市民のソウルフード

 俺、博人ひろと暉信てるのぶの三人は自転車をひたすらぎ、"あそこ"まで向かった。

 俺達が向かう"あそこ"とは、スタミナラーメン 松海しょうかい

 俺達の学校のある千波町せんばちょうからは駅を挟んで反対方面にあり、自転車でも大分時間が経つが、そこまでして行く価値はあると思う。

 水戸市の男の元気の源はスタミナラーメンにあるといっても良い。

 それほど、市民のソウルフードとして根付いている。


 県道の坂道を下り、茨城県の背骨ともいえる常磐線じょうばんせんの線路を超え、坂道を上っていく。

 そうして北上し続けた先に、松海がある。

 程よく体力を消耗した俺達は、息を切らしながら店に着く。

「え、もうこんなに並んでいるの?」

「さすが人気店」

「松海さん、半端ねえ」

 博人、暉信、俺の順で、店に並んでいる行列につぶやいていく。

 十七時半から夜の部が開店するのに、既に沢山の客が入店していた。

 昼のピーク頃だと外まで並んでいることが殆どで、それほど並んでいないが店内の長椅子には多くの客が腰を掛けていた。

 その多くの客は、学生だ。

 水戸駅周辺は学校が多く、名門校から無名校まで、ピンからキリまで様々な学校がある。

 特に県立の第一高校は、エリートが勢揃いの指折りの高校。

 また男子校は存在せず、共学校と女子校のみである。

 そんな水戸駅を中心に、多くの学校の生徒達がここのスタミナラーメンを食べに行くという目的のために来ていたのであった。

「さ、早く誰か来る前に並ぼうぜ」

 博人の呼びかけに俺と暉信がうなずき、暖簾のれんをくぐって入店し、店員たちの威勢の良い"らっしゃい"の挨拶に、思わず会釈する。

 三人とも冷やし三玉を発券し、長椅子の空いているスペースに腰掛けた。俺を真ん中に座らせて。

「さてと待ち時間の間、何をするか分かってるよな」

「あ、そうだ博人。お前あしの怪我大丈夫か?」

「焦らそうとするな」

「あれだけ僕たちを心配させたんだ。何も言わせないわけにはいかないよ?」

「そういや暉信、来月サブスク配信されるバンドがあるんだけど、興味ある?」

芳人よしひと

「よっしー」

 二人が同時に俺の名前を呼びかける。

「あ、はい。すみません」

 その圧に俺は最早、こうべれることしか許されていなかった。


「お前らの言ってた通り、彼女は自宅マンションの屋上にたたずんでいたよ。おびえながらな」

 俺がそう応えると、二人は目を丸くして驚いた。

 博人に至っては、「おい、それでどうなったんだよ?」と落ち着きが無くなった様子で、俺に聞き出してきた。

「安心しろ博人。俺が説得して、思いをとどまらせることができた」

 俺は、博人をから視線を外すことなく答えた。

「そうか。良かった。本当に良かったよ」博人は安堵あんどしたあまり、ほっと胸をでおろした。「芳人、ありがとう。本当に感謝しかない」

「いやいや、お礼するのはこっちの方だ」俺はかぶりった後、じっと目を閉じた。「あのNINEを見た時、一体何が起きているのか分からなかった。そんな中、あの子の身が危ないと教えてくれたのは他でもない暉信、お前が教えてくれたから。そして、俺に思いっきり背中を押してくれたのは博人、お前だった」

 左右にいる博人と暉信を交互に見て俺は、

「本当にありがとう」

 と、あたまを下げて心から感謝する。

「お前らがいなかったら、どんな最悪の状態におちいってたか。不謹慎に聞こえるかもしれないが、状況によっては俺が今日も明日も一週間先も一か月先も、ずっと不登校になってたかもしれない。だから俺は—————」

「ちょっといい?」

 暉信が俺の言葉を遮り、俺の口の前に手を突き出してきた。

「あんまりさ、そういうシリアスな話は、めにしようよ。ほら、今こういう場だし」

 暉信がそう言ってきたので、俺は店内の周囲を見回してみた。

 すると、他校の学生達が、皆じっと俺達を見つめていた。

 目が合った学生たちは、「あっ、まずい見られた」と視線をすぐらして、自分たちの話の中へ戻っていく。

 俺が重々しい話をしていたせいで、気づかぬうちに注目を集めてしまったようだ。

「悪い。めてくれて助かった、暉信」わざと咳払せきばらいして、俺は軽く礼を言った。「暉信の言う通り、こういうとこでシリアスな話は無しってことで。俺ら以外全員、重い雰囲気に飲まれて、旨いもんも味気なく感じてしまうしな」

「だな。そもそも俺らに、そういう話は似合わない」博人がかかっと笑って見せる。

「そうそう。俺らは一生、音楽やら漫画の話やらやってれば良いんだ」彼に対して俺は、ははっと笑って見せる。

「分かってくれれば、良いよ」暉信がふっと笑みをこぼして、二人を交互ににらんだ。

「でも、最後にこれだけは言っておきたい」

 そんな告白じみた前置きに、二人の意識が俺に集中した。

「まだ、最悪の事態がまぬがれたという状況に過ぎない。このままだと紗彩さあやはずっと独りだ」

 そうして「だから俺は」と言葉を続け、

「俺は、紗彩を助けたいと思ってる」

 と、自分の胸中きょうちゅうを伝えた。

 二人は耳を傾けて、俺の告白を聞き続けてる。

「でも正直、俺一人で誰かを救うことなんて、できるとは思えない」

 何事も不自由なく、やりたいことなんて見つけてこなかった。

 そんな自分に突然立ちはだかった壁は、到底乗り越えられる自信なんて無かった。


 自殺寸前まで追いやられていた少女の心を救う?

 学生身分のお前ができるわけない。

 そういうのは全て大人に任せておけ。

 できもない理想なんてやめちまえ。

 自分の心に宿る悪魔が、時折心のデリケートな部分にささやきかけていく。

 就寝中も、授業を受けている間も、定期的に俺はそいつにさいなまれていた。

 その度に、俺はやみの中に閉ざされたような感覚に陥っていた。


 ところが、

「何お前一人で抱えようとしてんだよ」

 隣に座る博人が、ちょっと怒った口調で俺に言ってきた。

「博人、お前……」

「あ、もうすぐ空くみたいだな」

 と、店内の状況を察した博人は、すぐにいつもの軽い口調に戻った。

 気がつけば、俺達はいつの間にか長椅子の最前で待っていて、店員さんが俺達三人分のカウンター席を空け、布巾ふきんで拭いていたところだった。

「お待ちの三名様、こちらのカウンターでお願いします!」

 つかの間、店員さんが威勢の良い声で、俺達を案内してくれた。

「続きは食った後だな」

 そう言い残して、博人は「いやー、腹減った腹減った」と独り言を呟きながら、空いたカウンター席に一人早く座っていった。

 俺も、案内されたカウンター席まで足を運び、一旦この話を止めて、食べることに全力で楽しむことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る