斯くあれかし
間合いは一瞬にして縮まった。
ギッ!
交差する刃、両者共に狙いは果たせなかった。
鍔迫り合いながら立ち位置が入れ替わる、敵は二刀という利点を活かし別角度からの追撃を仕掛けた。
人間の集中力には限界がある、右手と左手で別々のことを完璧にやり続けるのは至難の技だ。
だがこの女の集中力は化け物じみていた。
片手で私の怪力を受け止めながら駆け引きを維持、そのうえでもう一方の獲物を操り尚且つ隙も晒さないというのだから。
——ヂッ!
顔の横を剣が通り過ぎる、紙一重で避けるつもりが右の頬が裂かれた、想定していたよりもずっと早くそして狙いが洗練されている。
打ち終わりを狙って鍔迫り合いを制しにいく、相手の剣を上から押さえ込み袈裟を撫で斬ろうと、しかし現実は全く逆の展開となった。
グッ……!
剣先を逸らされる。
いくらギリギリで避けたとはいえ回避は回避、たとえ砂漠に垂らした一滴の水のような隙間でも、英雄エルニスト=ガザールには十分だった。
差し込まれる二点突き、待ち受けるは串刺しの未来、私は咄嗟にその場へしゃがみ込んだ。
ビュッ!
頭のやや左斜め上を通り過ぎる二本の剣、回避から間を置かずに切り上げる。
刃は綺麗な弧を描きながら対象へと迫り、肉を切り裂く直前で硬い感触に阻まれた。
——カァン!
おのれ、なんという反応速度か!
回避と攻撃はほとんど同時であったのにも関わらず、この女は平然と防御を間に合わせた。
しかもそれだけには飽き足らず、私の放った一撃の重さを利用して自ら真上に飛び上がったのだ。
彼女は空中にて体勢を変え、天井に足を着き、そのままこちらに向かって跳躍、まるで天より投下されし雷撃のようにこの私に襲いかかった!
——ガァァァァンッ!
攻撃を受け止めた私は、敵と共に階層をぶち抜きひとつ下の階に落下した、このままでは床とこやつの挟み撃ちにあって殺られてしまうッ!
私は剣から片手を離し、服の下に隠し持っていたナイフを抜いた。
「——!」
その事に気が付いたエルニストは私を真下に蹴り飛ばして離脱した。
ドンッ!
背中に墜落の衝撃がひた走る。
痛みを噛み殺しながら床を転がり体を跳ね上げる、今の攻防で剣がダメになった。
有り合わせの武装ではやはり強度が足りぬ!
残る武装はナイフのみだが
流石にそれで戦うには部が悪すぎると判断した私はナイフをしまいらガラクタを投げ捨て、そこら中に転がっている警備隊の死体に駆け寄り武装を剥ぎ取った。
——飛び込んでくる影。
「よくもこんなに」
ブォン!
憎しみが込められた剣が、首のあった場所を薙ぐ。
前方に転がり込むようにして彼女の奇襲を回避した私は、すれ違いながら足元を切り払う。
手応えを感じられないまま受身を取って着地、膝をついた姿勢で剣を構えそして立ち上がる。
視界に捉えし予兆!
軽く後ろに飛んで間合いから外れる、鼻先を掠めていく冷たい感触、地に足着くと同時に踏み込んで刺突、いなされるが素早く次の攻撃に繋げる!
出鼻をくじかれた奴は防御を選び、私の一撃を弾き上げながら鋭く突きを放つ。
それを流しながら前に出る、しかし狂った間合いはすぐに調整される、お互い見合う時間が流れてフェイントの掛け合いが始まる。
偽物、偽物、偽物、巧妙に仕掛けられる誘い出しに一切乗らず、また向こうも決して尻尾を掴ませない、だがそうした時間は唐突に終わりを告げる。
ビュンッ。
「く……!」
起こりを見せず繰り出されたのは片手突き、辛うじて急所に届く前に対処するが攻撃はそれだけでは終わらなかった。
間髪入れず別の刺突、再びこれを躱すも繰り出される攻撃は徐々に苛烈さを増していった。
ヒュンッ!ヒュンッ!
