【短編】「ねじれ」

竹輪剛志

本編「ねじれ」

 俺には一人、仲の良い友人がいる。そいつの名は麻木優、俺と同じ仙海高校二年。クラスは違うが、部活は同じ吹奏楽部である。中学校からの仲で、仙海高校に地元の中学校から進学したのは俺と優だけだった。

 小柄な体躯で、肩にかかるくらいの黒い髪の毛。くりりとした大きい瞳に長いまつ毛。優の容姿はおおよそ美少女といっても差支えないだろう。

 だが、優がそんな見違えるほどの変化をし、美人になったのは高校に入ってからのことだ。

 入学式から一か月、学校で優を見かけないことを不思議に思っていながらも過ごしていた。そして吹奏楽部の新入生歓迎会のとき、優は中学とはまるで違う姿でそこにいたのだ。

 最初にその姿を見た時俺は驚きと同時にあまりの変わりように困惑した。本当に浅木優なのかすら疑った。だけど、話せば話すほどその人物は優だった。困惑はさらに加速して、麻木優に対する認識が捻じれていくのが実感できた。


 二年、夏。今日は中々忙しい吹奏楽部にとって貴重なオフの日である。そんな日に俺はミンミンとセミの鳴く夏空の下を汗ダラダラでチャリを漕いでいた。目的地は近くの一軒家。中学生の頃は飽きるほど行った優の家だ。高校に入ってから忙しくなり、行くのは今日が初めてだ。

 いつもの場所にチャリを止め、インターホンを押す。何度も行った家なのに、何故か緊張してしまう。そのドキドキが鳴りやまないまま、優は出てきた。


「いらっしゃい。暑かったよね?」


 私服の優は普段より一層可愛く見えて、俺はいつにも増した背徳感を覚えた。

 いわれるがままに、家の中に入る。汗だくなのが申し訳なくて、恥ずかしい。中学の時まではそんなこと気にしたことは無かったのに。

 見慣れた玄関と廊下を通り抜けると、優の部屋だ。様子を見る限り、今日は優以外に家族はいないようで家全体が静かだった。扉を開けて見える空間は、俺の知っている優の部屋では無かった。可愛い小物に溢れ、女の子の部屋の具現化といった感じがした。だけど、細部をよく見ると前からあった小物がちらほらと見えてやっぱりここは優の部屋なんだと感じる。


「何か飲むもの取ってくるよ。麦茶で良い?」


 その問いかけに対して、俺は素っ気なく「うん」と返すと優は一階のキッチンへと向かった。

 空調が効いた涼しい部屋なので、暑さによる汗はすぐにひいたが今は嫌な汗が背中を伝うのが分かる。

 数日前に家に来ないかと言われた時、俺は反応に困ってしまった。数年前なら迷わずに答えられた筈だ。それなのに、今の優を目の前にして緊張が先行した。それは紛れもなく、優を女性として意識しているということだ。中学とは違う優を俺は好きになってしまったのだ。


「おまたせ」


 机の上にグラスが置かれる。だけど俺はそれに手を付けるような気になれず、優の顔をまじまじと見ていた。

 汗が止まらない。緊張している証だ。


「どうしたの? 具合でも悪い?」

「あ、ああ。外は暑いからな……」


 すると突然、優は俺の手を握ってきた。一瞬、心臓が跳ねるような衝撃を受けてそれから心は冷静になった。それどころか、前とは別の緊張を感じる。

 やっぱり、優は男なんだなと嫌でも理解できた。手がゴツゴツとしていて、力強さがそこに確かにあった。

 思わずパッと離してしまう。


「あっ……」


 まずいと思って優の顔を見ると唖然としていて、自分が嫌になった。


「ごめんね、勝手に触れて」


 少し涙ぐんだ目で謝る優を前にして、俺は罪悪感で今にも逃げだしたかった。

 一年前、男から女に変わった優にした質問が頭を過る。どうして女の恰好をしてるんだと訊いたら、小学校からの夢だった。中学校からの同級生が殆どいないこの学校なら受け入れてくれるかなと思った。そして、優は俺なら受け入れてくれると信じていた。と答えてくれた。

 俺は親友としてその願いを受け入れた。中学までの優と変わらない接し方を意識し続けた。だけど、日を増すごとに優は優の面影を残して優では無くなってしまう。

 男と女という直線の交わりにおいて、ねじれの位置にいるような優に俺はどう接すればよいか分からなくなってしまった。


「こっちこそ、悪かった」


 ぎこちなく謝る。ただただ申し訳なくて、何故手を離したのかを自問自答する。 

 それはきっと、手を触れた瞬間に中学までの優がそこにいたからだと思う。高校からの優と、中学までの優。俺は無意識的に二人を分けて考えていたのだと思う。

 高校からの優は好きだが、触れれば触れるほど中学までの優が見える。

 女としての優は好きだが、男としての優は好きではない。


「ねえ……」


 優が黙りつくしていた俺に対し口を開く。


「私、君のことが好き。中学校から、今までずっと好き。だから、私を見捨てないで…… こんな曖昧な私を」


 離された手を握りなおして、泣きながら優は迫る。


「………」


 いいえ、と答えれば優はどうなるのだろうか。きっと、凄い悲しむ。そんな優を俺は見たくない。けれど、ここではいと答えたらどうなるのだろうか。きっと優はすごく喜ぶだろう。だけど、この曖昧ながらも真っすぐだった関係性はねじれてしまうのではないだろうか。


「俺は、俺は……」


 目の前にいる優に対する気持ちがねじれている。優の気持ちには答えたい。俺は優のことが好きだし、優も俺のことが好きだ。だけど、ねじれの位置にいる優と俺は交われど歪な関係性だ。

 そんなことを踏まえて、俺は考えに考えて、俺なりの答えを出した。


「俺は———— ……だ」


 それを聞いた優は、今よりもっと泣いて、掠れた声で——


「……ありがとう」


 ただ一言、そう言った。 

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