妙子の旋律

まつりスプーン

第1話

 私はピアノを習いたかった。小学生の頃、学校でピアノを弾いたら先生が褒めてくれた。

「妙子ちゃん、絶対ピアノを習った方がいいわ。とても上手よ」

 嬉しかった。輝くような思いだった。心に虹の赤ちゃんが芽生えたようだった。


 でも、家に帰って先生が言ってくれたことを、喜びで飛び跳ねるような思いで家族に伝えたら、お父ちゃんに反対された。

「女の子はそんな習い事する必要ない!」

 家では、お父ちゃんの言うことは絶対だった。お父ちゃんの言うことは、黒いものでも白、白いものでも黒になる。逆らうことは許されない家だった。もし逆らえば、いや逆らわなくても、こちらは普通に遊んでいるだけなのに、お父ちゃんは自分の機嫌が悪いと、私のことも、兄ちゃんのことも、庭の木に吊るしたり、蔵に閉じ込めたりした。


 私はピアノを習わなかった。もしピアノが弾けたら、離婚したあと家でピアノ教室を開いたりして、人に教えたりできたのかなって、時々思う。

 私は夢想する。小さなひとり住まいの私の家に、ピアノを習いに来てくれる賑やかな子や大人しい子、色んな個性のある子供たちとその親が、月に2回でもいい。私の家を訪れ、私のもう何十年履いてるのか分からない、使い古された靴しか置いていない玄関から入って来てくれたら、どんなに生活に潤いと張り合いがあるだろう。辛うじて私が生きている意味になったかもしれない。


 私はお父ちゃんがきらい。お母ちゃんもきらい。兄ちゃんもきらい。離婚した元夫と義理の親もきらい。息子の嫁もきらい。兄ちゃんの娘もきらい。私はいつも兄ちゃんの娘をいじめてきた。


 そして、私もまた、このすべての人達から、きらわれている。腹の底から、みんなから憎まれているのを、わかっている。

 近所の人達も、私とすれ違うたびに顔を歪め、離れていく。時には毒を吐かれることもある。私はいつも毒を吐き返す。黙って立ち去ったことはない。自分に悪いところがあるのではないかと反省したこともない。私が早く地上からいなくなることを皆から望まれている。


 そう、私はだから、ひとり。ひとりぼっち。ひとりぼっちになった。私のひとりは、自由で爽やかなものではない。牢獄にいるようなものだ。車もあるし、運転もできる。でも、何処にも行けないのと一緒だ。

 スーパーで必要最低限の買い物をする。娯楽に使えるお金はない。部屋の電気だってあまり付けない。冷暖房も使わない。夏は茹だる暑さのまま、冬は凍えそうな寒さのまま過ごしている。具合が悪くてもとことん悪くなるまで病院に行かない。


 神様も私のことを許さない。私は長い間、人をいじめてきたから。いつも人に容赦のないきつい言葉を吐いてきた。人を傷つけてきた。ずっと。ずっと。ずっと。


 そう、余りにも私の心は穢れている。だから、私の周りに誰もいなくなるのは当然だし、神様が私に回復する可能性の極めて少ない病気を授け、取り返しのつかない身体になったのも、当然なのだ。


 私は多分死ぬまでお粥しか食べれない。もうハンバーグも、ビフテキも、餃子も、フライドポテトも、エビチリも、チーズケーキも、カレーも、シチューも、とんかつも、もうそんなご馳走は二度と食べれない。何も美味しいものは食べれない身体になってしまった。