——早くなる
ヒュンヒュンヒュンヒュンッ!
——重ねられる度に早くなる。
速攻、交互に放たれる刺突は剣先すら捉えられぬ。
必死に間合いを取りながら受けるも対処が追いつかない!攻撃の回転速度が尋常ではない!ひたすら前に出ながら放たれる連突きは常軌を逸していたッ!
——ザク。
切られる、刺される、裂かれる、浅く浅く浅く深く少しづつ着実に命に届いてくる、手が伸びる、防ぐほど正確性を増す追撃に思わず冷や汗が流れるッ!
ドンッ。
後ろは壁だ、もはや退路は無い、やるしかない。
「はっ……!」
被弾覚悟で前に出る!
このまま惨殺されるよりは幾分マシだろう。
防御姿勢、カウンターを狙いつつ合間を掻い潜る、その際に受ける傷は決して少なくない、しかし今は多少の怪我を負ってでも状況を変えねばならぬッ!
振ったのは二発、目にも止まらぬ早さで切り付ける、着弾はほとんど同時といってもいいタイミングで行われた。
エルニストはそれを無視できない、捨て身の覚悟で放たれた決死の一撃、それは正しくこの勝負を一発で終わらせるだけの殺気が込められていた!
——ガギィィン!
「グ……ッ」
奴の足が、攻撃の手が止まった。
今しかないと判断した私は壁を蹴り、一瞬にして奴の背後へと離脱した、無論離れ際の引き撃ちも忘れていない。
——ダッ
すれ違いざまの一撃を見事に防いだエルニストは、開いた間合いを埋めるべく急加速した。
ガリガリと地面を削りながらエルニストが切り掛ってくる、回転しながら繰り出される連撃は非常に素早くこちらを苦しめた。
二発目、三発目、四発目を見計らい上体を逸らし、体を地面と平行になるまで寝かせながら脇をすり抜け、膝裏を切り付ける。
——ザクッ!
切っ先が触れる、しかし傷と呼ぶにはあまりに浅すぎる、攻撃のあまりの苛烈さにこれ以上踏み込む余裕が持てなかった、勝負を決め損ねてしまった。
背中を刺し貫いてやろうかと画策するもそんな隙は与えられない。
——ドスッ!
「く、は……」
鳩尾に突き刺さる踵、奴は回転の勢いそのままに、今しがた切られたばかりの足を使って死角から蹴り込んできたのだ。
直後私の体は弾き飛ばされ、壁をぶち抜いては床を転がり、ガラス張りの壁を粉砕してその先に並ぶオフィスの机群をなぎ倒した。
「ゲホッ、ゲホッ……」
血の混ざった咳をしながら体を起こし、傍に転がった剣を掴み取り立ち上がる、そして空いた穴からオフィスに飛び込んできた奴の剣を受け流す!
ブォン。
逆方向から挟むような斬撃、膝を曲げ体を落とし、柄を短く持って全身で入っていくような突進突き。
だが直前で動きを変えたエルニストの姿を見て受けの構えに移行、攻撃を受け止める。
しかしぶち当たった衝撃は思いの外大きく両足が地面から離れてしまう。
グワッ!と吹っ飛ばされ更に机をなぎ倒す、硬い感触が背中に激突し肺の中の空気が漏れる、ゴロゴロと転がりながら敵の姿を捉えた。
飛び込んでくる。
それを察知して横に避ける、追い立てるは蛇のように変幻自在の剣、腹やら足やらを切られながらなんとか体勢を立て直し反撃に移る。
ガン!ガン!
獲物と獲物がぶつかり合う、斬撃を防いだ奴の足元が多少乱れた、それを好機に背中に剣を背負い、大斧を力任せに叩きつけるように振った!
その凄まじい気迫に奴が引く、盛大に空振る一撃、しかしそれで終いとはならぬ、私は体を捻って更にもう一撃、勢いを殺さずに二発目に派生させた。
「……ッ!」
——ガァァァン!
流石の奴もコレは受けざるを得なかった、後ろに下がるには時間が足りなかった、剣を二本重ねて強固な盾とし、迫り来る凶刃を防ぐしか無かった。
それでもなお殺しきれぬ衝撃!明確に崩れる体勢!このまま復帰させてはダメだ!また手を出されればあのどうしようも無い連撃に繋げられてしまうッ!
