ぶらり
@alra
第1話
ピンポーンと少し甲高い音が鳴って、既に時間が来ていたことに気が付いた。私は大声でリビングから玄関の方に向かって今行くーと呼び掛ける。脱ぎ捨てるようにしてパジャマから制服に着替え、学生鞄を持って玄関へと向かう。朝ごはんのお皿とかまだ洗えてないし、洗濯機も回してないけど帰ってからやろうと自分を納得させて、靴を履いて外に出る。気持ちの良い朝だ。そして目の前には私を急がせた張本人が笑顔で佇んでいた。
「おはよう、今日で三連続だよ全く」
「おはよ、ごめんて」
親友の恭子は呆れたような目で私を見ていた。私の両親が今週旅行に行ってしまったので毎朝こうして迎えに来てくれている。理由は私が起きられないからだけど。
「ほら、急がないと遅刻しちゃうよ」
腕時計を見ると時刻は八時半。朝のホームルームまで残り二十分。
「ああまずい、急がなきゃ」
私は慌てて玄関の鍵を閉め、恭子と共に学校へと走っていった。
滑り込むように教室に入ってどうにか間に合った。恭子とは別のクラスだから学校にいる間はあまり関わることはないのが残念。早く放課後にならないかな~なんて気楽なことを思っていたら、ガラガラと扉が開いて先生が入ってきた。騒がしかった教室が落ち着き、クラスメート達が各々の席に着いていく。全員が座った後で先生が出欠を取っていき、皆が返事をする。代わり映えのない日々を思いながら欠伸をする。窓際に座る私に日の光が当たる。暖かくて気持ちが良い。眠ってしまいそうになって、慌てて目立たないように軽く伸びをする。流石にホームルーム中に寝るのは早すぎる。また先生に怒られるのは勘弁だと、鞄から一限目の英語のために教科書を取り出す。こうして動いていると眠気がちょっと覚める、気がする。こうやっていつもの、長い一日が始まってしまう。
とは言っても気が付けば早いもので、既に放課後になっていた。まあ授業中はほとんど寝ていたから本当に気が付けばだが。既に学食のお昼ごはんが美味しかった記憶しかない。夕日が差し込む、ガヤガヤとした教室から一人、また一人と生徒達が出ていく。私も鞄を背負って、恭子のクラスへと向かう。私の教室からは三つ離れたそこへ向かうと、恭子は誰かと話しているようだった。確かあの人は生徒指導の先生だったはず。真面目な恭子とは珍しい組み合わせだ。少し近付いてみると話の内容が聞こえてきた。
「そうか、平間は見覚えがないか」
「はい...すみません」
「いや、謝ることじゃないよ。でももし何か分かったら先生に教えてくれ」
「わかりました」
先生は恭子によろしくと言って去っていった。私は彼女の元に近付いて声をかける。
「よ、恭子。どしたのさ一体」
「あ、待たせちゃってたかな。実はね、今日のお昼食べ終わった後にトイレに行ったんだけど、個室の中に変なものがあって。それで先生に言って調べてもらったらカメラだったらしくて...」
「は!?大丈夫だったの?」
「うん、私はドアを開けたときに気が付いたから大丈夫だったけど...。今は誰が仕掛けたか分からないから調べてるみたい」
「なるほどね。気持ち悪いことするやつもいるもんだね」
露骨に嫌そうな顔をして不快感を表す。いくら恭子が被害にあっていないとは言え、前にその個室を使った人がどうなのかは分からない。あまりにも卑劣で、汚ならしいことだと思う。そして私はふと頭に浮かんだ疑問を口にする。
「そういえば何で生徒指導の先生なの」
別に担任の先生とかなら言いやすいって訳でもないと思うけど、あまり関わりのない、しかも男性の先生が来ていたのは謎だった。
「私もよく分からないんだけどね。最初は近くにいた女の先生に言ったんだけどいつの間にかこうなってたの。多分先生の間で話が共有されて、生徒の問題ってことであの先生が来たんじゃないかな」
何かしっくりこない気はするが、まあそういうことなんだろう。気にしても仕方がないことだと自分を納得させて、恭子と教室を後にする。
