第184話 クッキーと少女と粗末な花束

日は中天を過ぎ、やや傾き始めていた。

カンナの手を借りながらも、何匹か釣り上げたマリアローゼは、膝に釣竿を置いたまま、うとうととし始めている。

ルーナはそんなマリアローゼの手から、そっと釣竿を取り上げて、静かに舟の中に置いた。

支えるように寄り添い、シルヴァインを見れば、シルヴァインもまた釣竿を引き上げて櫂を握る。

後ろではカンナの動く気配もして、舟は岸へと滑り出した。


「宿も近いが、馬車に寝かせるか」


というシルヴァインの独り言ともとれる呟きに、ルーナがいえ、と小さな声で言った。


「岸辺にお休み頂ける場所を用意しております。多分もう準備出来ているかと」


「ほう。手回しがいいな」


「ずっと篭りきりでしたので、外の風に当たられる方が良いかと思いまして勝手ながらご用意致しました」


マリアローゼはルーナの胸元に頭を寄せて、すうすうと寝息を立て始めている。

シルヴァインはルーナの采配と、マリアローゼの健やかな寝顔に、優しい目を向けた。


「お二人はマリアローゼ様のお世話にどうぞ。私が魚と荷物を引き受けますので」

「頼んだよ」

「お願い致します」


岸に着くと、カンナが気を利かせて事後処理を申し出てくれたので、

マリアローゼを抱きあげたシルヴァインと、身近な手荷物を持ったルーナが短く答えて歩き出す。

滅多に見る事が出来ない貴族の美青年と、抱えられた人形のような美幼女は人目を惹いた。

と言っても騒ぎ立てる人はいない。

溜息を漏らして、言葉もなくその姿を見送るだけだ。


湖脇の道路の一角に木々が枝を伸ばしている涼しげな場所があり、

そこに白い天幕が張られて、下には椅子にもベッドにもなりそうな長椅子が置かれていた。

近くには宿の従業員がいて、テーブルには冷やした果実水も用意されている。

シルヴァインは慎重にマリアローゼを長椅子に下ろすと、すかさずルーナが薄い毛布をかけていた。

そしてマリアローゼの寝顔を見ているシルヴァインに、果実水が差し出され、それを手に取った時に、渡した主を見て、おや?という顔をした。


「来ていたのか、ギラッファ」

「僭越ながら、私めが必要になるかと存じまして」


右手を左胸に当てて、恭しく礼をするギラッファを、ルーナも見上げた。

シルヴァインの侍従でありながらも、普段一緒に見かけることが殆ど無い謎の人物、という印象をルーナは持っている。

黒い髪に黒い目、というのが少しランバートを思い出させるが、目つきは穏やかだ。


「……確かにな」


呟いたシルヴァインは、背筋を伸ばして銀盆を片手に立っているギラッファを見る。


「王都の方は全て順調でございます」

「そうか」


ルーナはそれとはなしに話を聞いているが、何の事なのかは分からなかった。

それよりも、今は天幕をそうっと覗きにくる子供達が気になっていた。

マリアローゼが起きていれば迷う事は無いのだが、今はすやすやと眠っている。

だが、今はシルヴァインもギラッファもいるので、側にぴったりと付いていなくてもよさそうだ。

ルーナはクッキーが入った缶を手に取ると、天幕の外にいる子供達に、クッキーを1枚ずつ分け与えた。


「お嬢様からの贈り物です」


クッキー自体は珍しい甘味では無いが、平民が口に出来るものと貴族の口に入るものには雲泥の差がある。

口に入れると甘くほろほろと解ける食感に、子供達は驚いたり笑顔を浮かべたりしていた。

その場で口に入れる子もいれば、大事そうに持ち帰る子もいる。

兄弟を連れてくる子供もいれば、兄弟の分も欲しいと恐る恐る言う子供もいて、

ルーナはその度に一枚ずつ手渡して行った。


「あの……」


最初の方にクッキーを渡した女の子が、おずおずとやって来た。

もう一度欲しいのかと思ったが、花を手渡される。


「これ、お姫様にあげてください」


それは町で売っているのを見かけたことがある、この辺で採れる白い花だった。


「これは、売り物ではないのですか?」

「いいえ、自分で摘んだものです。花売りのお仕事は今日はお休みで…」


5つの花を、粗末な紐で括ってあるみすぼらしい花束だ。

けれど、ルーナはこれを見たら、主人であるマリアローゼが喜ぶだろうと分かっていた。


「お名前を教えてください。マリアローゼ様にお伝えしますので」

「リリアといいます。お姫様にお礼を言っておいて下さい」


ぺこりと勢いよく頭を下げて、少女は走り去っていく。

入れ違いにカンナが戻って来た。


「シルヴァイン様のお魚が入賞するかもしれませんよ」

「そうなのか」


シルヴァインは然程興味はなさそうに肩を竦めた。

もうすぐ釣りの時間は終りそうで、それでも人は減らずに湖の側に寄っていく人が増えている。


そう。

待っているのだ。

本気しかない装備で、湖に挑んだあの女の帰りを。

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