勝負を掛けに行こうとしたその時、剣先がポロッと欠けたのを見た。
——もう限界か!
目論見はくじかれた、こんな状態の獲物ではこの先の攻防を制することなど出来はすまい。
作戦変更!
素早く身入りを行いゼロ距離へ、ギリギリと火花を散らしながら獲物を噛み合わせ、動きを感じ取りながら意表を突かれないようコントロールする。
……手の中で獲物が軋んでいる。
このままではいずれ何処かが破綻する、そうなればもはや私に打つ手は残されていない、致命的な結末を呼び込む前になんとか現状を打破するしかない!
——キィン。
私は武器がまだ持ちこたえてくれている今のうちに、鍔迫り合いを抜け出して距離を取り、近くの机を敵に向けて蹴り飛ばした。
——カッ!
当然それは難なく切り捨てられるが、縦に分かたれ、払い除けられた机の影に小さな銀光が輝いた。
「……っ!」
机を目隠しにして投げられたナイフは奴の眼前に迫り弾かれる。
——今だ!
すかさず跳躍ッ!足元に転がる机を乱暴に掴みあげ、片足で回りながらしこたま遠心力を溜め込みエルニスト=ガザール目掛け叩きつけたッ!
「がっ……」
——ドッッガシャァァァァンッ!!!
飛び散る破片!明かりの消える電灯!床天井を駆け巡る尋常ならざる振動!
強烈な一撃を叩き込まれた彼女は、床をバウンドしながら大きな窓ガラスを突き破り、そのまま永久の夜が広がる外へと放り出されていった。
——ダッダッダッダッ。
私は部屋中めいっぱい使って助走をつけ、およそ人の身では決して有り得ぬ速度に達し、ガラガラに崩れ去った壁の穴から踏み切り夜の空へと飛び出す。
——ゴウッ!
途端襲いかかる風の壁!全身をくまなく打ち付ける痛いぐらいの圧力!眼下に広がるは豊かな街並み、それが超高速で移り変わっては過ぎてゆく。
先んじて外に放り出されたエルニスト=ガザールは、縦横入り乱れるメチャクチャになって回転しながらぶっ飛んでいき。
——ドゴォォォンッ!
少し離れた場所にある建物に激突、壁を突き破って中へ吸い込まれていった。
コンマ数秒遅れて私も追いつく。
両足に走る形容し難いまでの衝撃、色んなものを巻き込みながら転がって受身を取り、肉体にかかる負担を出来るだけ最小限にとどめようとする。
速度を殺し切った私は顔を上げ、周りの状態を把握する。
建物内は阿鼻叫喚の騒ぎとなり、何やら高級そうな椅子やら机やらが無惨にも砕け散っていた。
そこはどうやら会議の途中だった様で、見るからに身分の高そうな壮年の男性達が我先にと扉に押し寄せる地獄が生まれている。
ガラッ……。
そんな中、積み重なった机やら機材やらを押し退けながら這い出てきたのは言うまでもない。
彼女は全身血だらけ傷だらけになっており、吹き飛ばされる前と後ではまるで別人のような状態となっていた。
「く、そが……なんて、馬鹿力だ……っ」
悪態をつきながら剣を支えに立ち上がる。
酷い負傷だ、私の比じゃない。
彼女が普通の人間であったなら五度は死んでいるであろう、それが五体満足でいられるというのが『英雄』という存在の異質さを物語っている。
「……!」
彼女を観察する中で私は気が付いた、彼女の二本あった剣のうち片方が見当たらないということに。
奴から視線を外さぬよう周囲を見渡し、見つけた。
——カラン
手の中の武器をその場に落とす、そして足元に転がる彼女の黒い剣を拾い上げた。
あれだけ無茶な使われ方をしたにも関わらず、この剣は欠けも歪みもしていない、想像を絶する頑丈さ、まるで私が師匠から受け継いだあの刀の様だった。
持ち手を両手で握り込む。
よく使い込まれたそれは自然と手に馴染み、まるで以前から自分のモノであったかのような不思議な一体感を覚えた……。
「……殺人、傷害、器物損壊に加えて窃盗、ですか」
そう言って血を床に吐き捨てながらこちらを睨み付け、口元を袖で拭って剣を構えて寄越す。