 天罰。人にしたことは自分に返ってくる。宇宙の真理。自然の法則。天に向けて唾を吐くと自分の顔にかかる。人に投げたブーメランは自分に突き刺さる。

 誰でも聞いたことのある昔からの教え、道徳。道徳って言葉は最近は死語だって、誰かが言ってたような気がする。私は罰が当たったのだ。当然の報いだ。


 兄ちゃんの娘に怒鳴られたことがあった。

「怨霊!キチガイ!」

「いつまでもあんたみたいなものに苦しめられたくない!」

 私が兄ちゃんに、いつものように暴言と八つ当たりを撒き散らしてた時だ。私に暴言を吐かれてうなだれている父親の姿を見て、凄い剣幕で助けに乗り込んできたのだ。


 あの娘は強くなった。昔とは全然違う。あの娘が学校に行けなくなって、不登校で苦しんでいる頃から、私はあの娘をいじめてきた。ひどい言葉ばかり吐いて傷つけてやった。

 何故あんなにも姪のことが気に障ったのか、心の片隅では自覚している。お父ちゃんは、私のことは厳しく育てたのに、孫であるあの娘のことは溺愛している。優しい言葉で話している姿を見ると、むかついて仕方ない。姪が大事に育てられるのが許せない。姪が幸せになるのを阻止したい。邪魔したい。マグマのような怒りだった。とぐろを巻いた蛇のように恐ろしく邪悪なものが、常に私の中に増殖していた。

 私は離婚して、こんなに苦しい生活を送ってるのに、あの娘は不登校になって、家で何不自由なくのんきに暮らしているではないか。許せない。苦しめ。そんな思いで、ずっと姪に八つ当たりしてきた。

 それでもあの娘は長い間、叔母である私にまた話しかけて来た。挨拶し、親戚として、顔を見たら普通に接してくれてきたのだ。

そんな姪に私はいつまでも、ことあるごとに、暴言、姪を傷つける言葉、八つ当たりを繰り返した。そして、とうとう、あの根が善良な娘も反旗を翻した。


 姪は徹底的に私を無視するようになり、もう絶対私を許さなかった。私をゴキブリのようにきらい、そして、あの日、警察に110番通報までされた。私が退院して、久しぶりに実家へ用事で行き、兄ちゃんに暴言を撒き散らしていた日だ。

 警察官はハンサムな青年で、まだ若いにもかかわらず、人の苦しみに対する理解力が素晴らしく、極めて優しい人間性も兼ね備えていた。


 警察官は、あっという間に、長年私に人格否定の言葉ばかり吐かれてきた姪の苦しみを悟り、私に注意した。

「いい年して、年の離れた姪を傷つけるような、いじめるようなこと、したらいけませんよ」

 静かでありながら、誠実な人間性が表れた強い口調だった。私は何も言えず、畳に目を落として俯いていた。

 あんな若い、しかもハンサムなお巡りさんから叱責を受けて恥ずかしかった。屈辱だった。あのお巡りさんは、どれくらい私のことを軽蔑する気持ちで見ていただろうか。


 私は息子夫婦からも、もう見捨てられている。二人の子供が産まれたばかりの頃は、よくお手伝いに呼ばれ楽しかった時もあったが、それももう遠い昔になっていく。

 私はもう孫にも会えない。電話で孫の声を聞くことも叶わない。息子夫婦からも、心底きらわれてしまった。息子のお嫁さんに久しぶりに電話をすると、冷たい言葉が返ってきた。

「お義母さんの声を聞くとムカつくんです。用事があれば、こちらからかけますから、電話してこないで下さい」

 息子も、私と縁を切ったのかと思われるほど愛想がない。

「もう電話してくるな。お母さんから電話がかかってくると、嫁さんの機嫌が悪くなるから」

 電話をかけても、もう無視される。息子は、私が息子や孫と唯一繋がることができる電話にも出てくれない。


 私が突然、駐車場で倒れて入院した時も、看護師さんが息子に連絡してくれたが、一度も見舞いに来なかった。誰ひとり見舞いに来なかった。


 私は何十回もお見合いを断ったり断られたりした後、それなりに堅実な会社に勤めているサラリーマンと結婚した。そして、40歳の時に離婚した。

 結婚したばかりの頃は、夫も義理の親も優しかった。畑仕事を手伝うと気遣ってくれた。何にもしたことのないお嬢さんの手だからと、労ってくれた。

 でも、息子が生まれてしばらく経つと、すぐ化けの皮が剥がれてきた。と言っても、私にとって最大のこれ以上ないと思える苦しみでも、言葉にしてしまえば、世間でよくある、ありふれた不幸だ。


