と人間のハーフを父親に持つ、先天的強者だ。
「……ん」
鞘を拾って納刀した夕魅が、座り込んだままの陽人に手を差し伸べる。黒い粒子になって空気に溶けていく、半分ずつに分かれた土蜘蛛の死骸には目も呉れない。
助け起こしてくれるのかと思って手を取った陽人だが、彼女は手首を返して手を解くと、ぺちりと陽人の手を叩いた。
「違う。灰皿返して」
「あ、うん」
夕魅はどこか慎重な手つきで、咥えていた煙草を口元から離す。見ると、燃焼部の先に長い燃えカスが付いている。今にも床に落ちそうだ。
床を汚さないようにという配慮ができるなら未成年の前で煙草を吸うなと、彼女の上司にあたる千里なんかは怒るだろうが、陽人は大して気にしていなかった。むしろ、自分がいるからという理由で煙草を我慢する必要はないと思っているほどだ。
「ありがとう、助かったよ、覚おねーさん」
「お礼はいいわ。それより、藤原さんに探索課の文句言っといて。連中、土蜘蛛の周りの依頼を一つ残らず撤去しろって言ったのに、一つ取り下げ忘れてたのよ」
紫煙を吐きながら気だるさの中に僅かな怒りを滲ませる夕魅。
一件──言うまでもなく、陽人が委託を受けた絡新婦のことだろう。
煙草を消して灰皿をポケットに突っ込み、夕魅は漸く陽人を助け起こしてくれる。仄火と夕魅に肩を借りながら階段を下り、ビルを出る頃には一人で歩けるくらいに回復していた。
「あの土蜘蛛って、もしかして」
隠しておいた荷物を取り、木刀を竹刀袋に突っ込みながら訪ねる陽人。
確信の部分を省いた問いだったが、夕魅は「あぁ、うん」と忌々しそうに頷く。
「あれは
「うん。万が一、絡新婦の仕業だったら嫌だなと思って」
「冗談のような可能性ね。普段なら」
「……普段ならって?」
「最近、妙な挙動をする妖怪が増えてるのよ。アンタたちが襲われた袋貉もその一つね」
なるほど、と頷く陽人。
拉致事件の犯人は土蜘蛛だったものの、普通は男を誘惑して巣穴に誘い込む絡新婦が、強引な、血を流すような手段を取ってくる可能性もあったということだ。土蜘蛛ではなく、絡新婦が同じような事件を起こしていた可能性も。尤も、対峙した感覚としては、あの絡新婦はいつもの通りだったように思えたけれど──。
「理由は分かってないの?」と、陽人に先んじて仄火が尋ねる。
「相関性はまだ未確認だけど、最近、探索課が血眼で探してる奴がいるわ。なんでも、ほんの数秒だけだけど、固有の妖力反応がこの町で検知されたそうなの」
「固有の……ユニークってことか」
忌々しそうに言う陽人。
ユニークとは、同種を持たない、その名を冠する存在はこの世でたった一体しかいない妖怪のことだ。
例えば河童や口裂け女とは種族名だが、“酒呑童子”は鬼の中でも特定の個体を指す名前だ。“平将門公”も、怨霊という種の中でたった一人の人間の怨霊のことを指す。
ユニークは例外なく強力で、祷祓課の陰陽師でも歯が立たないようなのもいる。陽人が5年前に遭遇した一対二人の鬼もユニークだったが、日本屈指の陰陽師である夕魅をして「二度と会いたくない」と言わしめる。
「そう。しかも、かなり面倒なのがね」
陽人と仄火は怖いもの見たさにも似た感情で言葉の先を待つ。どうか、奴らではありませんように、と、宛てもなく祈りながら。
果たして、夕魅の告げた名前は、恐れていたものではなかったが、恐れていたものよりもなお恐るべきものだった。
「大妖怪、金毛白面九尾。またの名を──」
「玉藻の前……!」
超のつくビッグネームに、陽人と仄火が愕然と声を揃える。
大妖狐、玉藻の前。傾城傾国の化生、国で遊ぶ怪物。
平安末期に討伐されたはずの、伝説的妖怪だ。まさか、1000年の時を経て復活したというのか。
だとすれば、非常に不味い。
玉藻の前を討伐したのは、英雄個人ではなく、安倍晴明の子孫泰成など多くの有能な将を擁する征伐軍だ。土蜘蛛は英雄譚の悪役、英雄個人に匹敵する怪物だが、玉藻の前はさらにその上。英雄に率いられた軍勢に匹敵する怪物。
化け物の中の化け物だ。
「なんでそんな奴が──いや、何が目的?」
