第19話


 遊女たちには年の瀬も、正月もない。いつの夜も客の求めに応じ、遊女たちは春を売る。

 正月三日にユキが水揚げをすることになった。

 急ぎ作らせた着物は既製品とは思えぬ仕上がりで、長間の趣味の良さを物語っていた。『梅岡』の名にあやかり松竹梅の絵柄が施され、他にも縁起物の柄が描かれたそれは、若い遊女の未来を思っての物だろう。希望に満ちた未来を、幸多い人生をと望んだ結果の選択だと思われる。


 夜の部の見世開き一番に現れた長間を、ユキは花見と桔梗と共に出迎えた。

 背はそれほど高くなく、中肉中背で髪には白い物が多く混じっていた。だが、それほど年齢を感じさせるものではなく、未だ第一線で目を光らせている男の野心を匂わせていた。商いで一旗揚げたと言うその顔つきは、一見穏やかそうではあったが、さすが目の奥は笑ってはいない。

 

「これはこれは、出迎え恐れ入ります。長間です。あなたが梅岡かな?」


 外套を男衆に預けながら、自分が贈った着物を身に着けたユキに声をかけた。

 ユキは長間の容姿に見惚れ、ぼぉーっと見入っていた。


「まあ、長間様。こんなところで挨拶もなんですから。まずは奥で一杯いかがでしょう」


 桔梗の言葉に長間と花見、そしてユキは奥の座敷に向かった。

 座敷に着くとすでに軽い晩酌の準備が整えられており、ユキは長間の隣に座らされると酌をするよう桔梗に言われる。

 お酌の練習も大分した。だが、やはり自信の無さは手つきに出て来るもので、ユキは緊張しながら長間の盃に酒を注いだ。


「最初は慣れないものだ。自分で酒を飲まぬならなおのこと。段々と上手くなるから心配はいらないよ」


 ユキが酒を満たした盃を一気に飲み干す長間を見て、こういう風に酒は飲むのかと、少しばかり驚いた。


「長間様が水揚げを引き受けて下さって、本当に肩の荷が下りました。何分、田舎の出ゆえしゃんとしない娘ですが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」


 花見と桔梗が揃い長間に頭を下げた。それに合わせてユキも両手を付き、深々と頭を下げるのだった。


「いやいや、これは困ったな。他ならぬ一鶴楼の頼みだ、断ることはしませんよ。だが、私も水揚げはこれで三人目。正直、そろそろ年齢には敵わないと思っていたところなのでね、できればお役目はこれで最後にしていただきたい」

「まあ、なんてことを。とんでもありませんわ、まだまだ現役でいらっしゃいますのに」


 桔梗の含んだ言葉に、長間は苦笑いを浮かべつつ、


「ただの客としてならね。だが、水揚げともなると指南も含まれる。さすがに、長い時間は持ちませんよ。そこまでの好き物じゃない」


 ハハハと笑う長間に、花見と桔梗は「いえそんなこと」「まあまあ長間様ったら」と、何やら笑い合っている。その話の意味を表面しか理解できていないユキは、とりあえず笑顔を絶やさぬようにと、口角を上げ笑みを作るのだった。




 この日ばかりは共同部屋ではなく、奥の一番座敷にユキと長間は通された。

 すでに床の準備はできており酒も用意されていたが、花見と共に軽く飲んだ長間はそれを断った。

 そのまま、長間の言われる通りに手順を踏み、ユキは今日初めて顔を合せた長間と言う男に破瓜されたのだった。

 自分の父親よりもはるかに年上に見えるその男に、着物を脱がされ、生まれたままの姿を見せながら、この日女になった。


 水揚げとは破瓜され女になるだけが目的ではなく、そのまま濡れ事の指南を受けることも期待されている。それを受けた相手によっては、自分の性を果たすだけでそういった事を気にしない者もいるが、律義な長間はしっかりとユキに対し手ほどきをした。

 この日は一晩座敷を使えることになっており、事の後の寝物語を、長間は沢山話して聞かせてくれた。



「君は栗山の出だそうだね。実は私の母が山岡の出でね、子供の頃母の実家に連れられて何度か行った事がある。その時に栗山の名も聞いていた。

 山岡にある老舗菓子屋の「亀喜知」の栗は栗山の物だと聞いている。大きくて立派な栗だった。あの栗を丸々一つ餡に包んだ栗饅頭は絶品で、たまに買いに行かせて食べるくらいだ」

「甘い物がお好きなのですか?」

「ん? そうだな、嫌いじゃない。酒呑みでも辛党とは限らないんだよ」


 

「私はこの一鶴楼の先代に恩があってね、後を継いだ息子の花見君の頼みは中々断れない。だから、今までに三人も水揚げをしてきたんだがね。

 縁あってここに世話になったんだ、頑張って欲しいと願っているんだよ」



「君は運が良いと聞いている。

本当はこの一鶴楼ではなく、もう少し下の中見世程度の店に入ることになっていたらしい。当日、一緒に入店した子がいるんだろう? その子と一緒に抱き合わせで取引されたと聞いた。本来なら、僕たちがこうして床を共にすることもなかったかもしれない。そう考えると、縁とは深いものだし、君の運の強さは本物かもしれないね。これから先、思うように客が取れなくなった時にこの話をすると良い。みんな君の運にあやかる為に列を作るんじゃないか?

私が水揚げをしたことはこれから表だって話されるからね。そうしたら「長間」の名を出して客の気を引くんだ。幸運を呼ぶ遊女ってね」


 長間は床に入ったまま煙管をふかし、酒をちびりちびりと口にしながら話をする。石切りを生業にしているだけあって、彼もまた歳のわりに引き締まった体つきをしていた。

 自分の父よりもはるかに年上の男でありながら、不思議とユキは嫌悪感を持たなかった。彼の声や口調が穏やかで、心を乱すようでは無かったのもよかったのかもしれない。

 初めての行為にユキの身体は疲弊していて、腰回りのだるさも伴って思うように長間をもてなすことができなかった。しかし「無理はしなくて良い。好きなようにやるから」と言われ、その言葉に甘えるように横になったまま、長間の話を聞いていた。



 長間は所帯を持っていないと言う。一度も妻を娶ったことがなく、気が付けばこの歳になっていたと笑った。だから、時折女が欲しくなると足を運ぶらしい。

 仕事の接待でお座敷遊びをし、その足で遊女屋に来ることもあるが、その時は遊ばないらしい。その気になれないのだとか。

大勢の男達を束ね仕事をさせている身としては、自分の失態一つで彼らの生活を保障できなくなってしまうかもしれないと思うと、女を抱く気にはなれないと言う。むしろ縮こまってしまうんだとか。「男なんて本当は気が小さくて、臆病者なんだ」と声を出して笑う。そんな長間の笑い声は、子供のようだとユキは思った。

 


「君たちを見ていると、ふと自分の娘を想像してしまうんだ。そんな子、どこにもいないのに。だからかな、せめてここでは幸せでいて欲しいと思っているんだよ。君は年季が明けてここを出ることを夢みているかもしれないが、むしろここに居た方が幸せなこともある。今の君にはまだわからないかもしれないけどね」


「今のうちに沢山いろんなことを勉強しなさい。ここを出た後の人生の方がはるかに長い。その先を考えて、どんな客でも得るものがあるはずだから。

しっかりやるんだよ」



 長間の話は、疲れたユキにとってちょうどいい子守歌代わりだった。

 次第に瞼が重くなり、終いの方は夢うつつで聞いていた。

 彼はそんなユキの布団をかけ直し、煙管をくわえるのだった



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