第59話 飽きさせないお嬢様

朝食前の静かな時間を終らせるかのように、たむたむとノックする音が聞こえて、

マリクはベッドからのそりと起き上がった。


「はいはい」


この屋敷で治療に訪れるのは主に騎士だが、酷い怪我を負った時以外は朝食の後にやってくる。

使用人達も同じだ。


扉を開けると、小さな少女がちょこんとお辞儀をする。

この公爵家の最後の娘で、公爵夫妻や兄達に溺愛されているマリアローゼだ。


「マリアローゼ様、朝早くからどうされたんですか?」

「指を少しだけ傷つけてしまったので、薬で良いのでいただけませんか?」


何時もどおり、使用人に対しても丁寧な言葉をあどけない声で紡がれると、

どうしても微笑ましい感情が芽生えてしまう。

マリクは扉を大きく開けて、マリアローゼを招き入れると向かい合わせに座った。


「さあ、見せてください」


「左手の人差し指ですわ。でも、針で刺したので小さい傷なのです」


ぷにぷにとした柔らかい手を持って、よく見ると、確かに一点傷ついている箇所がある。

マリクは頷いた。


「確かに薬で大丈夫そうですね。……あ、もしかして薬を試す為にわざと怪我をしたのではないでしょうね?」


疑わしそうな視線を送られて、マリアローゼは慌てて左右に首をブンブン振った。


「わたくし、そんな酔狂ではございませんわ」

「なら、いいんですけどね」


マリクは手を伸ばして、薬棚のテーブルのように突き出している場所に置いてある瓶を手に取った。

中には乳白色の軟膏が入っていて、指で一掬いすると、それを指に塗りこんだ。

ピリッとした痛みと、冷たくなめらかなクリームの感触がして、痛みは一瞬で消えていった。


「綺麗に消えていますわ…」


ほわあ、と感心したようにマリアローゼが息をつくと、マリクはにっこり笑顔を向けた。


「それは良かったです。で、まだ針仕事はしていない筈なのに、何故指に怪我を?」


椅子ごとガッチリ掴まれて、降りる事も向きを変えることも出来ない状態に追い込まれる。

マリアローゼは取りあえず、目だけ逸らした。


何で…勉強内容が把握されてるの…


「このままでは心配で、朝食も喉を通りません」


悪戯っぽい笑顔を浮かべて、マリクの垂れた目が微笑んでいる。


「ある事をしたくて、それで…あの…針で突きましたの」

「ある事とは何でしょう?」


全部聞くまで逃がす気はないようだ。


何だかシルヴァインお兄様を思い出すわ…


マリアローゼはううっと呻いて、口ごもりながら訳を話した。


「お兄様達からスライムを頂いたので、飼い馴らしたかったのです…」

「スライム」


突然の単語に、マリクが復唱する。


「あ、でも従魔師のウルラートゥスに、テイムの仕方は教わっておりましたのよ。

それで、きちんと、仲良くなれましたの」


「はぁぁ。本当にお嬢様は、飽きないと言うか何というか…」


そういってクックッと下を向いてマリクは笑っている。

父にはウルラートゥスから報告がいっているので、お叱りはうけないだろう、とマリアローゼは考えているが、

マリクからも何か言われたら立つ瀬が無い。


「あの…マリク?」

「分かりました。大した傷ではなかったので、報告はしないでおきましょう」

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