陽人が言葉の途中で問いの内容を変えると、夕魅は牙を剥くようにニッと笑い、陽人の頭をワシャワシャと撫でた。
「ちょっとはらしいコト言うようになったじゃない? そ、妖怪に“何故在るのか”は無意味。物理法則も無視するような存在だし、事実として“在る”以上、その発生理由を問うのは意味がない。……っていうのは言い過ぎだけど、戦闘員の私たちが考えることじゃあない。重要なのは──」
「──“何を為すか”。どのような悪意で、どのような害を撒くのか。俺たちが考えるべきは、その対処法と殺し方、だよね」
陽人と夕魅はあくまでも合理的に、感情を排した思考をもとに言っている。二人とも、妖怪の発生理由や細かい性質も出来るなら知りたいとは思っているのだが、流石に実戦要員だ。研究者の語る内容は今一つ理解できないし、研究職レベルで勉強する気もないので、二人が専門知識を身に着けて自ら考察することは暫くないだろう。
ちなみに陽人に最初に妖怪のことを教えてくれた千里は、陽人や千景のように才ある者が考えるべきは「自分と大切な人を守る方法」だと言っていたが、好戦的な夕魅に懐いてからは、陽人の思考も喧嘩っ早くなっていた。
「どうして生まれたのかではなく、何をするか。……人間と同じね」
ぽつりと呟いた仄火に、陽人が目を瞠る。
「……急にカッコいいこと言うのやめてくんない? ドキッとするから」
仄火は小さな舌を唇から覗かせ、揶揄いも露に目を細めて笑った。
10歳そこらの外見ながら、極端に整った容貌だからか、妙に婀娜っぽい仕草が絵になる。陽人としては哲学的にカッコいいセリフとは別のベクトルでドキドキするので、できれば止めてほしい。
ドキドキするから止めてくれ、なんていうと、それこそ小児性愛を疑われそうなので何も言わないけれど。
「そういえば覚おねーさん、そのサングラス何?」
話を逸らす──仄火に魅入られそうになった目を逸らすためばかりではなく、一目見た時からずっと抱いていた疑問を投げる陽人。
仄火もまさか見惚れさせていた自覚はなく、「確かに」と頷いて視線を向けた。
「何って、変装よ」
当然でしょうと言いたげな夕魅だが、普通の人間は変装なんてしない。
いや、芸能人なんかはプライベートな時間を守るために変装することもあるが、彼女はテレビに出てくる有名人ではない。
そりゃあ、まさか国宝指定刀剣の影打ち作、対妖怪性能や武器としての切れ味なんかを度外視しても、歴史的・美術的価値の高い文化財を持ち歩いていると思われないために、偽装はする。陽人が眉を顰めてしまうようなチープな外装はそれだ。
ただ、本人の方は半人半妖とはいえ、外見的にはただの美人なおねーさんである。オーソドックスなパンツスーツは道を歩いていても何の不思議もない、都市用迷彩服の意味もあるし、着こなしに目を瞑れば普通だ。既に偽装は完璧のはず。むしろサングラスが異彩を放っているまである。
「なんで?」
この際センスはさておく……かどうかは、理由を聞いてからだ。
もしも彼女が警察や探偵のように人ごみに紛れて誰かを追跡するつもりでいるのなら、サングラスは無い方が幾分マシだと主張する必要がある。
問われた夕魅は、また当然のように淡々と答える。
「玉藻の前が何を企てているにしても、祷祓課は──中でも上位の私なんかは特に邪魔なはずだから、狙われないようにね」
自信満々なことを言う夕魅だが、陽人も仄火も笑わない。
事実として、強力な妖怪が出たのなら彼女を頼ればいいと考えている妖怪狩りは、アウトソーシングサイト利用者のみならず、祷祓課の中にも数多い。
が、それはそれとして、彼女の“変装”は人物の特定を防ぐ目的であるのなら、疑義のつけようもない落第点だった。零点だった。
「えぇ……?」
「スーツも靴も髪型も煙草もいつも通りじゃん! 知ってる人からしたら名前書いてるようなものだよ!」
名前を書いたせいで零点になるケースも珍しいが。
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