「そちらは、私の大切な人から譲り受けた大切な品、貴女がそう易々と手にして良いモノではありません」
——互いに迎え会う。
既に周囲の人間は避難を終え、辺りはまるでこの世全ての音が消えてしまったかのように静寂に包まれていた。
「……ぬんッ!」
初めに仕掛けたのは私の方、前へと踏み出し一閃。
それは奴に弾かれるがキレが無い、最初に見せたような鋭さが欠けていた。
返す刀で切り付ける。
無論こちらも防がれるがやはり動きが良くない、確かにそこらの雑兵と比べれば十分隙のない対応ではあるものの、以前ほど堅牢じゃない。
攻勢に転じられるより早く次の一手。
受け流される、突き込んでは逸らされる、辛うじて繰り出された反撃を避けて斬る。
——ス。
当たった、瞼にうっすらと赤い線が走る。
続けて放った刺突は距離で外される、仕返しがくる前に後ろ足を引き寄せてさらにもう一段深く剣先を抉り込む。
奴の喉元に浅い傷が付く。
「こざかしい……ッ!!」
私の突き出した剣先を払い落とし、手首を返して斬りかかってきた。
——ここ!
斬撃に合わせて前に出て、切っ先を下に向けながら背中に剣を構えその表面を滑らせるように受けて流す。
そのまま奴の後ろに抜け、ガラ空きの首を目掛けて刃を振り下ろす。
「これしき……!」
ガァン!
黒鉄は黒鉄によって阻まれる。
奴は恐るべき反射速度を発揮して、頭上に剣を掲げて攻撃を防いだ!
ここに来てもはや失われたと思われた鋭さが蘇る、完璧に崩された体勢から無駄なく復帰し防御を行った、その結果起こるのは絶対的な形成の逆転。
彼女の目線からは私の全ての急所が狙える、今から回避行動を取るのには遅すぎるし近すぎる、私にはもう生存の道は残されていない。
はずだった。
——ガッ!
私は奴の、掲げられた剣の持ち手を掴み、頭の後ろに回して下に引っ張ることで関節を極め、エルニスト=ガザールの行動を完璧に封じた。
「な、に……っ!?」
あの時勝負は決まったはずだった、そう本来の彼女であれば。
あの場面でよもや受け止められるとは思っていなかった、もしあれを万全の状態の彼女にやられたのだとすれば死んでいたのは私の方だった。
咄嗟に行われた完璧な防御は精細を欠いていた、故にそれは綻びとなった!
エルニストは抵抗する、確かに力づくでこの拘束から抜け出すことは可能なのかもしれない、もっともその為の時間が十分にあればの話だが。
——ザク。
「か」
背中を貫く黒い刃、それは間違いなく急所を破壊しており、溢れ出したどす黒い血液はこの戦いの終焉を残酷に告げていた。
「……地獄、に」
……拘束を解き、背中に突き刺した剣から手を離す。
自重により膝から崩れ始めるエルニスト、私は奴の力の抜けた手からもう一方の黒剣を掴み取り、頭上高く振り上げて——
「堕ち、ろ……!」
「御免」
——ザン。
その命脈を断ち切った。
✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱
——ゴトッ。
切り離され、地に落ちる首、それはゴロゴロと転がって止まり、未だ死を受け入れていないような顔を天井へと向けていた。
「……」
剣に付いた血を拭い取り、その場にしゃがみ込む、そして開いたままになっているエルニストの目を閉じさせ、死体の傍らに剣を二本並べて置く。
ほんの少しの間だけ留まり、目を閉じて祈る、今日奪った命に対して、これまで斬った全ての者に対して、ただただ安らかなる死が訪れるようにと。
……やがて死体に背を向け、歩き出す。
壊れた会議室は英雄の墓標としてはあまりにも慎ましく、誰かの目に留まるまでの間ひっそりと彼女を守り続けるのだった——。
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