二人の時間が無限になるまで

けろけろ

第1話 叶った恋

 僕がバイト先である小さな探偵事務所の所長、佐野彩子さんを好きになったのは、高校一年生の夏だった。彩子さんは白い肌と長い黒髪、気が強そうな顔立ちをしていて――いや実際、男性相手に一歩も引かなかったりする。しかし背丈は百五十センチメートルも無くて可愛らしかった。でも所長をやっているだけあって、僕より十四歳も年上。そのせいか話術に長けており、嘘やハッタリで事件を解決する事も珍しくない。そんな彩子さんに、凡庸を絵に描いたみたいな僕が挑む事にしたのだ。

 じっくり考えた上で決めた最初の告白は、高校二年生の時。大学生になったら考えるねとあしらわれた。

 次の告白は大学一年生の春。周囲に合わせておしゃれもしてみたけれど、まだまだ未成年とツーブロックの頭を撫でられた。

 その次は成人式の日。ボクシング部に入って体力と腕力をつけつつ臨んだ。彩子さんは暫く考え「今後の大学生活を楽しんで、それでも私がいいのなら付き合う」と言ってくれた。

 最後は入社式当日。頑張って良い会社に採用して貰っていた。もう彩子さんと付き合う気だったし、逃がすつもりも無かったので、入社に合わせて二人で住めるマンションを用意する。そこに彩子さんを案内し、結婚前提のお付き合いを申し込んだ。彩子さんは「頑固な奴! ただし籍は入れないよ! 翔には未来があるからね!」と言いながら笑い、それでも告白自体は受け入れてくれた。

 僕はその日、彩子さんと初の口づけをして――幸せとはこういう事を言うのか、と感じたのを覚えている。

 僕が二十二歳、彩子さんが三十六歳の時だった。




 それから五年。

 僕はいわゆる大企業の末端管理職として勤務していた。彩子さんは相変わらず『佐野探偵事務所』を経営していて、社員である横島さんやバイトの久保さんと頑張っている。たまに警察を呼べないタイプの乱暴な客が現れると、僕にヘルプが来るので、そんな日は勤務中であろうと駆けつけた。社会人としてはどうかと思うけれど、年に一回あるか無いかだし、心を痛めつつも急病を装うから周囲に許して貰える。

 そんな夜は、大抵軽い口喧嘩が起きた。

「そろそろ事務所を畳みませんか? 僕の収入で暮らせますし、ぜひぜひ家庭に入ってください。危険な目に遭うのも程ほどにしましょうよ」

「嫌だってば。事務所はね、私の目が黒い内は絶対に畳まないよ」

「はぁ……説得しても無駄か」

「専業主婦はガラじゃないし、困ってる人の役に立ってるし、従業員も居るんだから!」

「じゃあ僕を社員にしてください」

「……残念ながら、そこまで儲かってなくて。翔まで抱えたら生活が破綻しちゃう」

 僕は社員である横島さんを思い浮かべる。最初は引きこもりだったのが、とっくに社会復帰――というか、立派な感じになっていて、どこの会社でもやって行けそうだ。でもまぁ、外の世界に連れ出してくれた恩義もあるだろうし、仕事内容に退屈はしないし、彩子さんがサッパリした人で居心地もいいから続けたいだろう。バイトの久保さんに至っては「この仕事、面白くて最高ですね」と言っていた。なので二人が、彩子さんの傍で仕事する権利を譲ってくれるとは思えない。

 こんな時、毎回僕は折れて、その代わりと言っては何だが彩子さんを強めに抱く。心配の裏返しだと知っているから、彩子さんも素直に受け入れてくれた。


 そんな日常しか無い状態で。

 珍しく横島さんから連絡が入った。僕が事務処理で忙しい午前中にだ。

 横島さんから聞いたのは、事務所に定休日が増えたという話だった。更に彩子さんは、電話の一本で休む事が多くなったと言う。

 長い人生、仕事に気が向かない時期はあるかもしれない。だから、それ自体は一向に構わないのだが、彩子さんは僕にその件を一言も漏らしていなかった。

『実は佐野さん、最近あまり元気も無いんだ……それに、佐野さんが居ないと、なかなか心を開かない女性客なんかの接客は、僕と久保くんじゃ無理なので困るし。でも鷹山くんが何も知らないんじゃ仕方ないね』

「彩子さん、今日は来てるんですか?」

『いや、休みだよ。今朝もいきなり連絡が来て』

「……じゃあ家に居るのかな。後で本人から聞きますね」

『ありがとう』

 こうして横島さんとの通話が終わる。

 その後、僕が彩子さんに連絡を取ったのは昼休み。彩子さんの携帯は繋がらなくて、留守番電話サービスに移行してしまう。

(何だろう、風邪でも引いて寝てるのかな?)

 だったら連絡しても悪いと思ったので、僕はプリンやゼリーと水分補給用の飲み物を買って帰った。心配しつつ見上げた僕たちの部屋は真っ暗だ。かなり具合が悪いと確信する。僕はそっと玄関のドアを開け、寝室を窺った。

(ああ、やっぱり)

 そこには苦しそうに寝ている彩子さんが居た。起こすのも何だし、なるべく静かに僕の日常――風呂やら食事やらをこなす。


 翌朝、未だ彩子さんは調子が悪そうだった。

 僕は彩子さんに横島さんから連絡が来た事を伝える。

「もしかして今までの臨時休業は、昨日みたいな感じで具合が悪かったんですか? 定休日を増やしたのにも関係があります? しばらく事務所を休んで、病院に行った方がいいですよ」

「……うーん、どうするかな」

 彩子さんは、うだうだと迷っていた。なので、ここぞとばかりに押す。

「長引いてるみたいですし、ここはキッパリ治しましょう。あと、こういう時は僕にも言ってくださいね。同棲してるのに横島さん経由で彩子さんの調子を知るなんて、情けなかったです……」

「まぁ翔が出勤する時、私はまだ寝てるし……君は残業続きで言う暇ないよ。たぶん私より疲れた顔してるぞ」

「そこを突っ込まれると辛いですね。まぁとにかく今日は病院へ! 保険証は持ち歩いてますよね?」

「ああ、解った」

 それから数日で彩子さんの調子は良くなった。横島さんも安心している事だろう。ただ調子が出過ぎたようで、溜め込んでいたらしい長期の出張がかなり増えてしまった。

「こんなに出張ばかりじゃ心配ですよ。事件に巻き込まれるんじゃないかって」

「横島がいるから大丈夫だよ」

「横島さんだって、家に帰れなくて可哀相です」

「いいんだよ、ついでに温泉入ったりしてるし」

「横島さんと久保さんだけで行けばいいじゃないですか」

「あいつら二人じゃ危なっかしい。それに久保はバイトだしな」

 そこで僕はピンと閃く。

「僕、けっこう有給余ってるんですよ。消化しないと上司に怒られるし、ボクシングで腕力にも自信があるし、今度の出張は連れて行ってください」

「あのねぇ、一応役職に就いてんだから、そういうのは言葉だけ受け取っておくもんなんだよ。ほんとに長いこと休んだらヒソヒソ言われるぞ」

「そうなんですか!?」

「翔は表裏が未だに解らないんだね」

 彩子さんが、あははと笑っている。彩子さんによれば、あまり空気が読めないらしい僕なので、こんな時はとても頼りになった。

(横島さんと久保さんに悪いな……でも従業員なんだし我慢して貰うか)

 学生時代に聞いてはいたけれど、社会人は本当に大変だ。

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