彼女の名前は、雪女。
山本田口
第1話 雪女の恩返し??
俺の名前は、桜井隆志。明星高校三年生で、受験を控えている、17歳のどこにでもいる、男子だ。
家族は、父親の浩史で、仕事は医者をしている。実は、世界的にも有名な外科医だ。
日本でも、スーパードクターとして名が知られている。
弟は、今年中学を卒業して、春から高校生になる、裕司という名前だ。
この弟が、兄である俺より頭がよくて、秀才で、将来は、父の跡を継いで、医者になるらしく高校も俺が通っている、公立の普通高校ではなく、医大付属の高校を受験して、見事に合格した。出来のいい弟を持つと、兄は、大変なのだ。
母親は、弟が生まれてすぐに病気で死んだ。だから、弟は、母親の顔を知らない。
残された写真でしか見たことがないのだ。
そんな俺も、物心がついたときには、母親がいなかったので、実は、おぼろげでしか知らない。
この年になると、進学や就職など、友達も将来の夢や目標などを持っている。
だが、俺は、将来に夢も希望もなかった。有名な父と優秀な弟に挟まれて、
俺は、普通に会社員になるつもりだった。
しかし、一人の少女が突然現れてからというもの、俺は、夢を持つことができた。
人生の目標ができた。それは、彼女といっしょに暮らすという夢だった。
そんな、彼女の名前は、雪女。
珍しく、親父がこんなことを言い出した。
「裕司の合格祝いで、正月が明けたら、休みを取って、温泉でも行くか」
仕事で忙しい親父が、珍しく早く帰ってきたと思ったら、突然言い出した。
「隆志も、今年は、受験勉強で、遊んでる暇もないから、最後の息抜きと思って、温泉でゆっくりしなさい」
毎日、手術で滅多に家に帰ってこない親父が、父親らしいことをしたいらしい。
母親を小さな時に失ってから、男ばかり三人での生活に慣れた俺と弟は、親父の提案にはイマイチ、乗り気ではなかった。
でも、親孝行のつもりで、旅行に行くことにした。
実際、春からは、俺も本格的に勉強しないと、大学には行かれない。
遊ぶのは、春までなのは、俺もわかっていた。
そんなわけで、正月が明けて、春休みに入ると同時に、温泉旅行に行った。
そこは、まだ、雪に覆われた雪国で、スキー客で賑わっていた。
頭もよくて、スポーツ万能な弟は、スキーに夢中だった。
親父は、温泉でのんびりして、日頃の疲れを癒している。
俺はといえば、特にスキーにも温泉にも興味はないので、ホテル近くの広場で、一面雪景色の雪で覆われた野原をのんびり散歩していた。雪が、ちらほら降っていて、寒いけど、雪国だから仕方がない。
一面真っ白という光景は、都会に住んでいる俺には、とてもきれいに見えた。
こんな景色は、見たことがない。白い雪に覆われた大地は、とても神々しく感じた。
すると、そんな雪をかき分けるようにして、一台の車が走ってきた。
きれいな雪にタイヤの跡を残すなんて、なんてことをするんだと、俺は、少し腹が立った。
車から降りてきたのは、数人の男たちだった。この土地の人たちなのか、重装備に何かを肩に背負っている。
こっちに向かって歩いてきた。新雪に足跡を残す行為が、俺は、悲しくなった。
「おい、アンタ、そこで何してる?」
男たちの一人が、俺に聞いてきた。そんなことをいきなり聞かれても、答えようがない。
「観光客だったら、こんなとこにいないで、ホテルに帰りな」
不愛想な言い方にも腹が立つ。
「そんなとこにいたら、ケガするぞ。早く帰れ」
無言でいる俺に、ぶっきら棒な言い方が続いた。
「それより、あなたたちは、なんなんですか?」
俺は、勇気を振り絞って聞いた。人見知りの俺が、まったく知らない人に、それも自分よりも大人に話をするなんて、普通はあり得ない。
だけど、男たちの言い方が、気に入らなかった。
「俺たちは、猟友会のメンバーだ。これから、雪女を退治に行くところだ。ケガしたくなかったら、早くここから出ていきな」
そう言って、肩に担いでいる猟銃を見せた。俺は、本物の銃なんてみたことなかったからビックリして、後ろに引き下がった。
だけど、この男の人たちは、確かに不思議なことを言った。
『雪女を退治に行く』と・・・
俺が呆気に取られているのを尻目に、彼らは、銃を担いで雪の中に歩いて行った。
「バカじゃないの。雪女なんているわけないだろ。だいたい、雪女って妖怪だし、妖怪に銃なんて効かないし」
