第2話


「ユキ。おめぇんとこに信さんが来てるって?」

「うん。今回はうちに泊まるらしい」


「ほぉ。で、なに買うてもらった?」

「今回はなんもない。でも、次来る時には柘植の櫛買うてくれるって言ってくれたんよ。うちの宝物や」


「ええなあ。俺なんかなんもないわ」

「末吉もまた今度買うてもろえるわ。大丈夫や」



 十四になったばかりのユキに、一つ違いで十五の末吉。

 末吉はユキの家よりも奥まった所にある、大きな杉の木の下にあって『大杉』と呼ばれる家の末っ子になる。

 生き延びられる確率が低い中で、歳の近い二人は集落のあちこちで共に過ごすことが多かった。

 貧しい生活の中、子供とて十分な働き手だ。そんな中でも歳の近い者、気の合う者は自然に惹かれ合い、時間を共にする。

 うまくいってそのまま夫婦になり、分家として所帯を持てれば良いのだが。

 山間の集落では余分な土地はない。分家に分け与えるだけの、余分な田畑は無いのだ。

 分家になり所帯を持ちたいのなら山を登るか下りるかして、自らの手で開墾するしかない。だが、わずかばかりの人の手でそれをするのは、極めて難しい。

 ならば、思い切って町に出て所帯を持つのが手っ取り早い。



「なあ、ユキ。俺ももうすぐ町に下ろされる。そうしたら、おめえも町に来い。

 そんで、一緒に所帯を持とう。二人で働けばなんとか食ってはいけるさ。

 な? いいだろう?」

「末吉、本気か? うちでいいんか? 町に下りれば、きっと綺麗な人がいっぱいいる。それでも、うちでいいんか?」


「なに言うてるんだ。どんなに綺麗だろうと、町のもんが俺なんか相手にするわけない。それに、この土地で一緒に育ったおめえが一番気が合う。それは間違いない。おめえもそうだろう?」

「うん。うちも末吉が良い」


「そっか」

「うん」



 夕刻、手伝い終わりのほんの隙間の時間を縫って、二人は共に時間を過ごす。

 集落の入り口にある大きな樫の木。そこが二人の逢瀬の場。

 愛を語り合っているつもりの、見様見真似の恋愛ごっこ。

 逢瀬などと言うのも幼い二人のこと。人目に付かぬ所に行くほどの要領をまだ持ち合わせてもいない子供だと、周りの者は思っている。

 事実、そこまでの度胸が二人にはまだ無い。


 そんな二人の様子を煙草の煙をくゆらせながら、木の陰からそっと見ている者がいた。




 その日の夕餉の後、行商人達は町の外れに集まり今後のことを話し合っていた。どこの家に何が足りない、明日は誰がどの家に顔を見せようか。などと、そんな打ち合わせをするのだ。

 大体三日は集落に滞在し品を売り、物を買い入れる。


「今日、牛飼いのとこから上の娘を売りに出すよう言われた。おめえらもそのつもりでいてくれ」


 ぼそりと話す親方の言葉に、ガタイの良いクマと呼ばれる男が口を開く。


「ああ、その娘やったら、大杉んとこの末吉とかなりいい感じになっとったみたいやが、大丈夫なんすかね?」

「大杉のか。歳も近いし子供ん頃から一緒におるな。まあ、手でも付けられたら値が下がる。牛飼いによぉ言って聞かせとかんとなぁ」


 信は煙草をひと口吸い込むと、その煙を大きく吐いた。



 貧しい家々の子は、往々にして性に対して物知りだ。

 狭い家では、家族は同じ一室で寝食を共にする。親が夜毎行う行為を見ないはずがない。幼いうちはまだしも、それなりに身体が成長するにつれ、自然と興味も沸いてくるだろう。そこに手近な相手がいればなおのこと、その後の経験へと繋がるのも早くなるというものだ。



 信は打ち合わせが終わると子供たちが寝静まった牛飼いの家に戻った。

戸板一枚を挟んで子供たちが寝ている中、囲炉裏端で細工仕事をしていた夫婦に小声で伝える。


「上の娘は大杉の一番下と仲が良いようだが、よぉ目光らすことだ。

傷が付けば根が下がる。生娘かどうかは、見るもんが見ればわかる。

女衒は一目で見破るからなぁ。高く売りたいんなら、何としても破瓜さんようにせんと」


 ユキの親は仕事の手を止め、お互いの顔を見合った。


「仲良いのはここのもん皆が知っとる。じゃが、まだ大丈夫と思っとった」

「子供だと思うとるのは親だけさ。本人たちは恐ろしいくらいに、早く大人になりたがるもんだ。おめえさんたちも覚えがあろう?

 うちのクマが見かけた限り、かなりいい感じだったみたいや。

 悪いことは言わん。高こぉ売りたいなら、早いうちに里に下ろした方がええ」


 ユキの父は押し黙ったまま何もしゃべろうとはしない。

 囲炉裏にくべた薪が爆ぜる音が、沈黙の中を流れていく。

 いつまで無言でいる父に代わり、ユキの母が重い口を開いた。


「次の、盆前に来た時に連れて行ってくだせぇ。この腹ん子も、雪が降る前には産まれるし、それまでに越冬用の支度に金がいる。あの子には悪いが、そうしてくだせぇ」


 母は囲炉裏を挟み、信に深々と頭を下げた。


「わかった。なるべく評判の良い店を世話するよう女衒に頼んどくけ、安心せえ」


 そんな言葉で親の気持ちが収まるはずもない。それでも言わずにはいられないし、その言葉を信じずにもいられない。

 「これでいい」「これでいいんだ」と、己に言い聞かせるようにして、親は涙を飲んで耐えるしかなかった。


 産まれる命も多いが、消え行く命もまた多い。人の生死が身近であり、それを気にしすぎていては、生き続ける者が上手く生きていくことが困難になる。

 腹を痛めて産んだ子を、食い扶持減らしのためだけに、すぐさま母親自らの手でその口をふさぐこともある。産声さえ上げさせてもらえぬままに、命を散らされる。

 何のために産まれ、何のために殺されるのか。

 それに比べれば食うに困らぬ暮らしができ、生き続けることができるのだからと、親は自分にそう言い聞かせ自分の心に蓋をする。


 


 商いを済ませると、行商人達は列を作り山を下りて行く。

 背負子に木箱を何個も積み上げ、自分の背丈ほどの荷物を担いで歩く。

 過酷な労働だ。だが、うま味が無いわけではない。

 方々の村や町を回り祝言相手を引き合わせれば、両家から幾ばくかの謝礼をもらえる。そして、身売りの子らを仲介人に引き渡せば、その子に見合う分の金を懐に入れることになるのだ。

 目星の合う子がいれば、自分から口説きにかかることもある。

 人買いと呼ばれることに抵抗があったのは最初だけ。

 数をこなせば次第にこれは善行だとすら思えてくるから不思議なものだ。

 その金で一家が飢えずに生き延びられるのだ。売られた子もまた、うまく立ち回れれば明るい未来が待っていることもある。


 売った親に、買った商人。

 自分の胸を痛めぬように、どこかで折り合いをつけながら今日も生きていくのだ。

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