死曲

ちはや

第1話 血の雨

 会場の吹き抜けの2階の窓は全面ガラス張りになっていて、そこから眺める空は重苦しくどんよりとしていた。

 いまにも泣き出しそうな空…

 神代かみしろゆづり。大学二年生で、今話題の天才バイオリニスト。ビスクドールを思わせる人形のように整った顔、黒く絹のような長い髪、細く折れてしまいそうな身体。天に二物にぶつ以上を与えられ、神に愛された少女。彼女が奏でる曲を聴くと心が洗われるようだ、と演奏のオファーは後を絶たない。


「お嬢様、そろそろご準備を…」

 神代家の執事、マーティンが迎えに来た。

「わかったわ。」

 ゆづりが控え室に向かって歩くと、向かい側からはしゃぐ小さな子が走ってきてゆづりにぶつかった。

「すみません。」子供の両親が後から走ってきて謝り「神代ゆづりさん、ですね。今日の演奏を楽しみにしてます。」と会釈えしゃくした。

「もうすぐ。小さなお子様連れの方はご遠慮下さい。」

「そんな!なんです。子供は静かに音楽を聴くようしつけてありす。どうかお許しを…」

「どうぞご遠慮下さい。では失礼します。」

 ゆづりは無表情のまま去った。後ろから付いて来たマーティンが「お嬢様、よろしいのですか?」と静かに尋ねた。

「ええ、本日の演奏に彼等かれらです。」


 コンサートホールは200名。正確には197名。

 チケットはのみに配られた。誰かが3名分を高額で、先程の家族に取引きしたのだろう。リストにのだから。

 合図と共にステージがほのかに明るくなり、そでから黒いドレス姿のゆづりが登場した。

「まぁ、なんて美しい…女神か天使のようですわ。」人々は口々にゆづりをたたえた。

 

 ポップな曲から始まり、3曲弾き終えると一度休憩に入った。

「お嬢様、白湯さゆでございます。」

 マーティンがグラスを差し出した。

「ありがとう。会場の皆様には楽しんでいただけてるかしら?」

「そのようにございます。」

「そう。じゃあ次の曲で送って差し上げましょう。挨拶してくるわ。」

「かしこまりました。」

 マーティンは頭を下げると、後ろに下がり闇に消えた。

 ゆづりは持っていたグラスをそのまま床に落とした。グラスは音をたてて、粉々に砕け散った。割れたガラスの破片に、ゆづりの顔がゆがみ映りわらっていた。


 再びゆづりはステージの中央に立ち、深々とお辞儀じぎをした。

「皆様、本日はお忙しい中お越しいただき、ありがとうございます。を演奏させていただきたいと思います。タイトルは『』。ではごゆっくりお楽しみください。」

 誰もなにも思わなかった。気付くこともなかった。ただ、どんな曲なのかを楽しみにしていた。

 

 ポタッ…


 ポタッ…ポタッ…


 建物の中なのに雨?


 神代ゆづりは目の前でバイオリンを演奏している。しかし、音が聴こえない。


 なにかおかしいと観客が隣の席を見ると、目から耳から口から鼻から…血を流していた。

「キャー!!!!」

 悲鳴と共に観客席は大パニックとなった。全員が血を流しながら、助けを求め出口に向かった。ドアは施錠されていて開かない。

「開けてくれ!大変なんだ!」

「助けて!」

 血だらけの床に滑り、転げ回る。血は流れるばかりで止まらない。そんな中ひとりだけ。神代ゆづりはバイオリンを弾いていた。


 やがて会場は静かになり、ゆづりは演奏を止めた。「皆様、安らかに…。ごきげんよう。」そう呟いて、ステージから去った。


 控え室に戻ると、背の高い強面の男が立っていた。

「おい、3人足りないぞ。」そう言って、ゆづりをにらみつけてきた。

「さぁ、知らないわ。私は演奏しただけ。」

「忘れるな、小さなミス一つでもあれば…」

「わかってるわ。だからこうして、ここに居るじゃない!」

「じゃ、次のえさはこれだ。失敗は許されない。」

 ゆづりはを受け取り「早く消えないと、警察が来るわよ。」と笑った。

 男は立ち去った。


「マーティン、この後のことは…」

「手は打っております。お嬢様のことは、このマーティンが必ずお守り致します。ご心配なさらずに。」

「ありがとう、助かります。」

 

 やがて遠くからパトカーのサイレンが聞こえて来た。ゆづりはステージに戻り、小さな薬を飲み横になった。

 

 目が覚めたら…夢であればいいのに。

 外は土砂降りの雨だった。

 

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