俺は、独り言のようにつぶやくと、そんな人たちの相手もしていられないので、ホテルに帰ることにした。しかし、少し歩いて足が止まった。
「雪女って、ホントにいるのか?」
俺は、それが気になった。もちろん、その存在なんて、信用していない。
いるわけがない。いないに決まってる。だけど、大の大人が数人がかりで、しかも、銃まで持って、この雪の中を歩いている。冗談で、こんなことをするわけがない。
「よし、見てみよう」
俺は、踵を返して、男たちに見つからないように、後をついて行くことにした。
雪の中には、彼らの足跡がしっかり残っているので、後をついて行くのは、簡単なことだった。
少し歩くと、林のように木が生い茂っている場所に出た。見上げると、真っ白に雪で染まっている。
足跡がいくつかバラバラになっているのがわかった。ここで、別れたらしい。
俺は、その中から、一番近い足跡について行くことにした。
さらに歩くと、広い草原のようなところについた。もちろん、一面雪で真っ白だ。
俺は、木の陰に隠れた。こっそり顔を出すと、男たちが、銃を構えている。
このどこかに雪女がいるのか? 俺は、がぜん興味がわいてきた。
俺は、辺りに目を凝らして、雪女を探した。しかし、雪しか見えない。
その時、大きな音がした。俺は、その場にしゃがんで両手で耳を塞いだ。
さらに、大きな音が続いた。目を開けると、男たちの誰かが銃を撃ったらしい。
雪女を撃ったのか? それじゃ、ホントに雪女は、いたのか?
俺は、木の陰から顔を出して、目を凝らした。しかし、雪女などどこにもいなかった。猟師たちは、また、あちこち歩きまわっている。
俺は、見つからないように、再び、後を付けてみることにした。
少し歩くと、木の陰から何かが顔を出した。
「なんだ! 雪女か?」
しかし、それは、うさぎだった。白くて耳の長い白うさぎだった。
「なんだ、うさぎか」
俺は、ホッと息をついた。しかし、よく見ると、うさぎの体の一部が、赤いのに気が付いた。
「ケガしてんじゃないのか?」
俺は、ゆっくりと、うさぎを驚かせないように注意しながら近づいた。
「大丈夫だよ。こっちおいで」
俺は、うさぎに優しく声をかけた。両手を延ばすと、うさぎは、逃げようとしない。俺は、ゆっくりとうさぎを抱き上げた。見ると、後ろ脚から血が出ている。
うさぎがいた辺りにも赤い血が見られた。
「まさか、猟師に撃たれたのか?」
俺は、可哀想になって、そのうさぎを抱いて優しく撫でた。
「おい、そのうさぎをこっちに渡せ」
突然、背後から話しかけられた。振り向くと、猟師の何人かが俺の前にいた。
「そのうさぎを貸せ」
「な、なんで・・・」
「決まってるだろ。そのうさぎが、雪女だからだ」
「こいつを殺すんだ。早く、こっちに渡せ」
何を言ってるんだ? このうさぎが雪女だって? ふざけるのもいい加減にしろだ。
「あなたたちこそ、何を言ってるんですか。うさぎを殺すなんて、可哀想でしょ。
このうさぎを撃ったのは、あなたたちですか?」
「それがどうした」
「どうしたじゃない。動物愛護法っていうのが・・・」
「うるさい。そんなことは、どうだっていい。だいたい、そいつは、うさぎじゃない。雪女なんだ」
俺は、頭にきた。寄ってたかって、弱い生き物を雪女だと言って、銃で撃つなんて、人間じゃないと思った。こんな可愛いうさぎが雪女なわけがない。
何を考えているんだ。だから、大人は、嫌いだ。
「いいから、さっさと、そのうさぎを渡せ」
「イヤだ」
「なんだと?」
「こんな可愛いうさぎを殺すなんて、イヤだ。だから、絶対渡さない」
俺は、そう言うと、うさぎを抱いて、来た道を全速力で走って逃げた。
靴で固められていたので、滑るのを気を付ければ、走ることもできる。
雪の上をすべるようにして、ホテルに駆け込んだ。
猟師たちが後を追ってくるけど、そこは、若さがものを言った。
俺は、ホテルの玄関の前につくと、息を切らせてその場にしゃがみこんだ。
「もう、大丈夫だからな」
俺は、胸に抱いたうさぎに言った。うさぎは、長い耳をピクピク動かしていた。
「兄ちゃん、何してんの?」
弟の裕司がスキーから帰ってきたところに、俺に気が付いて話しかけた。
「裕司・・・ ちょうどいい、実は」
