Die Alchemistin das Massaker 〜殺戮の錬金乙女〜

平中なごん

Ⅰ ダーマの民(1)

 聖暦1580年代中頃。神聖イスカンドリア帝国ガルマーナ地方・皇帝領自由都市ニャンバルク……。


 皇帝領自由都市とは、数多くの領邦(※公国などの小国)が寄り集まって構成されている神聖イスカンドリア帝国において、皇帝自らが直轄し、自治権が与えられている都市のことである。


 ここニャンバルクもその自由都市の一つであり、古くは歴代の神聖イスカンドリア皇帝達が逗留したニャンバルク城を有し、度々、帝国会議(※帝国の有力領主達が参加する議会)が開かれるなど、特に重要視されてきた街でも、ある。


 ちなみに都市自体の執政は有力市民からなる参与会が司っているが、ニャンバルク城とその周辺の限られた土地のみはニャンバルク城伯であるホーレンソルン家が支配しており、少々複雑な権力構造になっていたりもする。


 そんなニャンバルクには、商業の一大中心地だったことと、加えて皇帝直轄領であるというその特殊性から、他の地に比べても多くの〝ダーマ人〟が暮らしていた。


 ダーマ人とは、ダーマ教(戒律教)を信奉し、その神より与えられた厳しい戒律を守って生きることを善とする民族のことである。


 ほぼすべての国がプロフェシア教を国教としているエウロパ世界において、ダーマ(戒律)教徒は明らかな少数派マイノリティであり、そして、太古の昔、プロフェシア教の開祖・〝はじまりの預言者〟イェホシア・ガリールをダーマ教徒が死へと追い込んだことから、長い歴史の中でずっと迫害を受け続けてきた民族でもある。


 故に彼らの王国エイブラハイームが古代イスカンドリア帝国に滅ぼされて以降、二度と自分達の国を持つことはなく、世界各地に散り散りとなって暮らしていた。


 そのため、土地に根ざした農民として生きることは極めて稀で、その多くが商人や職人として生活の糧を得ていたが、それがこの商業が盛んなニャンバルクにダーマ人が集まった理由の一つでもある。


 さらにもう一つの理由としては、帝国領内のダーマ人が〝帝庫の隷属民〟という地位を与えられていたことだ。


 領内に暮らすダーマ人は皇帝の所有物として、庇護を受ける代わりに被保護税を納める義務を負い、帝室にとっては重要な財源の一つとして扱われていたのである。


 よって、皇帝直轄領であるニャンバルクは他の地に比べて迫害を受ける危険性が少なく、ますますダーマ人をこの地に呼び寄せる要因となった。


 とはいえ、依然として彼らに対する差別がなくなるようなことはなく、ニャンバルクであっても高い壁に囲まれ、外部からは隔離された専用の居住区〝ゲットー〟にダーマ人は押し込まれて暮らしている。


 そんなダーマ人ゲットーに、一組の親子が暮らしていた……。

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