この後どうしようかと悩んでいると、彼女も同じことを思っていたらしく行きたい場所や食べたいものを適当に挙げていく、何てことのない雑談をしながら校舎の外へと出た。全然決まらないまま既に校門まで着いてしまった私たちは、塀にもたれ掛かるようにして話を続ける。
「そうだ、駅前に出来たカラオケはどうかな。今ならちょっと安いらしいし」
彼女はそう提案する。そういえば最近カラオケには行ってなかったし、と私もそれに同意した。駅前までは学校からはちょっと遠くて、バスに乗らないと歩きでは厳しい距離だ。私がバス停とその時間を調べていると、チャイムと共に校内放送が流れる。
「二年一組の平間さん。職員室までお願いします」
「あれ、珍しく恭子呼び出しじゃん」
「ね、あなたなら珍しくないのに」
「失礼だね。そんなことないから」
「冗談だって。多分カメラのことだと思うから先行ってて」
出鼻を挫かれたようだけど、まあしょうがない。終わったら連絡して、と伝えて私一人でバス停へと向かう。学校から数百メートル程の距離しかないけど、歩みを進めるにつれてその喧騒さが失われて徐々に私だけの世界に入っていく。今まさに学校から出てきた生徒たちが自転車に乗って私を追い越す。鞄からイヤホンを取り出して耳に付ける。最近はコードレスのものを使ってる人が多いけど、私は充電をするのが面倒で未だにコード付きのものしか使えない。イヤホンジャックに先端を差し込みお気に入りの曲を流す。こうすると完全に私だけの世界にいるようだ。まるで自分が主役になったような気分になれて、私はこの時間が好きだ。音に合わせて鼻歌を歌い、気分良く歩く。そうこうしているとバス停の前まで着いていた。腕時計を見るとバスが来るまであと三分程度。もう一曲なら聞けるかなと再び自分の世界に入った。
ガタガタと揺られていると運転席の上の掲示板に、次は駅前の文字が浮かぶ。止まるためにボタンを押そうと手を伸ばすと、一歩遅くボタンは光ってしまった。割と楽しみにしてたんだけどな、なんて少し気を落としつつ手を引く。バスの中は半分程度埋まっていて、結構な人が駅前で降りるんじゃないだろうか、ガサゴソと視界の端の方でも動いているのが分かる。私も鞄を半分、右肩に掛けていつでも降りられるように準備をしておく。外を見ると前の方には駅が見えた。運転手の人の声がイヤホン越しに聞こえる。片耳だけ外すと駅前に到着したことを知らせる放送がなっていた。バスが止まり、プシューと音を立ててドアが開く。財布から小銭を取り出して料金を入れ、バスから降りる。スマホを見てみたが恭子からの連絡はなかった。別れてからもう三十分程度経ったけど、まだ終わらなさそうだなと思って私は一言着いたよとだけ連絡を入れておいた。カラオケは駅から道路を挟んで反対側に建っていて、簡単に見つけることが出来た。中に入って受付を済ませる。後からもう一人来ると伝えて、私一人で部屋へと向かった。案内された部屋は三階のようで、エレベーターの方へと向かう。ボタンを押して少し待ち、やってきた鉄箱に乗り込む。ちょうど他にお客さんは乗っていなかった。エレベーターを降りて309号室を探す。どうやらエレベーターから一番遠い、廊下突き当たりの部屋になってしまったみたいだ。部屋につくとその旨をメッセージとして送った。椅子の上に荷物を置き、先に適当に歌っちゃおうと、何曲かをタブレットに入れて私は歌い出した。
それなりの曲数を歌ったあと、普段は誰かと一緒だけど、ヒトカラってのも楽しいななんて思いながらふとスマホを見ると、既に入店から一時間、別れてからは二時間近く経っていた。未だに連絡も既読もない恭子のことがちょっと心配になってきたけど、学校にまだいるんだろうともう少し歌うことにした。