俺は、胸に抱えたケガをしているうさぎを見せた。
「ちょっと、ケガしてんじゃん。早く、手当てしないと死んじゃうよ」
「わかってる。だけど、こんなところに、獣医なんていないし・・・」
こんな雪山に獣医なんてあるわけがない。
「お~い、なにしてんだ。風呂に入って来いよ。この温泉は、いいぞ」
ホテルの二階の部屋の窓から、親父が話しかけた。
「お父さん、ちょっときてぇ・・・」」
弟が親父に声をかけた。少しすると、親父が浴衣姿で降りてきた。
「どうした?」
「これ見て」
弟が俺が抱いているうさぎを見せた。
「なんだ、拾ったのか?」
「猟師に撃たれたみたいなんだ。ケガしてんだよ。手当てできないかな?」
親父は、うさぎを見ると、優しく背中を撫でながら言った。
「裕司、救急箱は持ってきてるな」
「うん、ぼくのバッグに入ってるよ」
「よし、それじゃ、部屋に急げ」
親父は、そう言った。頼もしかった。やっぱり、親父は、頼りになる。
だって、外科医だから。患者が、人間でも、動物でも、うさぎでも、治せるに決まってる。俺は、うさぎを抱えてホテルに入る。
「待った。兄ちゃん、それじゃ、ダメだよ。ホテルの人に見つかっちゃうよ。ホテルの中は、生き物は入れないんだぜ」
「それじゃ、どうするんだよ」
「こうするんだよ」
弟は、自分が被っている白い毛糸の帽子をうさぎに被せた。
「少し、我慢してね。動かないでね」
弟は、そう言って、うさぎを撫でる。
「そのまま、見つからないようにロビーを抜けて、部屋に行くんだ」
親父の言うことに従って、俺は、うさぎを白い帽子で隠しながら、ゆっくり前を通った。
弟が俺の前を隠すように歩いたので、ホテルの従業員には、見つからずに済んだ。
急いで俺たちの部屋に入ると、うさぎをテーブルに乗せた。
弟がカバンの中から、救急箱を取り出す。親父は、医者だから、外出するときは、必ず救急箱を持っているのだ。今は、それが、とても役に立った。
「どれ、見せてみなさい」
俺と弟は、うさぎを優しく抑える。親父は、消毒液で、傷口を消毒する。
「後ろ足を撃たれたみたいだな。でも、かすり傷だから、大丈夫だ」
親父は、傷口に薬を縫って、包帯を巻いた。
「もう大丈夫だぞ。痛かったな。でも、すぐに治るからな」
「よかったね、うさぎさん」
親父と弟がうさぎに話しかける。俺もホッとした。見ると、うさぎは、俺たちを見上げながら鼻をヒクヒクさせていた。
うさぎを座布団に乗せると、そのまま横になった。ゆっくり休んでほしい。
その後、夕食になった。食事は、部屋で食べることになっているので、その時は、うさぎを押し入れに隠した。
夕食を運んできたのは、着物姿の大人の女性だった。そのとき、親父がそれとなく話をした。
「なんか、さっき、外で大きな音がしたようだけど、イノシシでも出たんですか?」
「雪女ですよ」
その言葉を聞いて、一番焦ったのは、俺だった。
「雪女?」
親父が聞き返すと、女中さんは、料理をテーブルに置きながら言った。
「お客さんは、東京から来たんでしょ? それじゃ、知らないだろうけど、この地域は、昔から雪女が出るという、言い伝えがあるんですよ」
「いわゆる、伝説って話ですね」
「イヤイヤ、伝説じゃなくて、ホントの話なんですよ」
女中さんは、刺身の盛り合わせが乗った、船盛を並べながら話を続けた。
「この時期には、決まって、雪女が現れるんですよ。その雪女を見たものは、氷漬けにされるんですよ」
どこまでホントの話なのか、子供の俺にはわからない。
「だから、雪女が近づかないように、猟友会のメンバーが、銃で脅かすんですよ」
「なるほどね」
「だから、お客さんも気を付けたほうかいいよ。雪女は、うさぎに化けるっていうから」
その話を聞いた瞬間、俺と弟の目が合った。
「それじゃ、食べ終わったら、連絡ください。片付けにきますからね」
そう言って、女中さんが部屋を出て行った。
俺たちは、大きく息をついた。弟が押し入れのドアを開ける。そこには、うさぎがいる。
「まさかね」
「まさかだよ」
「そうだよな」
俺たちは、そのうさぎを見て、三人とも同じことを考えていた。
このうさぎは、ホントは、雪女が化けているのかもしれない。
だとしたら、あの漁師たちが言ったことは、本当だったのかもしれない。
それじゃ、俺は、雪女を助けたことになるのか?
