第4話


 ユキたちが『山岡』に下りた頃には夕方近くになっていた。

 信たちは町でも大店の「えびす屋」と言う荒物屋に属し行商を行っている。

 日用雑貨の他に、望まれれば食料品や小間物も取り扱う万事屋のような店だ。

 信はユキに店の前で待つように告げ、背に背負った木箱を下ろすため店内に入って行った。

 里に下りた事も、町に来たことも初めてのユキは、目を丸くして驚いていた。

 目に映る全ての物が初めて見る物で、声も出なかった。


 のれんが掛けられてはいるが、店の中は活気で溢れていて多くの人が行き交っている。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と、大きな声の掛け声に圧倒されながらそっとのれん越しに覗き込めば、店の中は所せましと商品が溢れている。天井からは草鞋や笠などがぶら下がり、竹箒なども立てかけてある。

 荒物屋にあらず、他にも小間物のような物も店先には並び、多くの人が買い求めに店を行き来する。

 普通に金子(きんす)のやり取りが行われているのを目の当たりにして、ユキは目を丸くして驚いた。


 そして視線を店の前に移せば、そこには身綺麗にした人々が大勢目の前を通り過ぎていく。若い娘は色鮮やかな着物を着て、髪も綺麗に結ってあり簪まで刺してある。仕事人はせわしなく走り回っているが、どの人も身なりも体つきすら良く感じ、歳のいった人さえも男前に見えてくる。

 それに、町の様子が山とはまったく違う。

 店が立ち並び大きな看板が目に入る。カタカナをなんとか読めるユキの目に漢字やひらがなは記号にしか見えないが、それでも絵が描かれている物はそれで様子がわかる。

 違う世界に来たようだと、ユキは胸を躍らせながらキョロキョロと視線を泳がせていた。

 


「待たせたな。じゃあ、行くか」


 店の中から現れた信に声をかけられ、ユキは「ハッ」と正気に戻る。


「信さん。うち、驚いたわ。町はスゴイんやねぇ」


 目をまん丸にして驚いているユキに、クククと笑いながら信が話し始める。


「こんなんで驚いてちゃ世話ねえな。これからおめえが行くところはもっと大きな町だ。もっともっと煌びやかで、立派な所さね。俺も数えるくらいしか行ったことはねえけど、そげん所に行けるおめえはすごいんやで」

「え? うちはこの町で働くんやないの?」


「ああ、違う。おめえみたいな年若い娘が働く口は中々ねえんだわ。でも、都会に行けばいくらでもある。条件の良い店で働くには都会に出るのが一番だ」

「そっか。じゃあ、ますます家には帰れなくなるな」


 少し寂しそうに答えるユキに、


「なあに、都会に行けば寂しさなんてすぐに無くなるさ。何しろ、見る物全てが驚きなんやからな。金さえあれば欲しいもんは何でも手に入る。

 真面目に務めていりゃあ、それらが全部自分のもんになるんだ」


 信の言葉にユキは少しだけ顔を輝かせ、嬉しそうに「そっか」と微笑むのだった。


 信に先導され、少し歩いた先に小さな神社があった。

 その鳥居の下には信よりも若い男と、自分とたいして歳の変わらなそうな身綺麗にした娘さんが立っていた。


「待ったか?」

「いや、そうでもねえ。で? その子か?」


 信とその若い男はユキともう一人の娘を置いて、少し離れたところに話をしに行った。


「で、あれか?」

「ああ、頼まれてくれるか」


「手付金にいくら払った?」

「一円だ」


「ま、妥当だな。ほんじゃ、十円でどうだ? そのうち、おめえに三円だ」

「いいだろう」


 そう言って若い男は胸元から布袋を取り出すと、金を信に渡した。

 信は黙ってそれを受け取ると、自分の胸元にそれを仕舞い込んだ。


「あれも一緒か?」


 信は鳥居の下でユキと共に待っている娘をチラリと見ると、若い男に問いかけた。


「元お武家様の娘だ。落ちぶれて一家離散になったところを俺が預かった。

 ありゃあ、高く売れるぞ。良い女だろう?」


 若い男はほくそ笑んだ。それを見て信もニヤリと口角を上げる。


「どこに売る? やっぱり一河か?」

「そのつもりで話はついてる。あそこの花街はここいらじゃ一番だ。おめえが連れてきたのは別にしても、お武家さんの娘は引く手あまただろうさ」


 一河とは、舟運用に作られた運河沿いに出来た町のひとつで、順に二河、三河と続き、両岸合わせて八河まである大きな商売町になる。

 そのうちの一河は運河の入り口にあり、前は川、隣は大川、そして背には山を背負った地形をしている所謂『花街』である。

 遊郭のように堀などで囲まれ、遊女が逃げられないように囲い込むほどではないが、それでも見渡す限り女ひとりで逃げおおせることは困難な場所にある。

 花街には料亭などの料理屋もあり、商売の接待などに使う。

 そして、同じ花街の芸者置屋から芸者を呼ぶことも多い。

 その界隈には同じく、身を売り生計を立てる売春宿などが立ち並び、逢瀬を楽しむ連れ込み旅館などもあり、色ごとには困らない。

 そんな花街にこれからこの二人は身を置くことになる。



「あなたも売られたの?」


 先に待っていた綺麗な娘の突然の言葉に、ユキは驚いて声を無くした。


「え?」


 その声色と様子を見て、『ああ、この子は何も知らないのだわ』と娘は感覚でそれを悟った。自分よりも少し若いであろうその子に対し、まだ少し夢をみさせてやろうと、そんな風に思ってしまった。


「私の名前は和歌って言うの。あなたの名は?」


 少しだけ笑みを浮かべたその娘に、「ユキです」と答えた。

 突然の言葉に驚いたが、すぐに気持ちを切り替えユキも笑顔を作り答えるのだった。


「そう、ユキさんはこれからどこに行くのかしら?」

「うちは……、家が貧しくて。それで働き口を信さんに紹介してもらって、これから連れて行ってもらうみたいなんだけども。和歌さんもですか?」


「ええ、そうね。私もあなたと同じ、そんなところよ。で、働く店は決まっているの?」

「それはまだ。教えてもらってないって言うか、産まれて初めて里に下りて来たから、聞いたところでわかんないし」


「あなたのご実家は?」

「町の人は『栗山』って呼んでるみたいだけども」


「栗山? ごめんなさい聞いたことはないわ」

「ああ、当たり前です。全部で十軒もないような小さなところだし、和歌さんみたいな綺麗なお嬢さんが知ってるようなところじゃないから」


 ユキは少しだけ顔を紅潮させ、和歌を見つめ返す。

 綺麗に整えられた御髪は艶を持ち輝き、着物も綺麗な花柄の物だった。

 こんな綺麗な身なりの和歌の様な人でさえ、働きに出なければならないのかと。だとしたら自分のような山奥の小娘が、親元を離れ働きに出ても可笑しくはないのだと感じることができ、和歌の存在がユキの心を安堵させる。


「たぶん、数日の旅になると思うわ。あなたのようなお友達ができて嬉しいわ。仲良くしましょう」

「え? 私とお友達になってくれるんですか? 嬉しい。ありがとうございます」


 少しだけ塞いでいたユキの心は、一気に花が咲いたように華やぐのだった。



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