第5話 幼女の朝は早い

ふえぇ…この身体しゅごい……。


マリアローゼは震えた。

何故なら、ものすごく…ものすごーーーく効率的に知識の吸収が捗るのだ。

5歳児という脳が活発な年齢もあるのだろう。

けれど、当社比10倍位はコスパ良いといえる。

ざっと目を通しただけで、頭の中にきちんと入ってくるのだ。


あっという間に一冊の本を読み終えて、はふぅ、と息をつく。

そうして、2冊、3冊と読み進めた所で。


「お嬢様、そろそろお休みの時間です」


部屋の中で静かに掃除をしたり、片づけをしていたエイラがいつの間にかベッドの横に立っていた。

その背後には、小間使いのリーナが控えている。


「あ…もうそんな時間でしたのね。では寝ます」


本を枕元に置いて、こてんと横になる。

時間を告げる鐘の音すら聞こえていなかったし、本を読みながら齧ったクッキーの味すら思い出せない。

集中が途切れると、途端に身体が重く感じた。


「おやすみなさいませ」


2人が頭を下げて、エイラは部屋を出て行き、リーナがベッドの傍らの椅子に座る。

昨日はナーヴァが勤めた不寝番だ。

マリアローゼはもふぅ、と欠伸をすると、そのまま眠りに落ちる。



幼女の朝は早い。

疲労回復が尋常ではないのだ。

すぐ疲れてしまうのは難点だが、本を読むには差し支えない。

ベッドに寝転んだまま、枕を抱えて本を読み耽る。


最初は「もう少しお休みになられた方が…」と渋っていたリーナも、

一緒に読みましょう、と誘えば目を輝かせた。

彼女は婚約前の子爵令嬢で、行儀見習いとして我が家に勤めている。

基本的に上位貴族は、家督を継げない下位貴族の子女の勤め先となっているのだ。

きちんと勤めれば、給金も出る上に、衣食住に困る事はない。

それに、上位貴族の家に出入りする商人や他の貴族に見初められれば良い縁談も得られる。

万が一、縁談がなくても、安心安定の終身雇用だ。

だからこそ、最初の調査は念入りに行われるようで、専門職以外で平民が雇われる事もあまり無い。

低位貴族であれば、賃金が安上がりの平民を雇用する事もあるだろうが、

前世で読んだ「嫌味を言ってくるメイド」みたいなものは存在しえない。

何故なら天に唾を吐きかけるも同じ、我が身にすぐ返って来るのだ。

主人に命令されているならともかく、平民が貴族に逆らうような事はないし、

どんなに低位でも貴族子女であれば、ある程度の忍耐力とマナーは身についている。


リーナは本好きなようだった。

不寝番とはいえ、何もせずに座っているだけというのは辛そうで。


「今後、不寝番をされる方には読書の時間をあげましょう」


と微笑むと、リーナは勢い込んで言い放った。


「それはとても素晴らしいお考えです!」


黙々と読みつつも、朝の鐘の音が鳴ると、リーナはきびきびと動き始める。

カーテンを開け、窓も少し開けて空気を入れ、リーナは快活な声で問いかけた。


「お飲物のご希望はございますか?」

「いつものミルクティをお願いするわ」


本から目を上げずに言うと、かしこまりました、と一礼してリーナは部屋を出て行く。

ミルクティの甘い香りに鼻腔を擽られ、ゆっくりと身体を起こすと、用意されたお茶を飲み、

添えられたクッキーを齧る。

そこで、リーナとエイラが2人でマリアローゼへの挨拶をして、

リーナが部屋を出て行き、エイラが部屋に残った。


「こちらの半分は書庫へ戻して良いのですね?」


一番目に読み始めた本を目に留めて、読み終わった本を重ねたワゴンの側に立ったエイラが言う。

目敏い。

さすがやり手のエイラだ。

そしてマリアローゼも昨日お願いし忘れた本を思い出し…


「ええ。代わりに魔法関連の御本をお願いします」


「承りました」


エイラは丁寧にワゴンを押して部屋を出て行く。

昨日から読んでいた本で、大体の世界の知識は掴めた。

ここアウァリティア王国を中心に、北にルクスリア神聖国、東にガルディーニャ帝国、西にフォールハイト帝国。

この大陸には三つの大きな国と、小さな神聖国しかない。

更に海を隔てて、南にグーラ商業国。