だけど、どう見ても、可愛いうさぎじゃないか。普通のうさぎにしか見えない。
「ほら、うさぎさん、これを食べな」
弟は、サラダについているキャベツやサラダをうさぎにあげた。
うさぎは、それをムシャムシャとおいしそうに食べた。
「この分じゃ、大丈夫そうだな」
親父は、うさぎを見ながら言うと、俺たちは夕食を食べ始めた。
俺も、自分のサラダの中から、野菜を選んでうさぎに与えた。
たくさん食べて、元気になってほしいと思った。
翌日、俺たちは、帰らないといけない。その前に、このうさぎをどうするか?
「可哀想だが、ウチには、連れて行けないぞ。安全なところに放してやるしかないな」
親父は、そう言った。確かに、その通りだ。ウチは、男ばかり三人家族だ。
ペットは欲しかったけど、世話ができない。だから、このうさぎも連れて帰ることはできないのだ。
「ねぇ、どうしてもダメ? ぼくがちゃんと世話するからさ」
弟が親父に言った。
「ダメだよ。野生動物は、飼っちゃいけないんだ」
「こんなに可愛いのになぁ・・・」
弟は、うさぎを撫でながら言った。俺だって、飼いたい。だけど、それは、無理なんだ。高校生になれば、それくらいは、わかる。
結局、俺は、うさぎを安全な場所で放すことにした。
スキーのリフトに乗って、頂上まで行って、スキーで滑りながら猟師たちが来ない場所を探して途中の林の中にうさぎを放した。
「いいか、もう、人間に見つかるなよ。元気でな」
俺は、うさぎに話しかけながら、何度も頭を撫でた。別れが切ない。涙が出そうだ。俺は、雪の中にうさぎを置くと、踵を返して滑り降りる。
何度か振り返ると、うさぎは、鼻を動かしながら、俺を見ていた。
「じゃあな、元気でな、バイバイ」
俺は、何度も手を振りながら滑り降りた。
そして、俺たちは、親父の車で帰路についた。家についたのは、夜だった。
数日後は、学校が始まる。俺は、三年生として最後の高校生活が始まった。
それからというもの、俺は、普通に学校に通い、毎日勉強する日々だった。
うさぎのことは、すっかり忘れていた。
そんなある日のこと、仕事を終えて、親父が久しぶりに帰宅するので、
三人で夕食をすることにして、俺は、学校の帰りにすき焼きの食材を買って帰った。
弟も帰宅して、二人ですき焼きの準備をする。
俺も弟も、家事は得意だった。料理も洗濯も掃除も、子供のころから交代でしていた。
親父も帰宅して、久しぶりに親子三人での夕食だった。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「ぼくが行ってくる」
弟が玄関に走った。しかし、少しすると、弟が血相を変えて戻ってきた。
「どうした? お客さんか」
「ち、ち、違う・・・ゆき、ゆき、ゆき・・・」
「ゆきがどうした?」
「雪女が来た」
その瞬間、あのうさぎのことを思い出した。親父も弟も俺も、思ったことは同じだった。
俺たちは、玄関に急いだ。
「初めまして、雪女です」
そこにいたのは、白い着物を着た、美しい若い女性だった。
髪も白い、顔も白い、手も足も白かった。白いというより、氷のように透き通っている。俺たち三人は、口を開いたまま固まってしまった。
「あの、あなたは・・・」
「あの時、助けていただいた、白うさぎです」
「それじゃ、あのうさぎは、ホントに、雪女・・・」
俺は、驚いて、目玉が飛び出すかと思った。
すると、雪女と名乗る美女は、何を思ったのか、いきなり玄関の床に膝をついて、両手をついた。いわゆる土下座というやつだ。
「お願いします。ここに置いて下さい」
いきなりのことに、俺は、どうしていいかわからなかった。
「と、とにかく、頭を上げて。中に入りなさい」
