第1章 そんな宇宙の片隅で
第003話 運送人(トランスポーター)
「――お疲れさん、サインを頼む」
俺はカウンターにいた若い女の子に声をかけて、右手に持っていた
カウンターの向こうで
「あ、レーンさん。お疲れさまですぅ」
と素直に
「ちょっと待ってくださいね、いま
女の子は取り出したタッチペンを俺の
今回の
ここは、惑星ファステトの衛星軌道上にあるスペースコロニー《アイリーンⅣ》。
直径三・六キロほどの、どこにでも浮かんでいるリングドーナツ型のコロニーだ。内径三〇〇メートルほどの
俺がいま立っているのは、三つめのリングドーナツの中央、穴の部分にあたる場所に造られた円盤状の建造物――いわゆる
俺が勤務する運送会社『トランスキャット』の支店もそのひとつだ。
一人乗りの
目の前の女の子は、俺と同じ
その彼女は、俺の右手に目をやったまま、なんとも同情的な表情をして少しの間じっとしていた。ああ、やっぱり気になるのかな。うん、その表情にはもう慣れたけどね。
俺の視線を
「――あ、ごめんなさい。その……お仕事にはもう慣れましたか?」
様子からすると、俺がここに転職した理由を彼女は知っているらしい。
俺は、右上に《アーシェス・
「ああ、もう三か月になるからね」
「大変だったとお聞きしてますけど、お
「ありがとう。平気だ。こいつにももう慣れたしね」
俺は笑って右手を振ってみせる。肘から先が細い金属の棒になっていて、先端には四本指のマジックハンドがくっついている。
そう、俺は六か月ほど前に事故で右手を失った。
「そうですか。それならよかったです」
彼女は生まれもった愛らしい表情でにこりとすると、それに呼応するかのように左右の耳がピクリと揺れた。やっぱり可愛いな、
「えっと、ではこれからのスケジュールなんですけど――」
キーボードを操作しながら、彼女は話題を変えた。
エルグリューン星系から惑星ファステトまで一〇日間の長旅だったので、明日はお休み。
だから、俺が地上に降りることは
俺は、
アイリーンⅣの中心にある
支店のロッカールームで私服に着がえた俺は、エレベーターホールに備えられた待合用のベンチに
運が悪いことに、前のエレベーターは俺が来る直前に出発したばかりだった。
こんなことならロッカールームでシャワーも済ませておくんだった。だけど、四方八方から飛んでくるシャワーってあんまり好きになれないんだよな。重力がほとんどないからしょうがないんだけど。
そんなことを思いつつ、床に置いたバックパックから飲み物の入ったボトルを取り出そうと右手を伸ばし……あわてて引っ込めて今度は左手を伸ばした。「もう慣れた」とさっきは強がってみせたけど、やっぱりまだ慣れてはいないようだ。右手のマジックハンドじゃ、バックパックのファスナーは開けられない。
左手でファスナーを開け、中からボトルを取り出して脇に置き、もう一度左手を伸ばしてファスナーを閉じる。バックパックが動かないように両足で
ボトルを右
当たり前のことだけど、エレベーターは降りる人が優先だ。たまに我先にとエレベーターに乗り込もうとする不届きな
そうして最後に降りてきた
黒いブラウスの上にワインレッドのコートを
相手も俺の姿を認めたようで、一瞬驚いたような表情を浮かべると、やがてそれを笑みに変えながらゆっくりと近づいてきた。コートのポケットから覗いている黒いサングラスには見覚えがある。最後に彼女と会ったときに、俺がプレゼントしたものだ。プレゼントというか……もともと俺の物だったのに、別れ際に彼女に奪いとられてしまった。そうか、使ってくれてはいるんだな。
「――ファルターク、お前がどうしてこんな場所にいるんだ?」
少しハスキーな
この
「大尉こそ、いったいどうしたんですか?」
照れ隠しに苦笑しながら、俺は質問を質問で返した。
彼女の名前はミランダ・アークウェット。俺の上官だった人だ。そう、俺、前職は軍人だったんだ。
少しウェーヴがかった
「いや、
「具合でも悪いんですか?」
「まあ、もう
そう言って彼女は少し困ったように笑った。どうやら俺の質問に彼女も呆れたらしい。
「お前のほうはどうなんだ、ファルターク?」
「会社の支店がここにあるんですよ。で、荷物をここまで運んできたと……」
「ああ、そうだったな……」
そこで彼女は、何かを思い出したように少し表情を
「……まあ、立ち
「あ、いや長旅だったし今夜はゆっくり寝ようかと――」
「上官命令だ!」
アークウェット大尉に食い気味に
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