 夫はお酒を飲んで暴力をふるうようになった。私は暴力に耐えながら、同居していた義理の親を自宅で介護。下の世話も嫁の仕事だ。当時、小学生だった息子に言われた。

「おばあちゃんのお尻を拭いた手で、僕たちが食べるハンバーグ作らないで」

 息子は幼い頃から、とても勉強のできる自慢の息子だった。


 私は息子が、私をこの地獄からいつか救い出してくれることを信じていた。息子が有名大学を卒業して、大企業に就職して、すぐ結婚した時は一瞬寂しかった。戸惑った。自慢の息子を、突然現れたお嫁さんに取られたようで。

 でも可愛い孫が産まれて、これでいつか落ち着いたら私のことを呼んでくれるかもしれない、一緒に住もうと言ってくれる日がそのうち来るだろうと期待していた。でも、そんな日は恐らく来ないだろう。


 私は奈落の底から、離れた所に住む息子夫婦と孫のことを思う。孫が小さい頃は手伝いに呼んでくれて、鍋を囲んで皆で食べた日だってあったし、孫の運動会に連れてってくれた日だってあった。私が帰る日、新幹線のホームまで見送りに来てくれて、孫が私と離れたくなくて、泣いてくれた日だってあった。

「おばあちゃん、おばあちゃん」

 そう、そんな日もあったのだ。未来への希望に胸が膨らむ日。それまでの苦しみが、すべて洗い流されたかのように感じることのできた日が、私にもあったのだ。あれは、あの束の間の幸福感は、幻だったのだろうか。


 私は人への八つ当たり、いやみ、暴言、人を傷つける言い方、意地悪を止めることが出来なかった。私の中に、もともと思いやりや優しい心はないみたいだ。

 垂らされたかのように見えた蜘蛛の糸を、私は掴むことが出来なかった。幸せを掴めないという呪いは、誰か他人からかけられたものではない。自分で自分に呪いをかけてきたのだ。


 私は、一人でお粥を作り、一人で食べる。電気も付けない薄暗い部屋で、一人で起き、一人で寝る。おはようも、おやすみも言う相手がいない。一緒にテレビをみて感想を言い合ったり、一緒に笑う誰か、一緒に微笑みを交わす誰か、お互いにお互いを思い遣り、助け合える誰か、そんな人は誰もいない。


 世界中の皆からきらわれて、たった一人で生きている。私は毛虫よりも、きらわれているだろう。毛虫は、いずれ蝶々になるのだから。蝶々になって、花に止まって蜜を吸ったり、ただひらひら思いの儘に飛んでいるだけで、人から愛でられる蝶々に毛虫はなれる。なんて羨ましいのだろう。それと比べて私はいったい何なのだろう。これから何か、意味をもつ存在になれるのだろうか。


 子供の頃にピアノを習えていたら、もっと皆から愛される人生が待っていたのだろうか。今となっては、もう分からない。すべて手遅れな気がする。

 窓から差す西日でさえ、私の身体を撫でてはくれず、すでに崩折れている翼を焼きつくすかのように、熱い炎でめらめらと照りつけてくる。

 私はだんだん翳りゆく暗さを孕んだ橙色に染まる部屋で、いつまでも横たわっていた。死よりもかなしい孤独のなかで。葉が朽ちていくよりも、花びらが踏み躙られるよりも、かなしい姿で。


 子供の頃、ピアノを習いたかった。学校の音楽室で弾いたピアノの音が、そこはかとなく耳の奥で鳴り響く。

「妙子ちゃん、ピアノを習いなさい。才能があるわ」

 ほんとう?ほんとうなの?先生。あの言葉は……。嘘みたいに苦しい人生を送ってきたのだけど。

 モーツァルトやラフマニノフを弾くかわりに、私は何を奏でてきたのだろう。あらゆる美しい優雅なワルツ、情熱的な協奏曲に触れもしないで。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

妙子の旋律 まつりスプーン @matsuri_spoon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