親父がそう言って、雪女を中に招き入れる。
しかし、雪女は、なかなか頭を上げない。それどころか、動こうとしなかった。
「そこじゃ、話にならないだろ。中に入って、話だけでも聞こうじゃないか」
親父は、優しい口調で言った。
「隆志、彼女を連れてきなさい」
親父が言うので、なかなか動こうとしない雪女の腕を掴んで、立たせようとした。
「冷たっ!」
雪女の腕に触った時、思わずそう口走った。ものすごく冷たくて、氷のようだった。
「私、雪女だから、冷たいんですよ」
やっと、雪女は顔を上げて、そう言った。
「とにかく、話を聞くから、中に入って」
「親父もそう言ってるから、こっち来なよ」
俺は、そう言って、雪女を中に入れる。ようやく立ち上がった雪女は、下駄を脱いで中に入った。
「あっ!」
雪女は、リビングに入ると、思わず声が出た。そうだ、すき焼きの最中だった。
すると、親父も雪女の声に気が付いて、俺たちに言った。
「裕司、鍋を向こうに持っていきなさい。隆志、テーブルの上を片付けろ」
最初は、何のことか意味がわからなかった。俺たちは、これから夕食を始めるところだった。
そこに、いきなり、雪女が現れて、夕食が台無しじゃないか。
しかし、勘がいい弟は、すぐに鍋をガス台に運んだ。
「何してんだよ、兄ちゃん。すき焼きしてたら熱いから、雪女さんが溶けちゃうだろ」
そういうことか。つくづく、鈍いな俺は・・・ 雪女だから、熱に弱い。
すき焼きの鍋がぐつぐつ煮えてるんだから、熱いに決まってる。
俺は、急いでテーブルの上を片付けた。
親父は、冷蔵庫から冷たいお茶をコップに次いで、テーブルに置いた。
「そこに座りなさい」
雪女を正面に座らせて、その向かいに親父が座り、右に弟、左に俺が座った。
「それで、ウチに置かせてほしいって、どういうことなのかな?」
親父は、大人なので、俺たちより落ち着いている。
相手を驚かせないように、優しい口調だ。
「私は、本当に雪女なんです」
「うん、それは、わかった。それで・・・」
「あの時、命を助けていただいて、本当にありがとうございました」
そう言って、また、頭を下げた。
「それは、当然のことをしただけだよ。そうだな、隆志」
「う、うん」
急に話を振られた俺は、返事に困って、そう言って頷くしかなかった。
「そう言うことだから、もう、気にしなくてもいいよ」
雪女は、ぼくを見た。冷たい表情だった。無表情と言ってもいい。
「そうはまいりません。私の国では、受けた恩は、必ず返す。それが、掟なのです」
だんだん話が難しくなりそうだ。俺は、そんなことより、腹が減っているのだ。
しかし、弟は、興味津々で、じっと話を聞いている。
「掟とか、私の国とか、そこから、説明してくれないか」
親父の誘導に、雪女は、少しずつ話し始めた。
それによると、雪女は、本当に存在したということが一つ。
そして、雪と氷に閉ざされた山奥から来たということ。
その雪と氷の国では、雪女たちがひっそりと暮らしている。
その国では、受けた恩は、必ず返さないといけない決まりになっていること。
まるで、鶴の恩返しみたいで、今の状況は、雪女の恩返しだ。
「だから、恩を返し終えるまで、このウチにいさせてください。何でもします。
だから、このウチに置いて下さい。お願いします」
俺たちを順番に見ながら、訴えかける冷たい目は、本気に思えた。
「しかし、ウチは、見ての通り、男ばかり三人で、隆志も裕司も、難しい年ごろというか、思春期だからな。キミみたいな美人の女性をウチに住まわせるわけにはいかないんだ」
確かにその通りだ。俺も弟も、勉強が第一とはいえ、異性にも興味はある年頃だ。
そこに、雪女とはいえ、絶世の美人と住むなんて、十年早すぎる。
