第92話 お見舞いとお散歩

深い深い眠りについたマリアローゼが起き上がると、外は大分明るくなっていた。

教会で治療を行い、疲れて寝てしまったマリアローゼは、翌日の昼まで寝込んでしまったのである。

朝に出発する予定だったが、やはりベッドで休ませた方がいいという事で、

特に教会へ同行した神聖国の二人、ウェルシとトリスティが先を急ごうとする他の騎士を押し止めたらしい。

諍いになりそうになるも、朝から宿に見舞いに訪れる町民の多さと謝礼の品に、

圧倒されてなし崩し的に留まる事が決まったのだ。


一連の話をシルヴァインから聞いて、マリアローゼは他人事のように聞き流しながらもぐもぐと朝食を頂いていた。

昨日は色々あり過ぎて、疲れて弱気になってしまっていたが、今日はもう元気溌剌としているマリアローゼにシルヴァインは苦笑しながらも安堵する。


「お兄様、昨日の方のお見舞いをして、湖を見に行きたいです」

「そう言うと思ったよ。手配はしておいたから、馬車で行こうか」


確認するように母を見ると、心配そうな顔で頷き、優しく微笑みを返した。


「すぐ帰ってきてねローゼ」

「はい、お母様」


本日の付添い人は、カンナ、ルーナ、ノクスにフェレスとウルススが公爵家からで、王宮騎士はアルガ、神殿騎士はカレンドゥラとマグノリア、神聖国騎士はグランスと、トリスティとなった。

トリスティは昨日に続いて二度目だが、今日予定していたエダールが腹痛の為部屋で休んでいるらしい。


騎士なのに軟弱な…


とは思ったが、顔には出さずにっこりと微笑んで受け流す。

もしかして何か悪巧みとかしてるのかもしれないが、その辺は兄の範疇なのでマリアローゼは気にしない。

町で借りた小さな馬車の為、乗れるのはシルヴァインとマリアローゼのみだった。

ルーナとノクスは御者を挟むように御者台に乗り込み、カンナは馬を借りて乗っている。

カタカタと街道を馬車に揺られて教会に向かう。

確かに揺れるし、舗装されているとはいえ、少しでもとっかかりがあるとガタンと馬車が跳ね上がる。

その度に驚いたように目をまんまるくするマリアローゼを、シルヴァインは面白そうに眺めていた。


教会に着くと、すぐに一行は迎え入れられた。

木造の教会の床板に、ベッドの上にあるようなマットが置かれて、昨夜の怪我人が横たわっている。

足はそのまままっすぐに伸ばされており、出血もしていないようだった。

マリアローゼがぺたぺたと漆喰を触ると、すっかり乾いて固まっていた。

怪我をした男は、精悍な顔を少し苦しげに歪めているも、呼吸は安定しているようだ。


「ルーナ、痛み止めのお薬と、怪我用のお薬を用意してくれるかしら」

「かしこまりました」


言われるとすぐにルーナは持ってきた鞄を開けて、薬を取り出す。


「一日2回で、3日分です」


付き添っていた仲間に、ルーナから受け取った薬の包みを手渡す。


「ありがとうございます」

「早くお元気になられますよう、わたくしもお祈りしております」


優しく声をかけて、マリアローゼは立ち上がる。


「薬が終ったら、動かしても大丈夫ですけれど、様子を見て慎重になさってくださいませね。

帰りに寄れたら良いのですが、……一週間くらいで固めた包帯は取っても問題ないと存知ますわ」


仲間はマリアローゼの言葉にこくこくと頷いている。

ちょこんとお辞儀をして、司祭に送られながら教会を後にするマリアローゼに、トリスティが声をかけた。


「お嬢様は一体何処で、あのような技術を身につけられたのですか?」

「ええと…本で読みましたの。とても古い本ですわ。医術についての本です」

「そのような本がまだ市井にあったとは」

「我が家は特殊ですので、市井にあるとは言い難いですね」


遮るように、シルヴァインが冷たさを秘めた声音で否定する。


「嘗て、治癒師や聖人、聖女を崇める故に、禁書として焚書した事もあるとか」


底冷えのする目で、トリスティを見詰める目が怖い。

自分に向けられているわけではないのに、マリアローゼは背中がひやりとした。

迫害の歴史を真っ向から否定するような言葉である。

治癒魔法を浸透させ、信仰の対象へと昇華する為に医術は早い段階で迫害の歴史を辿ったのだ。

民間療法を扱う魔女や巫女、薬を作る錬金術師も同時に迫害され処刑もされている。

その最中に失われた「魔法を利用しない技術」は数知れない。


「さすが、フィロソフィ家。貴重な知識を保全してくださって感謝致します」


あら?

医術に対して寛容な方なのかしら?


とマリアローゼはトリスティを見るが、あまり表情に出ない性質らしい。

見た目は黒髪黒目で、何だか目の下に隈みたいな影もある、暗い雰囲気を漂わせている。

感謝している雰囲気ではないのだが、嫌味を口にしているわけではなさそうだ。

兄はといえば、変わらず唇には完璧な微笑みを湛えている。


「そう言ってもらえると、嬉しいですね」


こちらも全く嬉しそうではない、含みのある表情だが、敢えてそこは突っ込まない。

ともかく一触即発の事態は免れた様なので、安心してマリアローゼは馬車に向かった。


教会から街道沿いに宿を通り過ぎて、湖に向かうために左折して未舗装の道に入る。

10分も走らない内に、大きな湖の畔に到着した。

辺りには民家もあるが、休養の為の高級そうな宿などもぽつぽつと見受けられる。

岸には湖での漁獲用の網や船なども並んでいた。

馬車から降りて桟橋の上から湖面を見下ろすと、底が見えるほど透明だったのにはマリアローゼも驚いた。


「綺麗なお水ですわねえ…」


落ちないように兄の服を掴みながらも、マリアローゼは興味しんしんに湖を覗き込んでいる。

湖を渡る涼しい風も心地よく、日差しも暑すぎない柔らかさだ。

マリアローゼは暫く雄大な自然を前に、深呼吸を繰り返す。

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