第266話 大人の事情と出来る侍女

控室の長椅子に座りながら、母がふう、と溜息を吐いた。


「アルデア」


名前を呼ばれた副執事が、待機していた壁際から一歩進み出た。


「はい、奥様」

「間違いは無いとは思うけれど、子供の言う事を鵜呑みにする訳には参りません。調べてくださるかしら?」

「仰せの通りに」


短く敬礼をして、獅子の鬣のような髪を後ろに流している雄雄しい美丈夫は、部屋を立ち去った。

マリアローゼはそれを見送って、母の隣にぽふん、と座って横から抱きつく。


「ステラは何をされてきたのでしょう。招待状は歪んで、端の方が破れていました。口の端に傷もあって、頬も少し赤かったです」


それに、あの手の荒れ具合は今日昨日で偽装出来そうでもない。


抱きつきながらマリアローゼは美しく優しい母を見上げた。

ミルリーリウムは甘えてくる愛娘を抱き寄せながら話し出した。


「テララ子爵は余り評判が宜しくないのですわ。ステラは彼女の話の通りなら、亡くなった前妻の娘で、ラクリマ侯爵家出身のイーリス様。結婚には誰もが反対したと聞いているけれど、押し切って結婚したのね。

結局亡くなってから、後妻を家に入れたけれど……年齢を考えると夫人が亡くなる前から……」


ハッとミルリーリウムが一旦言葉を区切って、マリアローゼを見下ろした。

これ以上は子供に聞かせる話ではない。

マリアローゼは不思議そうに見上げていたが、話の先は普通に予想の範囲であった。


「社交界では、後妻のテララ子爵夫人は前妻の子を虐めているという噂もありましたし、元々あまり良い印象はありませんわね……先方との交渉にはケレスを当たらせますから、安心して大丈夫ですわ」


頷いてマリアローゼは母の腕に甘えた。


孤児だけでなく、平民も貴族も虐げられる子供が何て多いのだろう。


暗い気持ちになったマリアローゼはハッとして起き上がった。


「お母様、わたくしお兄様達とお勉強して参ります。わたくしもしっかりと学びませんと!」


母の優しさが嬉しくてすっかり甘えまくっていたが、誰かを救うのならまず自分をきちんと育てなければいけない。

マリアローゼはふんす!と意気込んで、そんな娘をミルリーリウムは愛しげに見詰めた。


「ふふ。では母も頑張らなくてはいけないわね」


そう言って立ち上がると、仲の良い母娘は抱擁を交わし共に控室を後にしたのである。



兄達との勉強会を終えたマリアローゼは、お針子達と仮縫いの調整をした後で、明日のドレス選びを始めた。

領地に持って行くドレスの他にも、まだ洋服箪笥の中には所狭しとドレスが並んでいる。


「明日は落ち着いた色のドレスにしましょう」


マリアローゼが選び出したのは今日出会ったステラの瞳の色にと似た青鈍色に、ミントグリーンの淡くて薄い緑色を差し色にした落ち着いたデザインのドレスである。

爽やかな色使いなので、初夏には涼しげで良いとマリアローゼは頷いた。

ルーナが素早く、そのドレスに合わせた宝飾品を用意する。


「あら?そちらは馬車に乗せていなかったのですか?」


「はい。お屋敷の人達は信用しておりますけれど、何分大勢の人々や外部の出入りもございますので、

貴重品は事前にお運び致します」


「まあルーナ……本当に、貴女は何て素晴らしい侍女なのでしょう……」


下着姿のままぎゅっと抱きつかれて、ルーナは頬を染めた。

いつも手放しで褒めてくれる、優しいマリアローゼの期待に応えたいだけで頑張っているのだが、

今日も過分に褒められて、嬉しくて恥ずかしい気持を抑えてはにかむ。


「恐れ入ります、お嬢様。そのお言葉だけで、ルーナは幸せに存じます」


「ふふっ。領地に参りましたら沢山お勉強して、沢山遊びましょうね、ルーナ」


「はい、お嬢様」

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