「でも、それをしないと、国に帰れません。掟なんです。だから、お願いだから、ここに置かせてください」
雪女は、何度もそう言って頭を下げた。
「う~ん、そう言われてもなぁ・・・」
親父は、困ったように腕を組んで考え込んでしまった。
「お父さん、この人をここに置いてもいいんじゃない。だって、ぼくたちは、勉強で忙しいし、兄ちゃんだって、これから受験だし、家事をやってる時間ないでしょ」
弟の言うとおりだ。俺は、受験生だから、大学に受かるまでは、掃除や洗濯、食事の支度とかには、余り時間を取られたくない。
だからと言って、雪女をここに住まわせるのは、どうかと思う。
「話はわかった。それで、恩を返すといっても、いつまでここに住むつもりなのかね?」
「それは・・・ わかりません」
「要するに、期間限定というわけじゃないんだね」
「ハイ、すみません」
「よし、それじゃ、住み込みのお手伝いさんとして、やってもらおうか」
「やった!」
喜んだのは、弟だった。俺は、むしろ、心配になった。いくら美人とはいえ、雪女だ。要するに、妖怪じゃないか。あんなに可愛いうさぎが、妖怪雪女だったとは、今更ながらビックリする。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
そう言って、雪女は、初めてうれしそうに笑った。
笑うと、可愛いじゃないか。女の人は、笑顔が似合う。
特に、雪女のような美人さんは笑顔が素敵だ。
「それじゃ、自己紹介でもしようか。私は、父の浩史。こっちは、長男の隆志、隣が次男で弟の裕司だ」
「ハイ、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
弟は、明るく返事をした。
「それで、キミの名前は?」
「名前?」
「そうだよ。裕司とか、隆志とか、キミにも名前があるだろ」
「いえ、そのようなものはありません。雪女は、雪女です」
親父に言われて、雪女は、ハッキリ言った。
「しかしなぁ、それだと、呼び方がなぁ・・・」
俺だって、呼ぶときに困る。いちいち、雪女さんなんて言うのは、呼びづらい。
「ねぇ、お姉ちゃんて呼んでもいい?」
いきなり、弟が雪女に言った。
「いいわよ、裕司くん」
雪女は、意外にも、それをあっさり承諾した。
しかも、優しく笑みを浮かべている。
「やった。ぼくは、お姉ちゃんが欲しかったんだ」
「そうなのか?」
「だって、ウチは、女の人いないでしょ。お母さんは、すぐに死んじゃったし、兄ちゃんは好きだけど、お姉ちゃんがいるといいなぁって、思ってたんだ」
弟の本心を初めて聞いた気がして、ちょっと驚いた。でも、その気持ちは、俺にもわかる。
「それじゃ、雪さんてのは、どうかな?」
「ハイ、それでいいです」
親父が雪女の名付け親になってしまった。
「よろしくお願いします、隆志さん」
「いや、こちらこそ、よろしくお願いします」
いきなり名前で呼ばれて、俺は、恐縮してしまった。
雪女とはいえ、こんな美人の女性から、名前を呼ばれたのは、初めてのことで緊張してしまった。
しかし、よく考えれば、この人は、人間じゃない。恋愛対象にはならないので、気にすることはない。
「それじゃ、メシの続きするか。腹が減っただろ。キミも・・・じゃなくて、雪さんもよければ、すき焼きだけど、食べるか?」
「お食事中でしたか。それは、失礼しました」
そう言うと、雪女、じゃなくて、雪さんは、すぐに立ち上がった。
「すぐに用意いたします」
そう言って、キッチンの方に行った。
「お姉ちゃん、行っちゃダメだよ」
「裕司、何を言ってんだ」
俺は、弟の言ってる意味がすぐに理解できなかった。
