第96話 熊の置物

夕闇が迫り来る頃、満足して戻ってきたロサを胸元に戻して、

マリアローゼはこっそりと一人で散歩をしていた。

といっても、そこまで大きくはない空き地に、

所狭しと馬車や天幕がひしめいている。

そんな天幕の近くで、神殿騎士のグランスが焚き火に向かい木を削っていた。


「何をなさっておいでですの?」

「…これは、ただの手慰みです」


慌てて立ち上がろうとするグランスを手で制して、倒木に座り直した騎士の武骨な手に乗せられた

ちいさな木彫りのフクロウをマリアローゼは見詰めた。


「お上手ですわねえ……」


この間露店で買った土産物のロバに似た、手作りの可愛いフクロウである。

マリアローゼ的ドストライクだった。

前世で大好きだった北海道土産定番の木彫りの熊を思い出して、急にそわそわとし始める。


「あの…あの、もし宜しければ、わたくしにもひとつ作って頂けませんか?」


我侭だと呆れられるだろうか?とグランスを見るも、グランスはじっとマリアローゼを見詰める。

怒っている様子も馬鹿にする様子もないのだが、フッとグランスは自嘲的な笑みを浮かべた。


「このような粗末なものをどうされるのですか?」

「お守りに致しますわ」


マリアローゼはふんす!と勢いよく言って、恥ずかしくなって照れ笑いを浮かべた。

出来たら将来玄関にどーんと飾りたいものである。

でも当分は自分の枕元に置いて…等と考え始めた所で、グランスが笑顔を見せた。


「どんなものが…良いのでしょう?」

「あの、熊がいいのです。こう…口にお魚をくわえていて、四足で立っている熊が…」

「熊」


作ってくれるという事に浮かれたマリアローゼが身振り手振りを交えて、説明を始めた。

まさかの熊に、グランスが驚いたように復唱する。

その後、ふふっとグランスが笑いを漏らして、近くに置いてあった木の塊を削りだす。

まるで生命が生まれるように、ただの木だったものが、どんどん熊の形になっていく。


「まあぁ……」


物作りの瞬間は、いつ見ても感動的だとマリアローゼは思う。

最初から存在したかのように、形作られるのが、生命の誕生のように思えるのだ。


「まるで、魔法のようですわね……」


ほわあ、と感心しきりに吐息を漏らして、マリアローゼはうっとりと見惚れている。

グランスは綺麗に魚の鱗まで刻んで、大きな手に熊を立たせた。


「では、献上いたします」

「ありがとうございます、グランスさん」


カッコイイ大人の騎士なのである。

暗めの金髪と鶯色の瞳が、魅力的な精悍な男性で穏やかな笑顔が似合っているが、

名を呼ばれた途端にびっくりしたように目を見開いた。

どうしたのかしら?とマリアローゼはこてんと首を傾げる。


「…名を覚えてらっしゃるとは思わず」

「わたくしの身を守ってくださる方達ですもの、名前を覚える位は当然のことですわ。

それより、この熊さん、とても素敵です。わたくし、一生大切に致しますわね」


素晴らしい出来栄えの熊の木彫りを抱きしめて、マリアローゼはご満悦である。

貴族の傲慢や、神殿騎士達の確執めいた思い込みは手にした熊さんに比べれば、

マリアローゼにとってたいした事のない出来事なのだ。


ふと、グランスが目を逸らして視線を揺らがせた。

迷い子のような、その不安げな様子にマリアローゼは動きを止めて見守る。


「妹は…喜んでくれたのかな……そんな粗末なもので…」

「喜んだに決まってますわ!大事なお兄様がてずから作って下さったお守りなのですもの。

世界にひとつしか無い宝物ではないですか。どんな高価な宝石にもドレスにも勝ります」


妹は年が離れているのだろうか、それとも小さい頃に作ってあげたのだろうか。

どちらにしても、他人の自分がこれだけ嬉しいのだから、喜ばないはずがない、と

マリアローゼはふんす!と自信満々に力説する。

グランスは形の良い唇を歪めて、何かを言おうとして、言葉にならないように涙を落とした。

次々と目から溢れた雫が、形の良い頬を伝って流れ落ちる。


「あら…どう、どうして、あの…どうなされましたの…」


よく分からないけれど、ハンカチを持っていないマリアローゼは、

小さな手でその涙を一生懸命拭った。

声を殺して大人の男が涙を流しているのだから、余程の理由があるに違いない。


「…こんなに、離れるより…病気の妹の側にいてやれば……」

「妹さまはご病気ですのね。…きっと良くなりますから…確かにお兄様に側にいて頂いた方が心強いし幸せでしょうけど…きっと、お兄様のなさりたい事を応援してくださいますわ…」


口に出した言葉は痛々しかった。

神殿騎士は王宮勤めの騎士と変わらない位地位も高く、実入りも大きい。

貴族出身でなくても能力と信仰さえあれば、雇い入れてもらえるのだから庶民にとっては名誉にしても金銭にしても大きな見返りのある仕事である。

家族が病気ならば余計にその重みは増す。

きっと病床の妹の為に、離れて暮らさざるを得なかったのだろうと予想はつく。

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