海を隔てた西に、イーラ連合王国とアルハサド国がある。


大きな国は大まかにこの7つで、未だに平穏を保っていたし、地理的にも戦争をするには難しい。

アウァリティア王国とフォールハイト帝国の間には樹海が広がっていて、

そこには数知れない魔物が跋扈している。

更に東のガルディーニャ帝国との間には厳峻な山脈が連なっており、

そこにもまた森もあれば魔物も数多く生息していた。

そしてその樹海と山脈が途切れる小さな区域に、アウァリティア王国と始祖を共にする

ルクスリア神聖国があるため、帝国同士が争うにしても、王国に対して仕掛けるにしても神聖国を踏み荒らさねばならない、とくれば完全に抑止として機能している。

神聖国にもし害を為せば、内外にいる神聖教徒との戦争に発展してしまうのだ。

というわけで、かくして大陸の平和は保たれているのである。


それは良い事なのだが、マリアローゼの人生を守る事にはならない。

「悪役令嬢なのに愛されて困る」とかそういう問題ではない。


小説では確かに?

登場人物が色々と好意を向けているように書かれていたけど?

果たしてこれは誰からの目線で書かれたのか。

もしくは予知能力とか、そういうお告げみたいなものなのか。

それは分からないが、何より恐ろしいのは状況だ。

マリアローゼを取り巻く状況がちょっとおかしい。

さすが根本が乙女ゲーと言うべきか。

全てのルートで邪魔をしてくる悪役令嬢の大ボスやら黒幕だったと言うべきか。


何故そうなったのか、というと

公爵家以上の家格で女が生まれていないという事実。

あくまでも今のところ、王国内限定ではあるが、更に王族の縁者ともなれば、

引く手数多というものであって、決して「愛されている」だけではないということ。

もしかしたら「愛されている」わけではないかもしれないということ。

貴族は政略結婚が普通だから、より良い条件を望むわけで。

どんなに悪辣だったとしても、追放や処刑は妥当ではなく、いいとこ幽閉が正解かもしれない。

そうなったら嫌だけど。


それに幾ら筆頭公爵家とはいえ、会いたいと言って王子に会えるなんて事も尋常では無い。

でもよくよく思い返してみれば従兄弟だ。

母の姉が王妃なのだから、血縁的にも住居的にも家格的にもかなり近い。


こう…雲の上の人から、近所にいる人に格下げになったような感覚で。

王族には違いないから敬意は払うけど、従兄弟じゃん。


「なあんだ」


と呟きつつ、ページを捲る。

そんなに恐れる事ではないし、油断はいけないが、敵を大きくし過ぎるのもまた良くない。

何なら「兄弟みたいで、恋愛対象ではない」作戦で十分な気がしてきた。

マリアローゼが我侭放題でも割と放置されていた素地が分かって、少しだけほっとする。

王族からの誘いは断れない、というのは確かだけど、かといって強要を受け入れないといけないほどでもない。

いざとなれば修道院に駆け込めばいいのだし。


でも、でも、欲を言えば…命の危険はあるけれど、冒険者とか憧れる。

色んな所へ旅したり、色んなものを食べたり、そうだ冒険の本を次は読もう。


取り留めのない事を考えつつ、本を読み進めていると、小間使い達が入ってきた。


「お嬢様、お支度を致しましょう。朝食のお時間です」


侍女であるエイラの声を合図に、手からは本が取り上げられ、小さな椅子に抱えて座らされ、髪を梳くもの、手足を清めるもの、色々な所から手が伸びてきて、されるがまま飾り立てられる。

と言っても、幼女なので最低限の身だしなみ程度だから、すぐに解放された。

コルセットはまだ必要ないので、楽である。


「ありがとう」


と声をかければ、皆がにっこり微笑んでお辞儀が返された。


順応が早い。

きっとすぐに「お嬢様が頭を打って何だかおかしい」みたいな話が出回ったのだろう。

もっと酷い我侭をしてからの豹変よりきっとマシなので、

マリアローゼはにっこりと微笑み返してから食堂へと向かう。

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