「だって、お姉ちゃんは、雪女だろ。雪女は、熱に弱いんだろ。今夜は、すき焼きなんだよ。熱で溶けちゃったら、どうすんだよ」
そうか。それもそうだ。それは、いくらなんでもまずい。
「そうだよ。裕司の言うとおりだ。雪さんは、退いてて」
俺は、雪さんの間に割って入った。しかし、雪さんは、それを許さなかった。
「大丈夫です。安心してください。確かに、熱さには弱いけど、これくらいは、平気ですわ」
そう言って、すっかり冷めてしまった、すき焼きの鍋に火をつけた。
「大丈夫なの?」
心配そうな弟が聞いても、雪さんは、にっこり笑うだけだった。
「こりゃ、優秀なお手伝いさんができたな」
「お父さん、それを言うなら、メイドさんて言うんだよ」
親父と弟の会話を聞いていると、なんかおかしかった。
少しすると、ぐつぐつ煮えたすき焼きがテーブルに並んだ。
「よかったら、雪さんも食べないか?」
「無理無理、だって、お姉ちゃんは、雪女だよ。こんな熱いの食べられないよ。ねぇ・・・」
弟が当たり前のことを聞いた。それは、俺もそう思った。
「大丈夫ですよ。人間の食べ物は、どれもおいしくて好きです」
雪さんは、雪女なのに、こんなに熱い料理を食べられるらしい。
俺は、みんなの分の卵を割って、器に入れて、雪さんの前に置いた。
「食べ方は、知ってる?」
「ハイ、ときどき、人間界に降りているので」
「そうなんだ・・・」
雪さんは、雪女だけに謎が多そうだ。
「それじゃ、食べようか。いただきます」
「いただきます」
そう言って、みんなですき焼きに箸をつけた。
しかし、雪女の雪さんが、どうやって、この熱いすき焼きを食べるのか・・・
すると、雪さんは、箸で肉をつまむと、卵につける。
そして、口元で、ふぅふぅと息を吹きかけて冷ます。そこまでは、俺もやってることだ。だが、そこからが違った。雪さんが息を吹きかけると、その肉は、たちまちカチカチに凍ったのだ。
それを普通に口に運んで食べた。少しだけ、氷を砕く音がした。
「おいしいですね」
雪さんは、にっこり笑ってそう言った。俺はもちろん、親父も弟も呆気に取られて箸が止まった。
「あら? 皆さん、お食べにならないんですか。冷めないうちに、食べてください」
雪さんは、優しい声でそう言った。
俺たちは、我に返って、熱々のすき焼きを食べた。
雪さんも同じように、すき焼きをうまいと言って食べてくれた。
白いご飯もおいしそうに食べる。しかし、いちいち息を吹き付け、凍らせてから食べる。考えてみれば、そりゃ、そうだよなと思う。
「雪さんは、ときどき人間の街に来るのかね?」
親父は、ビールを飲みながら、俺が聞きにくいことを聞いてくれた。
「ハイ、ときどき行きますわ」
「その姿で?」
「ハイ、寒いときにしか行きませんけど」
それはそうだろう。真夏の暑い日に、雪女が街に出たら、溶けてしまう。
「私は、皆さんにとても感謝しているんです」
不意に、雪さんが話し始めた。
「あの時、私は、人間の皆さんがスキーをしているのを見たくなって、下界に降りました。でも、猟師に見つかってしまって、うさぎに変身したものの、運悪く撃たれてしまいました」
俺は、あの時のことを思い出した。
「それを助けてくれたのが、隆志さんなんです。そして、ケガをした私を手当てしてくれたのが、お父様で、守ってくれたのが、裕司くんです。皆さんは、私の命の恩人なんです」
訳を聞けば、納得する。確かに、あの時は、俺たち家族全員で、雪さんを助けた。
でも、その時は、まさか、あの可愛いうさぎが雪女なんて知らなかった。
「でも、よく、ここがわかったね」
これまた、素朴な疑問だ。俺たちは、名前を言ってない。どうやって、俺たちを見つけたんだろう?
