傷の絶えない女。
——ヒュッ!
這いずる蛇のような複雑な軌道で刃が振られる。
どこを標的とした攻撃であるのか、それを彼の技量で行われては完璧に読み切ることは不可能に近い、私はできる限り急所を庇いながら被弾を覚悟する。
サクッ。
肌が切り裂かれる、そして同時に動く、研ぎ澄まされた感覚により敵の呼吸を掴んだ私は武装解除に動いた。
相手の手首を捕まえて関節を極め、そのまま武器を手放させると共に投げを——
グギッ!
流れるように関節を極め返された次の瞬間、宙に舞っていたのは私の方だった。
両足が地面を離れる。
反転する視界、入り乱れる上下感覚、早すぎて何をどう返されたのか分からなかったが、確かなことは『このまま投げが完遂されたら死ぬ』ということ!
私は、まだ私の腕を捕まえている敵の手のひらの感触を頼りに、この無理な体勢からでも発動が可能なとある技へと派生を行った。
投げられたと理解した瞬間の脱力、流れに逆らわず抵抗せず、力の向きに身を任せて体勢を整え、地面へ激突する前に一回転を行い位置を計る。
そこから繰り出されるは『飛びつき腕十字』、奴の獲物を持つ腕を抱え込んで全体重を掛けてぶら下がる。
ただでさえ私の体は加速を与えられて落ちていた、それに耐えられる道理は存在しない。
ダァン!
「がはっ……」
幼児が振り回す玩具のようになって背中から地面に叩きつけられるゾルトウェイト。
しかし奴は私に腕をぶち折られる前に正しい方向へと回転し拘束から逃れていった。
「ちぃ……!」
転がりながら距離を取って起き上がる。
仕留め損なった、やはり不安定な体勢から発動したせいで技の掛かり方が甘かった、抜け出す余地を残してしまっていた。
ここは一旦仕切り直しかと思った矢先、奴は膝立ちのまま滑るようにしてこちらへ接近し急所へ向け刺突を放ってきた!
「……ッ!」
私は腰を引きながら腕を思いっきり下に伸ばし、迫り来る凶器をギリギリの所で止めた。
だが——
ガクンッ……!
捕まえた腕を支点に技が掛けられ膝が落ちる、生まれた一瞬の隙を突いて奴は私の後ろに回って組み付きトドメを刺しにきた。
紛れもない危機に瀕し、必死な抵抗を見せるべき場面で私が取った行動は、『ほんの僅かに体軸を傾ける』という選択だった。
「……!?」
よろめくゾルトウェイト。
今のように体の多くの面積が相手に触れている状況においては、水面に立った波が広がっていくかのようにそれを止めることは出来ない。
ひとたび崩せばあとは簡単だ、私はただその綻びを後押ししてやるだけで良い。
振り下ろされるはずだったナイフの持ち手を掴み、垂れ下がった縄を引っ張り落とすかのように加速を加え、腰に乗せて投げる。
地面を転がるゾルトウェイト、受身を取り立ち上がった奴の右手の中は既に空になっていた。
「ようやく奪ってやったわ」
クル、クルと調子を確かめるように獲物を回す、折れた指が痛むが握れない訳では無い、人を殺すのにはこのぐらいの握力が発揮出来れば十分だ。
構える。
そして無手となった敵に向き直る。
奴は現在分かりやすく隙を晒している、立場は大きく逆転したと言っていいだろう、しかし私の頭の中に『攻めに転じる』選択肢は皆無であった。
何故なら。
「白々しい演技はやめよ、お主が獲物を一本しか持ち歩いていないなどとは思っておらぬ」
「ふん、引っ掛かりませんか」
そう言うと奴は袖の中から新しいナイフを取り出し構え直した、一応警戒しておいて正解であったわ、今不用意に攻めていなたら返り討ちにされていた。
「……フー」
勝負は振り出しに戻ったと言っていい、そろそろお互い相手の動きに慣れてくる頃だ、ここからはそう長くやり取りは続くまいよ。
決着は、恐らく想像しているのよりずっと近くに迫っているはずだ……。
✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱
——切り合う。
細かい斬撃、それを防ぐ金属の音、あるいは飛び散る血しぶき、一手一手が死因となり得る危険地帯に我々は足を踏み入れていた。
ヒュンッ!
お互いに攻撃を放ち続ける、捌き続ける、ぴったり息のあった社交ダンスのように、華麗に流麗にせき止められ事なくやり取りを行う。
切り付ける、捌かれる、相手のナイフを捌く、また切り付ける、向きを変え角度を変え休むことなく重ねられる斬撃はどれも致命的な危険を孕んでいる。
やり取りは恐ろしく早い、正しく目にも止まらない。
全身に点在する急所、それを守りつつ攻める、目、首、脇の下、内太もも、手首など、傷つけてはならない重要な部位をバラバラに狙い狙われる。
サクッ!
無論無傷とはいかない。
腕には既に無数の切り傷が刻まれている、相手も私もお互いの獲物がナイフである以上は当然の事だ。
急所とは弱点であると同時に最も守りが固い箇所、そう簡単に切れるものではない。
そうなれば一番近い攻撃の届く体の部位は腕となる、腕とは生命線でもありまた弱点でもある、先に手が止まった方が負けというのなら優先して潰すべきは相手の『腕』だ。
迫り来る目突き、止めて腿を狙う、捌かれて脇の下を狙われる、受け流して目を払う、手の甲で払い落とされ手首を浅く切られる。
目まぐるしく移り変わる攻防、見てからでは間に合わないであろう素早い連撃、足を止めて零距離で切り合う我々の間にあるのは互いの返り血のみ。
技など掛ける暇もない、そんな隙を与えれば速やかに急所を切り裂かれる、この集中力と神経をすり減らす命の取り合いは続行されなければならない。
サクッ
ザクッ……!
