第109話 父の来訪
とうとうその日がやってきてしまった。
子息達と語らった翌々日の朝、先触れが王室別邸の屋敷へ、宰相であるフィロソフィ公爵及び外務大臣であるモルガナ公爵の到着を知らせてきた。
マリアローゼも出迎えに出るのかと思ったが、今は窓さえ鎧戸が閉められているので、外を見る事もできなければ、外からの明かりすら入ってこない。
部屋からも一歩も出ずに過ごしていた。
幸い読書と言う趣味と実益を兼ねた時間潰しがあるので、そこまで退屈はしないが、窮屈ではある。
兄は昨日も朝にマリアローゼを見に立ち寄り、部屋から出ないようにと注意していなくなった。
先触れの知らせは気を利かせた誰かの計らいで、侍従が知らせにきてくれたが、
詳しい時間などは伝えられていないので、大人しくルーナの入れた紅茶を飲み、読書を続けた。
今回読んでいるのは、世界の気候と未踏の地についてである。
海には割と大型の魔獣もいて、外海に出るほど危険が増すらしい。
海流と天候、魔獣の縄張りなどの影響で、国交がない、もしくは国自体あるかどうかも分からない地域もある。
この世界でも海賊はいないことはないが、山賊共々魔獣による死の危険の方が遥かに大きい。
そして襲う相手である商人達も、最低限魔獣の相手が出来るように武装して護衛もつけているので、リターンもそれ程多くない。
外海や山深い場所での襲撃は、利益と採算が見合わないといえるだろう。
ふむふむ、と本を読み漁っていると、外から軍靴の音が近づいてきた。
鎧の立てる金属音と、地面を歩く規則的な足音だ。
暫くすると、バタン!と大きく扉が開け放たれ、暫く会っていなかった父ジェラルドが、愛娘の名を呼びながら両手を広げて飛び込んできた。
「ローーーゼーーーー」
「お、お父様、くるしいですわ」
ぺちぺちと背中を叩くが、暫くそのままぎゅうと抱きしめられている。
後ろから部屋に付いて来た母ミルリーリウムは、まあまあと頬に手を当てて和やかに微笑んでいた。
「……よし、では行ってくる。2日以内には発てるようにしよう。
そしてすぐに王都へ帰ろう」
決意を語り、正装用のマントを翻して、ジェラルドは足早に部屋を出て行く。
マリアローゼは目を丸くしてきょとんとしたまま、嵐のようにやって来て過ぎ去っていく父の背中を見送った。
そういえば父が鎧を纏った姿は初めて見たかもしれない。
母は部屋にそのまま入ってくると、マリアローゼの隣に腰掛ける。
「後はお父様にお任せしておけば、大丈夫ですわ」
「はい……早くおうちに帰りたいです、お母様」
帰ったら、沢山運動して体力をつけて剣の稽古を始めたい。
公爵家の図書館で、本を沢山読みたい。
温室の植物を見たり、ロサに色々食べさせたい。
魔道具も作りたいし、鍛冶工房で専用の武器も作りたい。
何より、ふわふわもこもこの羊に餌をあげたいのだ。
そしてお兄様達にも会いたい。
拗ねたように唇を尖らせるマリアローゼを、ミルリーリウムは優しく腕の中に閉じ込めた。
その日はそれきり父は姿を見せなかった。
晩餐の時刻になると、母も接待の為に会場へと出かけて行き、
マリアローゼはカンナと共に、部屋で豪華な食事を食べている。
里心がついて一瞬寂しくなっていたものの、読書をしてカンナやルーナと体操しているうちに、マリアローゼはすっかり元気になっていた。
食後のデザートも終え、エイラに手伝われながらの湯浴みも終わり、ミルクたっぷりの紅茶を飲んでいると、遠慮がちに扉の外からノクスの声がした。
「アルベルト殿下が参られました」
「どうぞ、お通しして」
夜着に身を包んだマリアローゼだったが、露出があるわけではないし…と普通に迎え入れたのだが、一目見て、アルベルトはハッと顔を逸らし、背を向けてしまった。
「こんな時間に申し訳ない。また明日にでも出直す」
「分かりました。こちらこそ失礼を致しました」
やっぱり失礼にあたってしまうか……。
個人的にはふわふわひらひらしているものの、普段のドレスと大差ないとは思うのだが、
さすがに婚約者でない男性をこの格好のまま引き止めるわけにはいかない。
礼儀作法のイオニア夫人がこの場にいたら、泡を吹いて卒倒してしまったかもしれない。
危うく殺人事件になるところだった。
やはりこの様な場合は、用意をするので待ってもらって着替えるのが正しいのだろう。
でも、面倒くさい…
マリアローゼは、ほふぅと溜息をついて、ベッドにもそもそと潜り込む。
「ルーナ、カンナお姉様おやすみなさいませ」
「「おやすみなさい、マリアローゼ様」」
二人の挨拶を耳に、マリアローゼは胸元のロサを抱きしめるように眠りについた。
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