七曲目を歌っている最中、視界の端、ドアの方が薄暗いことに気が付いた。ここのカラオケはドアがモザイクガラスのようになっていて、反対側が直接見えなくなっている。だから外の様子がよくは分からないんだけど、誰かが立っている気がする。何か注文したっけとドアへと向かおうとしたとき、そういえばと通知が来ていないかスマホを見てみた。画面が点くとそこには数件の通知。
「やばい」
「来て」
「助けて」
「助けて」
全身に鳥肌が立った。こういうときは脳よりも先に体が反応するらしい、何かも分からず急いで後ずさった。タッチパネルを見る。注文履歴には全てお届け済みの文字。じゃあ、外にいるのは誰。わたしは急いで恭子に連絡した。
「どうしたの」
「今どこ」
慌ててメッセージを打つが既読は付かない。顔を上げるとモザイクガラスは初めのように透明になっていた。どうやらいなくなったみたい。何だか恐ろしくなった私は内線電話で店員さんに連絡をする。
「すみません、部屋に来てくれませんか」
「あ、はい。わかりました」
余りにも唐突で困惑させてしまっただろうが、今は一刻も早く誰かと居たかった。もう一度スマホを見る。メッセージアプリを起動し、恭子のを見てみると既読が付いていた。そして新しいメッセージが一つ入る。
「何で」
コンコンとドアが叩かれる。ビクッと体を震わせ慌ててドアの方を見る。
「すみません、どうされました」
店員さんが来てくれたみたいだ。私は一気に安心して、そこまで力の入らない体を無理に立たせてドアを開けた。
「すみません、ありが...」
視界に写ったのは濃淡のない壁。そこには誰もいなかった。私は咄嗟に廊下へと駆け出し、入り口へと向かった。ただ恐ろしくなって、もうあそこに居たくなくて無我夢中で走った。あの部屋が奥の方だったからか気が付かなかったが、走りながら他の部屋を傍目で見ると誰かがいる気配がない。何の音もしない。聞こえるのは私の足音と、息遣いと、矢鱈に上がった鼓動音だけだ。エレベーターについて私はとにかくボタンを連打した。早く早く早く。急かす心に従うままに私は何も考えられなくなっていた。そこでようやく気付く。音がしないことに。エレベーターの音までも聞こえていない。それに気がついた私はまるで背骨を撫でられたような気分になり、隣の非常階段を駆け降りた。三階から一階までそこまで高くはないとは言え、それでも軽いパニックに陥っていた私にとっては果てしなく長い階段に感じた。降りきって回りを見回すとやはり人はいなかった。少しでも安心したくてフロントの方へと走った。ようやくフロントが視界に入ったとき、私はある人だけがいることに気が付いた。
「恭子......?」
最早意味が分からなかった。フロントの前に私に背を向けるように、受付の方へと向いて立っていたのは恭子一人。受付の人はいない。誰もいない。そして恭子の制服は所々が赤くなっていた。そして私はふと気が付く。彼女の足下を見ると、爪先がこちらを向いていた。
「ひっ」
思わず声が出てしまった。その声に反応したように彼女の身体がこちらに向いた。少し髪の毛に隠れていたが、その表情は能面のように、色々な感情が同時に読み取れるようなものだった。
「どうしたの...?」
私は恐る恐る訪ねる。怖かったが、それでもその姿は恭子だったから、助けないとという気持ちの方が勝ったのかもしれない。私が一歩を彼女に向かって進めた瞬間、彼女はその表情をあまり崩してはいないのだが、能面のような顔のままにんまりと笑って、それを最後に私は意識を失ってしまった。
うっすらと目を開けると学校にいることに気が付いた。外を見ると既に日は暮れており、月や街灯の光が校舎内に差し込むだけになっていた。辺りを見回すとどこか見たことのある教室に私はいた。
「ここは、恭子のクラス?」
「そうだ」
後ろから聞こえた声に私は身体が跳ねた。だが後ろを振り向く前に私はその声の主に気が付いた。なぜなら今日、聞いたばかりの声だったからだ。振り向きながら私も声を出す。
「どういうことだよ、あんた」
目の前にはあの生徒指導の先生がいた。混乱で正常に働かない脳を無理矢理動かして話を続ける。