徐々に被弾が深くなる、一方こちらの与える損害も少しづつ増えていく、それだけ戦いにのめり込み相手の命脈に近付いているということ。
相手の攻撃を受ける、受けたらなるべく相手の次の行動に制限が掛かるよう操りながら捌いて、有効な角度から己の一撃を加える。
グルンッ……!
攻撃が受け止められ私がやったのと同じように動きがコントロールされる、体勢を崩されないよう位置取りに気を遣いながら放たれる斬撃に対処する。
針の穴に糸を通すような精密作業、一点の間違いも許されぬ極限状態での戦いは更に加速していく、ここまで来ればもはや動体視力は役に立たなくなる。
感覚。
直接触れて感じた相手の気配。
それを元に敵の次の攻撃を予測し、実際に放たれるよりも前に受けの準備を完了させての反撃、相手の想定を上回るよう二手三手先を見込んで行われる複雑怪奇な化かし合い。
回し受ける、弾いて切り込む、押さえつけられ刺突が放たれる、捌きながら主導権を奪い行動を制限、対処不可な角度から急所を狙う。
ガッ!
防がれる、そのまま反撃が繰り出されるが更にもう一段階攻撃を重ねて咄嗟に守りに回らせる、ここに来て私は守りを度外視し勝負を仕掛けた……ッ!!
これまで築かれた単発交換の法則が乱れ形勢が揺らいだ。
攻める、攻める、攻める。
受け切らせない、絶えず攻撃を繰り返し敵が差し込む隙を与えない、そうやって一時的にだが防戦一方な状況を作り出すとに成功した。
スパッ!
腕、足、顔と次々切り裂いていく、相手の顔には明らかな動揺が浮かんでいる。
そしてある時、相手の受けの精度が大きく鈍った。
百点満点では無いその対応は、こちらが逆に相手の動きを制圧する為の足掛かりとなった。
そうして手にした今までにない程の優位性ッ!
——ズブッ
私は奴の左脇にナイフを抉り込んだ。
「ク……ッ!」
引き抜かれる銀色の刃、血にまみれたそれは多量の返り血を撒き散らしながら再び外気に触れる。
咄嗟に反撃が飛んでくるが先程よりも格段に精度が落ちている、捉えて一撃を加えるには十分すぎる綻びであった。
——ザクッ。
手首の健を断ち切る、奴はナイフを取り落とした、素手となったゾルトウェイトに更なる追撃を仕掛ける、奴は何とか対処しようとするが復帰は難しい。
「まだだ!まだ……っ!」
捌かれる、捌かれる、受けを掻い潜って反対の脇を鋭く深く切り裂いた、怯みに合わせて屈みながら身入りを行い右の内腿にナイフを突き立てる。
「……づぁッ!」
刃を引き抜く、傷付いた動脈から血が溢れ出す、それは紛れも無く致命傷だった。
「これ、しきィ……!」
殴り掛かってきたのを避けて真後ろを取る、膝裏を蹴り付けて体勢を崩させる。
そして抵抗をさせる間もなく手にしたナイフをゾルトウェイトの喉元に抉り込み、そのまま真一文字にザクザクと傷口を広げて動脈を分断していく。
「ごが……が……っ、か」
ばた、ばたと痙攣しながらそれでもなお私を殺そうと動き続けるが、奴が発する音は既に言葉ではなく逆流した血液が喉の奥でこぽこぽと泡立つ音のみであった。
喉笛を掻き切ってナイフを引き抜き。
「今度こそ」
それを首裏に突き立て顔を抱え込み。
「始末させてもらう」
ガギッと頚椎を捻り壊して完全に息の根を止める、これで万が一にも息を吹き返すことは有り得まい、もはや生命維持はどう足掻いても不可能だ。
中身を無くしたゾルトウェイトは力なく倒れ込み、二度と起き上がってくることはなかった。
——カラン
手の中の獲物が床に落ちる。
「はっ……」
戦いが終わり、途端に目眩やら寒気やらが一気に押し寄せてきて壁にもたれ掛かる、動脈は無事でも流石に血を失いすぎているようだ、平衡感覚が無い。
「せめ、て……ここから……だっ、しゅ……つ……」
一歩、二歩、三歩目を踏み出すまでもなく私はその場に崩れ落ちて動けなくなり、立ち上がろうとするまでもなく意識が遥か彼方へ吸い込まれていった。
だが気を失う直前。
扉が開け放たれたような、幻かどうかも分からぬ光景を見たような気がした……。
✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱
「……それで?どうしてあんな所に血だらけで倒れていたのか教えて頂けますか?」
そうして私は。
「お答えください、貴女はいったい何者でしょうか」
私がこの街にやってきた本来の理由。
「このエルニスト=ガザールには、治安維持を任された者としてあそこで何があったのかを知る義務があります。
お怪我をされている事は重々承知ですがお答え頂けないでしょうか?街の平和を守るために必要なことなのです、何故あのような悲惨な拷問をお受けに?」
灰の指と呼ばれる英雄その人と、彼女の根城である警備会社の建物の中、そこにある医療施設の白い部屋の中で出会うことになるのだった——。
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