第133話


 ※ 三人称視点



 陽が沈む頃、大教会から白虎の獣人、ラミトが帰宅のために出てくる。


 普段は大教会に泊まり込みで働く彼女だが、数日に一度は自宅へと帰る。


 ラミトは帰宅途中に孤児院へ寄る習慣があった。


 道中で子供達へのお土産になりそうなものを買い、目的の場所に向かう。


 彼女が孤児院に着くと、それに気付いた一人の子供が声を上げる。


「おねーちゃんだ!」


 その声を皮切りに、子供達はラミトの周囲に集まる。


 少し遅れて、一番年長の子供がお土産目的で集まる子供達を叱りつける。


「こら、ちゃんと挨拶しないと駄目なんだぞー! こんばんは、お姉ちゃん」


 小さい子供達は元気よく返事をして、口々に挨拶をしてくる。


 その光景を見たラミトは思わず口元が緩くなった。


「こんばんは、みんな。ちゃんと挨拶できて偉いね」


 子供達の頭を撫でたり、他愛のない話を聞いて十分癒されたラミトは、お土産を預けるための孤児院の管理者がどこに居るかを聞く。


「みんな、シスターはどこに居るのかな?」


「あ、待って!」


「お姉ちゃんに内緒のプレゼントがあるの!」


「みんなで作ったんだよ! シスターには内緒!」


 そう言って子供達が取り出したのは円形の金属板に複雑な紋様が刻まれた魔除けアミュレット


 それを受け取ったラミトは、子供達の純粋な善意に感動を覚えた。


 感激のあまり子供達を抱きしめたり、額を擦り合わせたりするラミト。


 少しの間、シスターの事が完全に頭から抜け落ちていた。


 一方、孤児院の裏手では管理者であるシスターと、黒い祭服に身を包んだ男が言葉を交わしていた。


「これが今週の分です」


 そう言って子供達に作業させて作った魔除けアミュレットを、黒い男に渡すシスター。


「ありがとうございます、謝礼はこちらに」


 男は中身を確認すると、大金の詰まった袋をシスターに渡した。


「これで人々を不安から守れる事でしょう。協力に感謝します」


「いえ、こんなに頂いて、何だか悪いくらいです」


 社交辞令を交わした後、男は足早に孤児院を去って行った。


 シスターは大金の詰まった袋を素早く自室に隠すと、孤児のために台所に立つ。


 するとシスターを探していた孤児の一人がやって来て、シスターに来客を告げる。


「シスター、ラミトお姉ちゃんが来たよ」


「まあ、そう言えば今日がその日でしたね。すぐに向かいましょう」


 子供に連れられて、シスターはラミトの対応をする。


 ラミトは聖女であるが、彼女が足しげく孤児院に通う内にシスターにも慣れが生まれていた。


 その故に、子供達を働かせて稼いでいる事を気取られる事なく、シスターはラミトとの話を上手く切り上げる事に成功する。


 男の言う「町のため、人のため」という免罪符が、シスターの心を軽くしていた。




 夜、子供達からプレゼントされた魔除けアミュレットを大事に保管し、ラミトは眠りにつく。


 目を閉じた後、一瞬の浮遊感と酩酊感を覚え、その違和感から跳び起きる。


 気が付くと、ラミトは青い血肉でできた洞窟に居た。


 光源もないのに明るく、はっきりと見える、生々しく蠢く壁や天井。


 そして一本道ではなく、道は上下左右あらゆる方向に枝分かれしていた。


「な……んだ、これは?」


 夢にしては余りにもリアルな血の臭いと、足から伝わる生暖かい血と肉の感触。


「――主よ、私を御導き下さい」


 ラミトは自らが信仰する契約神に祈る。


『…………――』


 しかし反応は鈍く、ノイズに塗れ、上手く交信は叶わない。


「え……なんで……?」


 聖女となってから初めての事態に頭が真っ白になるラミト。


 その場から動くこともできずにいると、遠くから何者かの声が聞こえてくる。


 正気に戻ったラミトは、上手く回らない頭を必死に動かして考える。


「(人の声? ……いや、こんな場所に居るのが普通な訳ない!)」


 その結論に至ったラミトは、声のする方を警戒して構える。


「……ォーイ、オォーイ、オォーイ」


 ガリガリに痩せ細った、骨と皮しかないような人の形をした何かが、叫び声を上げながら走り寄ってくるのが見えた。


 その褪せた皮膚の色も相まって、ヒトを模した枯れ木が動いているようであった。


 ラミトの脳裏に『外なるもの』という言葉が過ぎる。


「アレがそうか……!」


 最初は米粒ほどに見えたソレは異様に足が速く、あっという間に距離が詰まる。