「恭子はどこだ」
するとあの男はどうでもいいことのようにぶっきらぼうに答えた。
「ああ、彼女はいないよ」
いないという言い方が妙に引っ掛かる。知らないではなくていない。この部屋にいないことは見ればわかる。ということはつまり。
「今頃どうなったんだろうね」
私は頭に血が上るのを感じた。自分でも分かるくらいに心臓が高鳴り、こめかみの辺りを血が蠢いていた。そうして私は男に向かって駆け出し、私を取り押さえようと姿勢を変え、足を開いたのを認めてから、全力で足を振り抜いた。それは綺麗に開いた足の根本へと衝突し、その結果教師は痛みに悶えそこを押さえるようにして倒れ込んだ。
「死ねクズ野郎が」
私は吐き捨てるようにしてピクピクと震える姿を後にした。
私は小走りに見慣れた廊下を駆ける。恭子かどこかにいないかを探すためだ。もしかしたらどこかに隠れてるのかもしれない。そう僅かな期待に賭けて片っ端から探していく。しかしながらそう簡単ではなく、ついに探していない教室は一つだけになってしまった。四階廊下突き当たりの教室、美術準備室。私は戸に手を掛ける。一旦深呼吸をしてからガラガラと開ける。小ぢんまりとした中には簡単な模型と、様々な画材と、そして正面に大きな、「ぶらり」があった。それは服を着ていなくて、目は虚ろで、体の色々なところに出来たばかりであろう青痣があって、そして股の辺りが赤くなっていた、いつも私の近くにいた女の子だった。
「はは...」
一本の線で天井とつながったそれは、私の目を捉えて離さなかった。そしてもう、私には乾いた笑いを出すことしかできなくなっていた。頭が限界だった。そうしてもう一度、ふっと私の世界が暗くなって、何も分からなくなった。
目を覚ますと病院にいた。話を聞くと翌朝、見回りに来た教頭先生が倒れている私を発見して通報してくれたそうだ。運ばれてから数時間が経ったそうだが、先生はずっと病室にいてくれたらしい。容態が安定したと判断されたようで、先生はどうしてあんなところで倒れていたんだと聞かれたが、私は恭子のことがまず気になってつい問い詰めるように逆に聞いてしまった。すると先生は不思議そうに見付けたのは私だけだという。しかし私がいたのは美術準備室なのだから入っても本当に何もなかったのかと聞くと、私が倒れていたのは204教室だと。それを聞いて薄ら寒くなった。204は恭子のクラスだったから。私は自分でもわかるすごい剣幕で美術準備室を見てほしいと捲し立てた。先生は一瞬驚きながらも何かを察したのか、病室から出て電話をかけた。どうやら学校に連絡しているようだった。私はその間に頭の中を整理する。昨日のことは本当だったのか、本当ならどこからどこまでか本当なのか。うーんと悩んでいるときにふと一つの疑問に気が付く。私が倒れていたのは204だと先生は言った。そしてそこは恭子のクラスだ。なら私が蹴った先生はいったいどこに行ったのか。その時がらりとドアが開いて教頭先生が戻ってくる。先生は他の先生に確認させるからそのうち連絡が来ると言ってくれた。それを聞いて一つ安心した私は先程の疑問をぶつける。すると教頭先生は少し迷ったような表情をした後に、私に向かって言った。
「彼は昨日の放課後から行方不明なんだ」
先生曰く放課後、恭子と生徒指導室へ向かったところまでは分かっているそうなのだが、それ以降二人の消息は分かっていないらしい。もしかして悪い夢だったんじゃないか。そんなことを軽く思っていると先生の電話が鳴った。ごめんねと言って再び外へと出て、一分も経たないうちに戻ってきた。確認した先生が言うには特におかしな所はなかったそうだ。ただ一ヶ所気になるところがあるとすれば、美術準備室ではあまり見かけない、ロープがあったことくらいだと言う。
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