第89話 ラジオ体操と短剣
二人がにこやかに挨拶をして、シルヴァインは長机の上の手紙と個包装された小さい包みに目を留める。
ルーナが大きめの袋を用意して、小さい包みを中に収め、残りのロバ達はまた丁寧に鞄にしまう。
シルヴァインは、ローゼの向かいの椅子に座ると、手紙にさらりと目を通した。
手紙の内容に、シルヴァインがギラリと目を光らせる。
面白いものを見つけた、というような覇気みたいなものが感じられて、マリアローゼは身を竦めた。
兄のこういう時の雰囲気は、頼もしい反面怖くもあるのだ。
「じゃあこれは、まとめて預けてくるよ」
そんな態度は一瞬で押しこめて、シルヴァインは爽やかな笑みを浮かべる。
戻ったばかりなのに、颯爽と立ち上がり部屋を出ようとするシルヴァインに、カンナが声をかけた。
「お供します」
「いや、いいよ。別の所に用があるから」
腰を浮かせかけたカンナを制して、シルヴァインが断りを入れると、改めてマリアローゼに向けて微笑んだ。
「すぐ戻ってくるから良い子にしてるんだよ」
「お願いします、お兄様」
兄が部屋から出て行くのを見送り、窓辺に移動して通りを眺めていると、
宿から出た兄が、目敏くマリアローゼを見つけて、大きく手をブンブンと振ってきた。
兄へ小さく手を振り返して、護衛をフェレスに頼んだのか、連れ立って通りを歩いていくのを見送る。
そういえば、最近運動不足なのでは。
今日は散歩だから、当然の如く町中を歩き回ってはいたが、出発してからは殆ど馬車移動だ。
前世の旅行でもそうだったが、移動距離が長くても身体を動かしているわけではない。
でも何となーく動いたような気になってしまうものだ。
かといって、護衛されている身では中々外をうろつく事はできないので、外での運動は出来ない。
室内で出来る運動…腹筋に腕立て伏せ、ラジオ体操…!
マリアローゼはこっそりベッドの影に隠れながら、運動を始めた。
時折ベッドから見え隠れするマリアローゼに、ミルリーリウムは何をしているのかしら?と観察を始める。
釣られる様に、カンナもマリアローゼの動きを見て、ぽん、と納得したように手を打った。
「帝国式体操ですね」
えっ?
はっ?
耳慣れない言葉と、懐かしい言葉のミックスに、マリアローゼは動きを止めてカンナを見た。
カンナはニコニコ笑顔を浮かべながら頷く。
「懐かしいです。帝国の友人がよくそうやって体操してました」
「ま、まあ…そうでしたの…」
全然知らんかった。
まさか、ラジオ体操が帝国に伝わっているなんて、そんな話は思いも寄らず…
今まで読んできた本のジャンルからもかけ離れているので、知りようが無かったのは仕方がないのだが。
やはり、前世の記憶を残した転生者という存在が、ある一定数いるのだと奇しくも証明されてしまった。
でも、逆に伝わっているものが存在しているのは良い事でもあるかもしれない。
自分がうっかりやってしまった時に、言い訳として使えるからだ。
堂々と、帝国式体操ですわっ!とふんぞり返れるというものである。
「最近、少し学んだだけなので、間違いもあるかもしれませんが…」
ふんぞり返れる程ラジオ体操にも、帝国式体操にも通じている訳ではないので言い訳をしつつ、
マリアローゼは控えめに体操を続けた。
体力作りは毎日の反復が大事なのである。
いつの間にかすすすっと寄ってきたルーナも、見よう見まねでマリアローゼの動きを模倣し始めた。
幼い二人が一生懸命運動するのを、微笑ましく見守りながら、ミルリーリウムは紅茶を飲む。
魔法で負荷をかけることは出来ないのかしら?
のんびりと体操をしながら、マリアローゼはぼんやりと考え始めた。
実際に魔法を使おうと思って使ったことはないので、感覚はまだぼんやりとしか分からない。
領地に行ってからでないと、魔法は習えないと言われているので、当然その辺りの書籍も読ませて貰えない。
負荷となると重力……精緻な技術が必要になりそうな上、属性も二系統は必要そうだ。
操作を誤ったら、腕が捩れるとかそういう怖いことにもなりかねない。
マリアローゼはうっかり想像してしまい、ぶんぶんと首を振って、それを振り払った。
ダンベルを作った方が、早いし安全だわ……
でもこの世界では金属も貴重な資源なので、実際には剣を素振りした方がいいのかもしれない。
まだ持たせても貰えていないが……。
せめて身を護る為に短剣の一つでも用意してくるべきだった。
そういえば、馬車の中で母が短剣の手入れをしていたっけ、と考え付き、マリアローゼは運動を切り上げた。
「お母様、わたくしも短剣が欲しいです」
「そうね。きちんとした物は誕生日に贈りますけれど…今欲しいのよね?」
「…はい、できれば…護身用に頂きたいのです」
ミルリーリウムはニコッと微笑むと、旅行鞄から、一振りの短剣を取り出して、マリアローゼに手渡した。
革製の鞘に収まっているそれは、適度な重さがありつつも、細身で小さい。
そして、更に革製の装具を取り出すと、マリアローゼを抱き上げて椅子の上に下ろした。
右足の右側面に差込口が来るようにベルトをしめ、先ほど渡したナイフを鞘ごと括りつける。
「さあ、出来ましたよ」
「か…かっこいいですわ!」
マリアローゼは嬉しそうに、スカートをたくし上げたり下ろしたりしてニコニコしている。
その様子を眺めながら、ミルリーリウムは少し心配そうな顔をした。
「でも、取り扱いには気をつけるのですよ。切れ味が鋭いですから、本当にいざという時にお使いなさい」
「分かりました。みだりに触ることはいたしませんわ」
意図を汲んで、マリアローゼはふんすと頷く。
実際に怪我を負ってしまっては本末転倒だし、持たせてもらえなくなってしまうかもしれない。
重々気をつけなければ…とマリアローゼは、固く心に誓った。
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