「とても時間がかかりました。私が知ってるのは、皆さんの顔だけです。日本中から、皆さんを探し出すなんて、とても私一人では無理です」
雪さんは、さらに話を続けた。
「そこで、私は、仲間の力を借りました。それに、雪女家では、受けた恩は返さなければいけない掟があります。だから、なんとしても、皆さんを見つけ出して、恩返しをしないといけないのです」
そこから続く雪さんの話は、とても信じられないことの連続だった。
俺たちの顔の記憶を頼りに、妖怪たちの力を借りたこと。街中にいる、カラスやスズメたち、町中を徘徊しているノラ猫などにも助けてもらって、俺たちの家を探し出したとのこと。
いくら、恩返しのためとはいえ、その執念はすごいと素直に感心した。
「なので、ここに来るのが、遅くなってしまいました」
「いや、そんなことはないと思う」
俺は、フォローするつもりで言った。
「とにかく、理由はわかった。ウチは、見ての通り男所帯で、私は仕事が忙しいし
息子たちは、勉強があるから、恩返しのつもりで、ウチのことは、雪さんに頼むよ」
「ハイ、喜んで」
「でも、いつかは、帰っちゃうんでしょ?」
「そうですね。恩を返したら、氷の国に帰ります」
「せっかく、きれいなお姉ちゃんができたのに、もったいないなぁ・・・」
弟は、そんなことを言った。雪さんは、また、優しい笑みで裕司の頭を撫でた。
「裕司くんは、とてもやさしいんですね。でも、しばらくは、いるから大丈夫ですよ」
「よかった」
そう言うと、弟は、すき焼きに手を伸ばして食べ始めた。
俺の弟は、頭がよくて、スポーツもできる。男女を問わず人気もあるらしい。
先生たちからの評判もいい。それでいて、鼻にかけたり、威張ったりすることがない。
誰に対しても、優しくて素直だ。出来の悪い兄に対しても、甘えてくる。
俺にとっても可愛い弟なのだ。そんな弟に姉ができるというのは、いいことかもしれない。
もしかしたら、弟は、雪さんのことを姉ではなく、母としてみているのかもしれない。
食べ終わって、片づけをしている雪さんに俺は、それとなく聞いてみた。
「あの、雪さん」
「ハイ」
「さっきも言ったけど、ウチは、男ばっかりだから、気が付かないことが多いけど、
弟のこと、よろしくお願いします」
すると、雪さんは、手を拭いてから、俺に向き直って、きちんと俺の目を見て言った。
「ハイ、よくわかってます。ですが、私が一番会いたかったのは、隆志さんなんですよ」
「えっ、俺?」
「ハイ、だって、私を助けてくれたのは、隆志さんですよ」
「そうかもしれないけど・・・」
俺は、急に照れ臭くなって、頭をかいた。
「あの時は、ホントにありがとうございました。私にできることがあれば、何でもおっしゃってくださいね」
「う、うん・・・だったら、もう少し、その丁寧すぎる言葉遣いは、やめてくれないかな。なんだか、こっちが照れちゃうよ」
「そうですか、わかりました」
「それじゃ、そう言うことで。そうだ、雪さんの部屋は、二階の俺たちの向かいの部屋だから、好きに使ってね」
二階は、俺と弟が二人で使っている。今時、珍しい、二段ベッドで寝ている。
机は、二つ並んでいるので、意外に広いのだ。
その向かいは、親父の書斎だった。でも、今は、使っていない。
ウチにほとんど帰ってこないので、片づけてしまった。親父は、一階で寝起きしているのだ。
そんなわけで、この日から、俺たちは、雪女と暮らすことになった。
「兄ちゃん、お姉ちゃんて、すっごい美人だね」
「そうだな」
二段ベッドの下が俺で、上が弟だった。上に寝ている弟が下に顔を覗かせてそんなことを言った。
「兄ちゃん、お姉ちゃんと結婚したら?」
「バカ、雪さんは、雪女だぞ。妖怪だぞ。出来るわけないだろ」
「そうだよなぁ・・・ それじゃ、お父さんが再婚とかもできないよね」
「当たり前だろ。くだらないこと言ってないで、寝ろよ」
「ハ~イ、おやすみ」
そう言って、弟は顔を引っ込めて、すぐに寝てしまった。
俺は、雪さんのことは、異性としては見ていない。見られないと言った方がいいかもしれない。
どんなに美人でも、相手は、雪女だ。妖怪を好きになるなんて、どうかしている。
そんなことを思いながら、雪女と暮らす初めての夜だった。
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