2話

 警報が響く。


 数年前、初めて観測された厄災を知らせるサイレン。屋外ビジョン、電光掲示板が危機を示す赤字に染まる。


 厄災の名は『プテラ』。


 突如として空間に生じる裂け目『ホロウ』から出現する地球外生命体。


 無差別な破壊活動を繰り返し、生物の亡骸を持ち去っていく。理由は不明。公表されている識別名すら、ある存在から聞かされただけであり、その殆どは謎に包まれている。


 未知の脅威に変わりはない。だが、人々にとってプテラの襲来は何度も経験したことだ。地域ごとに指定されたシェルターへの避難もスムーズに進む。


「十一時に動画更新されてんの気づいた?」


「え、マジ? いっつも九時更新だから昨日はないのかと思ったわ」


 学生が情報端末を操作しながら話す。なんてことのない会話。遅刻ギリギリだったサラリーマンに至っては言い訳ができたと安堵していた。そこに危機感は一切感じられない。


 あとは厄災を対処するために編成された特殊部隊E3T2Bイースリーティートゥービーが鎮圧にあたる。彼らがプテラを討伐すれば、いつも通りの日常の続きが繰り返される。


 その筈だった。


「ん?」


 最初に異変に気付いたのは子どもだった。


 空間に、小さな亀裂が発生した。孵化する直前の卵に罅が入るように。


「おい、あれって……」


 多数の人間が気付く頃には罅は広がり、人を超える大きさにまで至っていた。


 ホロウやプテラ。その出現過程を目にしたものは以外にも多い。国は個人によるプテラ関連の情報発信を禁じているが、完全な情報の統制は不可能だった。ネット上には関連動画がいくつも投稿されていた。だからこそ、人々が罅の正体を理解するのにそれほどの時間はかからなかった。


 罅が割れ、真っ白な空間が口を開く。一度飲み込まれれば帰還は不可能、そう思わせる不気味さが漂っていた。


 内側から這い上がるようにして、巨大な昆虫の前肢のようなものが現れた。発達した爪は、短い鎌のよう。それは自らの体を引き上げる。


 ホロウから現れたのは、白い異形。


 深海魚を思わせるつるりとした頭部。眼がなく、代わりに口が大きく発達しており、端から二本の大きな牙が挟み込むように生えている。さらに口の内側には人のような歯列が並び、二重構造になっていた。キチキチと不快な音を立て、荒い息を吐く。


 胴体からは五節に分かれた昆虫のような細い腕が四本。人を優に超える大きさで昆虫並みの力があるとすれば、その腕は人の命など容易に刈り取ることができるだろう。


 下半身には象のように逞しい太く短い脚。プテラが踏みしめる度、振動が周囲に伝わる。


 ホロウはランダムな座標に出現する。事前に察知することはできず、確認され次第迅速な対応をとっている状態だった。それが今回、不運にも避難先である地下シェルター内部で出現してしまった。


 プテラの威容を間近で目にした者は様々な反応を見せる。悍ましさに足が竦み、その場に縛り付けられる者。内側で湧いた恐怖を吐き出すように喚き散らかす者。他者を押しのけ、我先にと地上へ逃げ出す者。


 生存本能が激しく警鐘を鳴らしていた。目の前の怪物にとって、人間は被食者でしかないのだと。


 不運にもプテラの側にいたものが、腕に絡めとられてしまう。


「ひっ!?」


 プテラの大きな口が裂けるように開き、人の体が半分ほどプテラの内部に隠される。そして、プテラの口が力強く閉ざされた。上半身がかみ砕かれ、嘘のような血飛沫が舞う。


 残虐な一部始終を見てしまったものは恐慌状態に陥ってしまう。人が人を踏み潰して死傷者が出る有り様だった。


 そして逃げ遅れた者の中に、栗色の髪を短く切りそろえた少女がいた。これといった特徴のない、すれ違っても記憶に残らないであろう少女。少女の体は震えているが、周囲の人々に比べれば落ち着いて見える。適切な判断ができそうなものだが、逃げようとはしない。どこか諦観に満ちた表情でプテラの繰り広げる惨劇を眺めていた。


 プテラの投げ捨てた肉片が転がり、栗毛の少女の頬に粘ついた血が付着する。


 体中に返り血を滴らせるプテラ。その首が角度を変え、栗毛の少女を捉えた。ゆっくりと重い足音を響かせながら少女に近づく。


 栗毛の少女の眼前に迫ったプテラが見下ろし、関節の多い腕を振り上げた。少女は死を受け入れるように目を閉じる。


 鋭利な爪が、少女の命の灯を絶やす。


 誰もがそう思ったとき、髪を一つに束ねた少女が割って入った。体型が強調される程ピッタリと体にフィットした伸縮性の高いボディスーツを着用しており、顔の下半分を黒いマスクで覆っている。晒されている切れ長の双眸がプテラを射抜いた。