 拳を構えるラミトと接敵まで後数秒、といった所で異形の姿が搔き消える。


「なっ!? きえ……!?」


『……っ!』


 僅かに残っていた神との繋がりから、警告のような意思を受け取ったラミトは、直感的に素早く後ろに飛び退く。


 周囲を見渡しても何もないが、一瞬遅れてさっきまでラミトが居た位置に異形が現れた。


「オォー……オー」


 突如出現した異形は、自分の姿をしきりに確認している。


 その後、ぐるりと首だけを百八十度回して、ラミトを捉える。


 彼女は契約神の聖女……当然、戦闘に向いた神の奇跡はない。


「えいやぁッ!!」


 だが……いや、だからこそラミトはその頭部に全力で拳を叩き込んだ。


 青い血を跳ねさせながら異形が吹き飛んでいく。


「よく分からんが――」


 彼女は契約の聖女として、複雑で論理的思考を重要とする役職に就いているが……、


「――殴れるならどうにかなるはずだ!」


 実のところ、根っこの部分では脳筋であった。


 契約神の聖女、ラミト。


 彼女が契約の神に見初められた理由は、その「誠実さ」にこそある。


 強い芯を持ち、真っ直ぐで混じり気のない意思を持つ者として、契約神は彼女を聖女と選別したのだ。


 彼女は『外なるもの』を敵とし、あの異形をそれと見た。


 故に恐怖も迷いも、心からはとうに失せている。


 あるのは「どうすれば倒せるのか」というただ一点。


 殴り飛ばされた異形が、起き上がる事もなく姿を消す。


 それが危険な攻撃の予兆であると察したラミトは、動物的な直感に従い先ほどより大きく動く。


 消えてから数秒後、先ほどまでラミトが居た位置から、一歩後ろにずれた位置に異形が出現した。


「(こいつ、私が避けるのを予想した!?)」


 ラミトは背筋に悪寒が走るのを感じながら、異形に対して蹴りを叩き込む。


 白虎の獣人である、彼女の屈強な肉体から放たれた蹴りは、異形の頭部を破裂させるに至る。


 頭を失い、力なく倒れた異形の体は黒い煙のように溶けて消えて行く。


 ラミトは「煙を吸ったら危ないかも」と思って、口元を手で押えて距離を取る。


 完全に異形が消えた後も、ゆっくりと後ずさり、距離を離していた。


「何とかなった……のか?」


 その呟きに答えるように、突如として眼前の何もない空間に異形が姿を現した。


 こちらに背を向けて、後ずさるようにして。


「――――ッ!?」


 言いようのない不快感が沸き上がり、ラミトは異形の全身を拳と足で粉砕した。


 バラバラの黒い骨片と散った異形が、またも煙となって溶けていく。


「(嫌な感じが消えない……とにかく動かなきゃ!)」


 ラミトは己の直感に従い、青い血肉の洞窟を跳び回る。


 そしてその予想通り、異形は何事もなかったかのように復活した。


 あまりの手ごたえのなさに、ラミトは攻撃を控えて様子を見る。


 距離を取って動かないラミトに対し、異形が人の言葉を放つ。


「ねェー、一緒になろォー、寂しいでしょオォー」


 複数の――幼子から老人まで――多様なヒトが同時に喋ったような声だった。


 ラミトはそれを、連日の不審死による犠牲者の声だと確信する。


 彼女は他国の貴族と会話する機会も多くあったため、聞き覚えのある声が混じっている事に気付いたのだ。


 そして一歩間違えれば、自分もあの中に混じるとも確信できてしまう。


「……貴様、許せんッ!」


 だが彼女の闘志は萎えるどころか勢いを増す。


 頭に血が上ったとも言う。


「みんなでェー、一つにィー――」


「黙れ外道ッ!」


 激憤するラミトの攻撃が異形を粉砕する。


 子供の声も聞こえた……それが意味するものに気付いたが故の怒りだ。


 ラミトと異形の戦いは続く。


 ラミトは異形を殺しきる手立てを思い付けず、異形はラミトと同じ座標へ転移しようとしても避けられてしまう。


 怒り心頭なラミトに冷静な判断ができず、異形は未だラミトの直感の裏を搔けるほどに成長できていない。


 お互い決定打が無く、千日手になっていた。


 少なくとも別の獲物がこの空間に囚われるまでは、この拮抗が続くだろう。




 翌朝、教会自治領にて多くの不審死を遂げた者が発見される。


 そしてラミトは、死にはしていないが、どうやっても眠りから覚めない状態になっていた。




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