第131話 淑女失格を嘆く幼女


冷たく冷やされた布を、エイラが再び取り替えて、目の上に置く。

頭もすっきりと冷えるようで、マリアローゼはユリアの声を遠くに聞きながら自分の失敗を思い出していた。

貴族は感情的になってはいけない、と教育される。

旅の疲れもあったし、命の危険もあったので、気疲れしていたのかもしれないが、

褒められた態度ではなかった。

今回に限っては、遠まわしな言葉では伝わらなかったので、仕方ないとはいえ…


「……淑女失格、ですわ……」


「そんな事ないよ、ローゼ」


思いの他近くから兄の声がして、マリアローゼはぴぎゃっと変な悲鳴を上げてしまった。


「お、お、お兄様いらしたのですか」

「此処に居る。君の目を冷やしている所を見てた」


横たわったベッドの上で、シルヴァインのゴツゴツした手が優しくマリアローゼの手を握る。


「いえ、そういう姿は見てはいけませんのよ……」


顔が酷い事になっているかもしれないのに、しれっと言われてマリアローゼは溜息をついた。

むくんで目が腫れぼったくなってしまっていたらと思うと、目は開けられない。

開けても布しか視界には入らないだろうけど、開けたくない。


「どんな姿でも世界で一番可愛いよ、ローゼ」


だからそういう事ではなく…

言いかけて、マリアローゼは諦めた。

反論して更なる褒め殺し攻撃に合うのは御免被りたい。


今はただ安静に、安静にしなければ。


腹立たしい事を思い出して頭に血が上ってしまったら、下がる温度も下がらない。

父が王都から連れてきた治癒師に癒させると言われて断ったのだ。

冷やせば済むものなので、貴重な力を使わせたくはなかった。

いつ何時危機に陥るか分からない、と前世から心配性なのは引きずっている。


マリアローゼとして生きてきた記憶と性格に、前世の記憶を思い出した時に加算された「私の記憶」は、ある意味マリアローゼとしての行動を第三者としての目線で見ていた部分もあったかもしれない。

転生後の世界で生きている人間を「キャラクター」とか「攻略対象」としてしか認識していない話も読んだことはある。

触れれば感触もあり、温かさもある生身の人間なのに、よくそんな風に思えるなぁと不思議だった。

心を許して無防備に愛してくれる家族を、例えば剣で突き刺したら当然死んでしまう。

そういう重さを感じないで生きているのは怖いと思う。


けれど、それとは別に、自分の意識とは別のところで、冷静に見ている自分を感じていたのだが、今はすっかりぴったりマリアローゼという人間の中に収まっている。

大怪我をしたあの冒険者の治療をした時がその契機だったように思えた。


惨くて怖くて気持悪くて。

色々な感情に押し流されて必死に抗いながら、彼を助けた時、泣いている事すら気付けなかったあの時。

感情的になってしまったのは、冷静に一歩退ける自分がいなくなってしまったせいだろうか。

いつか貴族じゃなくなる時もくるかもしれないけれど、

父や母や兄達に心配をかけたり、失望されたり、恥をかかせたりはしたくない。

家族だけの場でない時は、きちんと心を引き締めなければ…。


などと真剣に悩んでいたのだが、気がつくとマリアローゼはすやすやと安らかな寝息を立てていた。

エイラは起こさないように、温度を確かめつつ、そっと布を取り替える。

シルヴァインは無防備に眠る妹のふっくらとした頬の柔らかさを、そっと指で確かめるのだった。

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