 不意に現れた少女は、腰に差した機械刀に手をかける。微細な振動によって切れ味を増幅させた刀身が鞘の内側を滑り、解き放たれた。洗練された居合が、栗毛の少女に迫るプテラの腕関節を斬り裂いた。


 プテラの二本の腕が宙を舞い、切断面から緑の液体が飛び散る。


 痛みを感じさせぬプテラが再度攻撃を仕掛ける。マスク姿の少女は、迫りくる二本の腕を斬り上げながら跳躍。機械刀の刀身を水平に鞘へと納めた。


 そして鞘を縦に持ち替える。上へ向かって刀を引くと、覗く刃文が怪しく光を反射した。


 対峙するプテラの、再生した四本の腕が四方から襲い掛かる。


 先に届いたのは、マスク姿の少女の一刀。


 振り下ろされた一刀は刀身を超える長大な斬撃となり、プテラを縦に両断した。体液を吹き出しながらプテラの体が左右に崩れる。マスク姿の少女に伸ばされた四本の腕は、狙いを外れて逸れていった。


 プテラが活動停止したのを見届け、マスク姿の少女は機械刀を納めた。情報端末を操作し、画面と栗毛の少女を見比べると、端末を仕舞う。


 助けられた栗毛の少女は、振り返ったマスク姿の少女を見て一瞬硬直した。その顔に見覚えがあったから。


「女騎士……」


 栗毛の少女が呟く。


 するとマスク姿の少女は不機嫌そうに少し眉を顰めた。


「……その訳のわからん呼び方をされたのは、二人目だ。だらしのない後輩を思い出す」


 マスク姿の少女の脳裏には、寝ぐせも整えてこない少年の姿がちらつく。


「ごめんなさい。えっと……風紀委員長、でしたよね?」


 気を悪くさせてしまったかと栗毛の少女が謝る。


 マスク姿の少女は、栗毛の少女の制服を見る。同じ中学に通う生徒だからこその発言なのだろうと納得する。


「そうだが……ここは校外故、今の私はただのヒヅキだ」


「ヒヅキさん、ですね。助けていただいてありがとうございます」


「気にするな。地上にも奴らが現れている。安全なところまでともにこう」


 先行するヒヅキに、栗毛の少女が続く。


「……っ」


 シェルターを出た栗毛の少女。地上の光が差すなり視界を埋めた光景に息をのむ。目を細めてしまったのは急に明るくなった所為だけではない。


 散乱する死体。崩壊するビル群。


 普段とは異なる独特な臭気が鼻腔をつく。汚染されたような、酸素濃度が薄くなったような空気に息が詰まりそうになった。


 今も地上ではプテラが暴れまわり、特殊部隊が陸空から兵器を撃ち込んでいた。集中砲火を浴びたプテラが沈むが、数が多すぎて捌き切れていない。


 プテラは薄く透明な翅を高速で振動させ、飛び回っている。腕で串刺しにされた戦闘機が落ちて爆炎が上がった。


 かつてこれほどの数のプテラが市街地に現れたことなどなかった。平和が脆い偶然の上に成り立っていたのだと思い知らされる。


「心配無用だ。私は君を最優先で護衛するよう言われている」


 栗毛の少女の表情を見て、ヒヅキが落ち着かせるように言う。


「やっぱり、そうですよね……」


 大方の事情を察していた栗毛の少女。俯き、足元の石ころを軽く蹴る。


「君が何者かは知らないが、間に合ってよかった」


 ヒヅキの言葉に栗毛の少女が一瞬足を止める。プテラを前に逃げもしていなかったこと。その意味を正確に理解されているのだと悟って。


 しかしヒヅキはそれ以上踏み込むことはしなかった。襲い来るプテラを斬り伏せて歩く。遅れて栗毛の少女がついていく。


 そうしてしばらく歩いた時、異変が現れた。


「……」


 ヒヅキは無言で目配せをして、栗毛の少女の身を隠すように片手を伸ばす。


 シェルター内部で現れたものより遥かに大きな亀裂。広がったそれが自然に開くよりも先に、内側からの斬撃によって強引に切り開かれた。


 通常より大きなホロウから現れたのは、生物と呼べるのかすら危うい白き怪物。


 先のプテラよりも更に大きな体躯。しかし体は全体的に細い。巨体相応の骨盤と胸部。だがそれを繋ぐ腹部は枝のように細い。自重を支えていられるのが不思議な、歪な体。


 深海魚のような頭部から生えた角と牙は曲線を描き、内側と外側の縁はそれぞれ研ぎ澄まされた刃物のよう。両刃の鎌にも見えるそれが腕や脚からも複数生えていた。


 体の構造に意味があるとするなら、そのプテラは悉くを切り裂くためだけに存在するのだろうか。


 先ほどまでのプテラを意にも介していなかったヒヅキ。そんな彼女でさえ、その威圧に抗うだけで神経をすり減らしていた。


「次から次へと……」


 プテラから一瞬たりとも目を離さず、機械刀の柄に手をかけるヒヅキ。その額を汗が伝う。僅かな気の緩みが死に直結する。限界まで高まる緊張感。


 大きく息を吸い、吐き出す。空気とともに力が抜けていく。脱力し神経を研ぎ澄ませた。極限の集中が齎した静寂。気を抜けばそこに個が存在することを認識できない程に、ヒヅキの気配が薄まっていく。


