第67話 淑女はマラソンをしない

「やはり、体力はつけないといけませんしね…」


図書館から飛び出てから、軽く準備体操をすると、マリアローゼは温室に向かって走り始めた。

淑女としてどうなのかとは思うが、広い庭園には人っ子一人いない。

はしたないとは思うが、スカートの裾のリボンを一部解いて、腰のあたりのリボンに結び付けて、

裾をたくし上げてある。


マナーを教え込んだ家庭教師のイオニアが見たら、きっと卒倒してしまうだろう。

帰りはロサを連れて帰るから、走れないので仕方ないのだ。

丁度噴水を越えて、水路の脇を爆走していると、傍らから熊が飛び出してきた。


「お嬢様!?」


「あ…ああ、ウルスス……く、熊かと思いましたわ…」


息切れしながらいうと、ウルススは大きい図体で膝を付くとローゼを見詰めた。


「良かった。誰かに追われてる訳ではないですね」


「…え、あ……勘違いをさせたのでしたらごめんなさい。

体力をつけようと思って……ちょうど温室に用があるので、

走っておりましたの」


「分かりました。でも全速力で走っては、帰る時にお辛いのでは」

「帰りは歩いて帰るので、大丈夫ですわ」


ふんす!わたくしちゃんと考えてますのよ!という風に主張するのだが、

ウルススは強面に優しい笑顔を浮かべた。


「でもそれでは、晩餐に間に合わないのではないでしょうか」


「はっ……着替えとお風呂の時間を忘れておりましたわ」


今度は失敗に青くなるマリアローゼに、ウルススは豪快に笑い声を立てた。


「失礼。それでは馬を廻して来ますので、温室でお待ち下さい」

「うう……考えが至らず、申し訳ありません…」

「お気になさらず。では、温室で」


ウルススが木立に踏み入って行くのを見て、マリアローゼも温室へ急いだ。


折角だから、残りも走ってしまおう。


とことこと、軽快にマリアローゼは温室へと走り出した。



「エレパースとノアークお兄様はどこかしら?」

「裏の温室にいらっしゃいますよ」


温室の出入り口に近い所で従業員に聞いて、マリアローゼはお礼を言うとまっすぐ中央の道を進んで裏口から出る。

そこにはノアークとノアークの侍従のゾアと、エレパースが居た。


ノアークも地面にしゃがんでいたが、箱を持つとマリアローゼに差し出した。

受け取ろうとマリアローゼが手を伸ばした所で、

中からぴょこんと桃色の物体がマリアローゼの胸元めがけて飛び出した。

そしてうにうにと服の中の定位置に潜り込んでいく。


「まあ、ロサ、寂しかったの?」

「…飛んだ」


ノアークは半ば呆然としながら、箱とマリアローゼを見比べる。


「そういえば飛びましたわね。元気そうで安心致しましたわ。

ノアークお兄様、エレパース、今日はロサのお世話をありがとうございました」


「あ…、あっ…は、はい……」


しゃがんだままでも大きいエレパースなのだが、完全にマリアローゼから顔を逸らしている。

そして耳が赤い。

そして、ノアークを見ると、こちらも精一杯顔を背けている。

その耳も赤く染まっている。


どうしたのかしら?とこてんと首を傾げると、ノアークの侍従のゾアが、マリアローゼに近づいて跪いた。


「失礼致します、お嬢様」


そして、腰に結んでいたリボンを解くと、裾を戻してリボンも元の位置に戻して結びなおす。

左右結んでいたのをそれぞれ、素早く綺麗に直した。

理由が分かったマリアローゼは、ひゃわ、と小さく悲鳴をあげる。


「エレパースもゾアもノアークお兄様も…はしたない姿をお見せしてごめんなさい。恥ずかしいわ……」


マリアローゼは頬を赤く染めて、ぷっくりとした頬に両手を当ててくねくねした。

見えていたのはドロワーズで、肌が出ている所は僅かなのだが…

膝下というより、脛より下から足首までしか露出してはいないのだが…

水着で出歩くのは大丈夫だけど、下着で出歩くのは恥ずかしいというあの気持に似ている。


「ここに居りましたか」


馬を連れて、ウルススが丁度よいタイミングで現れた。


「お兄様、ローゼはウルススに送って頂きますけど、お兄様はどうなさいます?」

「……歩いて帰る」


一瞬侍従に目をやってから、ノアークは返答した。


「分かりましたわ。では晩餐で」


マリアローゼはお辞儀をすると、ウルススが抱えやすいように両手を伸ばす。

ウルススは持ち上げて片腕にひょいと抱えると、ノアークに一礼して馬の所へと戻り、マリアローゼを前に乗せると、後ろに乗って馬を走らせた。

馬の背中という高い視線で見る庭園は、見事な美しさだった。


「…まあ…いつもの景色が全く違う風に見えますわ……」

「乗りたい時には何時でもご命令を」

「ふふ、お願い致しますね」


そして庭より…近くで見ても、ウルススの鍛え上げられた筋肉は、見応えのあるものだった。

美しさよりも筋肉美、である。

かつてガチムチ大好きだった喪女にとっての至福の時を過ごしつつ、

正面玄関横に馬をつないだウルススに地面に下ろされた。


「ありがとうございます、ウルスス、大変助かりましたわ」

「は」


ウルススはペコリと敬礼と短い返事ををして、マリアローゼはお辞儀を返すと部屋へと急ぐ。

部屋ではエイラと小間使いが待機していて、いつものように晩餐前の支度にとりかかるのであった。

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