2023年6月9日

チョコレートの本性とは何だろう?


甘さだろうか?


それとも、苦さだろうか?


甘みだろうか?


それとも、苦みだろうか?


加工されている。


何もかも。


そうして、本性や、本質は、見えなくなっている。


見えない方が良いと判断されたからだろうか?


判断する主体は誰だろう?


たとえば、勉強の本質とは何だろう?


少なくとも、僕には、それを学校で教えてもらった記憶はない。


良い企業に就職するためだ、ということを聞いたことがある。


しかし、それが本質ではないことを、子どもならすぐに見抜くだろう。


勉強する内容は、すべて、これまでの人類が解き明かしてきた遺産。


つまり、歴史。


そして、僕もその歴史の延長線上に立っている。


つまり、勉強の本質とは、未来の人類が勉強する内容を、新たに生み出すこと。


これに尽きるのではないか、ということに気づいたのは、最近のこと。


チョコレートの本質は何か?


ここで、疑問が生じる。


第一に、チョコレートはものであり、勉強は活動であるのに。


両者を等価に扱って良いのか、ということ。


第二に、本質の本質とは何か、ということ。


第三に、僕の本質とは何か、ということ。


同じようなことを昨日も考えていた。


これが、僕の本質だろうか?

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