 静寂に、羽音が響く。アスファルトを蹴り一気に加速したプテラがヒヅキめがけて飛ぶ。


 瞬きすら忘れ、その時を待つ。


 そして、プテラがヒヅキの間合いに入った刹那に一閃が煌めく。


 しかしプテラは神速の一刀に反応してみせた。上体を捻り、力任せに四つ腕を振るう。腕から生える四つの凶刃が、ヒヅキの放った斬撃とぶつかる。


 常人には知覚することすら叶わぬ須臾の間の打ち合い。


 返された力のあまりの重さに、ヒヅキの表情が険しくなる。だが、この打ち合いで負けるわけにはいかない。技の溜めが許されるのは、プテラとの距離が開いていた今回のみ。


 歯を食いしばり、全神経を乗せた一刀に、更に力を送る。


 互いの力の衝突で震える刀と鎌。


 その均衡が破れる。


「はああああああッ!」


 堰を切るように、ヒヅキが機械刀を振り抜いた。


 静寂から繰り出された、無駄を削ぎ落とした一刀。


 プテラの四つの鎌が決壊し、腕ごと斬り飛ばされる。その斬撃はプテラの胴にまで迫った。しかしプテラはすんでのところで高度を上げる。上下に両断されるかに思われたが、片足を犠牲に空へと逃げ果せた。


「……くっ」


 仕留め損ない、歯噛みする。


 間髪入れずに跳躍し、未だ欠損の激しいプテラを追う。再び居合の構えに入るが、ヒヅキにとって想定外なことが起こる。


 死に体にも見えるプテラの方から、ヒヅキに肉薄したのだ。


「っ!?」


 意図せず邀撃する形になったヒヅキ。反射で振るった一太刀でプテラの脚鎌を受け流す。


 技量はヒヅキが上回っている。しかし身体能力、空中での機動力においてはプテラに分があった。


 脚鎌の猛攻を凌ぎ、プテラの鋭鋒を挫いてできた極僅かな隙。そこへヒヅキが斬り込んだ。プテラの脚を斬り飛ばし、吹き上がる体液を浴びることも厭わず追い打ちを仕掛ける。


 六肢を失ったプテラ。しかしその牙で、その角で。後方へ飛び周りつつ、時に攻勢に出ることでヒヅキに決定打を与えさせなかった。


 そうした時間経過が何を意味するか。


 体液滴るプテラの六肢の断面が内側から隆起する。蠢いて飛び出したものがプテラの六肢を形成していった。


 こうなってしまっては元の木阿弥。感情を感じさせないプテラが不敵に笑ったように見えた。


 深追いして空中へ身を投げ出していたヒヅキに、プテラが逆襲する。全身の鎌を用いた斬撃の嵐。


 躱し、受け流し、弾き。防御に徹するヒヅキ。しかし、その身に決して浅くない裂傷が刻まれていく。血を流し、消耗を強いられたヒヅキの技は徐々に精彩を欠いていいった。


 決着までは早かった。


 プテラの鎌がヒヅキの腹部を深々と抉った。苦悶の表情を浮かべるヒヅキに、無情にも追撃が迫る。かろうじて機械刀で受け止めるが、力で押し返すことも受け流すことも能わず。反動で自ら後方へ身を飛ばすことで、衝撃を多少だが逃がす。自らの力も相まって後方へ弾き飛ばされ、地上へと強かに体を打ち付けた。


 血を吐きながらふらつく足で立ち上がる。利き腕を守るために強打したのか、左肩が砕けだらりと垂れ下がっていた。頭部から垂れた血が、顔の半分を赤く染める。


「ヒヅキさん……!」


 満身創痍な姿を見て、栗毛の少女が口元を覆う。ボディスーツが破れ、覗く肌にはどこも裂傷が目立つ。明らかに、血を流しすぎていた。


 プテラがアスファルトに降り立ち、獲物を弄ぶようにゆっくりと歩を進める。


 もう勝負はついた。これ以上続ければどうなるか。結果は見えている。それでもヒヅキはプテラに目を据える。


 覚悟したヒヅキの視界。そこに、この場にふさわしくないものが映った。


 プテラの後方から、人影が近づいている。


(錯乱して状況に気づいていないのか、それとも余程のバカか……)


 その人影の正体に気づいたヒヅキ。その目に悔しさが滲む。今の自分では守ることができないというのに、生意気な後輩が巻き込まれてしまったから。


 生意気な後輩――デイタは紙袋からドーナツを取り出す。そしてドーナツの穴越しに状況を確認した。


「平日の昼間ってやべーんだ」


 なんとなく学校をさぼってみたら、街が大変なことになっていた。思わずそう零すデイタ。


 デイタを見たヒヅキが、


「……余程のバカの方だったか」


 と呟くには十分だった。

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